以下で,リアクションペーパーに書いてもらったコメントや要望の一部に答えておきます. コメントや要望の文章は適当に編集しているので原文と文面では若干異なる場合もあります. この文書はまだ書きかけです.

11月10日のリアクションペーパーでのいくつかのコメントに対する答え

何回かの授業にわたって一筆書きについての話が続いているので, グラフにおいて一筆書きができるかどうかが重要なのではないかと思うが, 実際,一筆書きができるとどのような利点,利用法があるのか知りたいと思った.
このコメントに対しては,2つの反駁を返しておきたいと思います.

まず, 「一筆書きができるかどうかが重要なのではないかと思うが」という推測についてですが, これについては講義でも説明していると思いますが, 重要なのは,グラフの一筆書きができるかできないかどうか, であるより,一筆書きが,講義で述べたような条件で特徴付けできる, ということです.その重要性の理由のいくつかとしては, 歴史的なもの (この定理が契機になってグラフ理論が始まったこと) と,この証明, 特にオイラーの定理の逆の帰納法による証明が, この後見ることになる多くの議論の祖形になっていることです.

それから,「利点,利用法があるのか知りたいと思った」 については, そういう勿体ぶった言い方をする前に, 何が利点でどんな利用法がありうるのか自分で考えてみてほしいと思います.

この講義では,「これはこんな役に立つしあんな役にもたつ」というような, 通販の宣伝文句のようなことを話そうとしているわけではなくて, グラフという身近な対象に関する考察をどのように数学的な思惟の体系として組上げてゆけるのか, ということが話したい内容です.グラフはだからむしろ例にすぎず, 本題はむしろ数学の方です.

もちろん扱っているものが, グラフという現実の世界から自然に抽出された概念であるからには, 多くの応用も期待できるし, 実際,話題にしている事柄の現実世界との対応や応用の可能性についても, これまでにも講義で色々話していたと思います.

しかし,勉強したり講義を受けたりして得た知識やアイデアを, 再構築して,自分なりの知の体系を作ったり, その応用の可能性をさぐったりする, というのは,他人に教えてもらってすることではなくて, 皆さん一人一人が自分自身で解決してゆくしかない課題です.その意味で 「… 知りたいと思った」というような, 何かを教えてもらうまで口を開けて待っているような感じのコメントはできれば頂きたくなかった, というのが率直な感想です.

日本では,知性の枯渇しきった年寄りが, 上のコメントにあるような勿体ぶった言い方をすることも少なくないようなので, このコメントをしてくれた人はそういうのに習ったのかもしれませんが, まだ若いはずの人が, そういうゾンビ状態の可哀想な人たちの真似をする必要もないでしょう.

説明が速くて追いつかない.
ごめんなさい.もう少しゆっくりと説明するように注意します.ただ, 理想としては,説明が分らなくなったところで,どんどん,質問や, たとえば, 「そこのところがよく分らなかったのでもう一度説明してください」 などのコメントでストップをかけてくれると助かります. 数学のトレーニングを積んでいる人に話すときには, この講義よりさらに速く話すこともあり,既にかなりセーブをかけているつもりなので, さらにゆっくり話すというのは,苦痛だし,なかなか難しいのです. 折角講義に出ている人数も少ないので, 遠慮なくコメントを言ってもらえるとこちらとしても説明のしがいがあるし, 説明の仕方を調節することもしやすいのですが.

どうして $G$ を $G'$ にして証明するのかがよくわかりませんでした.
前回の証明では, 次の項目にもあるようなグラフに関する主張をグラフの辺の数に関する帰納法で証明したのですが, 証明で考えていたグラフ $G$ から辺を1つ取り除いたグラフ $G'$ を作ることで, $G'$ の辺の数が1つ小さくなって, 帰納法のステップの仮定が $G'$ に適用できるようになる, というのが,$G$ から $G'$ を作った理由です. ただし,帰納法のステップの仮定が適用できるグラフは, ここでは,連結でなくてはならないので,そのことを調べる必要があって, 証明で省略した場合では, 辺を1つ取りさった後のグラフが2つの連結なグラフに分解してしまうこともありえて, そのときには, これらを合せた $G'$ ではなくて $G'$ の連結な部分グラフの一つ一つに帰納法のステップの仮定を適用する, ということが必要になります. この場合連結な部分の持っている辺の数は, もとの $G$ の辺の数より小さいことしか分らないので,それが, 同値だが強いように見える帰納法の原理のバージョンを用いたことの理由です.

Euler の定理の逆の帰納法による証明で分らないことがあります. $G'$ の辺の数が $\ell$ で頂点の数が異る場合には $G'$ がそれぞれの場合に一筆書きできますか?
Euler の定理の逆の証明で $n$ に関する帰納法で証明している命題は, 『辺の数が $n$ のどんな連結な多重グラフ $G$ でも,(1) か (2) を満たせば, 一筆書きを持ち,$G$ が (1) を満たすときには,どの頂点に対しても, その頂点から出発して同じ頂点に戻るような一筆書きが存在し,(2) を満たすときには, 次数が奇数の2つの頂点のうちの片方から出発してもう片方で終るような一筆書きが存在する.』 です.だから,帰納法のステップでの仮定で,すべての $\ell\lt m$ に対して, この仮定が成り立つ, としたときには,『辺の数が $m$ 以下のどんな連結な多重グラフ $G$ でも,(1) か (2) を満たせば, 一筆書きを持ち,$G$ が (1) を満たすときには,どの頂点に対しても, その頂点から出発して同じ頂点に戻るような一筆書きが存在し,(2) を満たすときには, 次数が奇数の2つの頂点のうちの片方から出発してもう片方で終るような一筆書きが存在する.』 という仮定をしたことになります.つまり,頂点の数はここでは問題にはなりません. ただし,ここで考えている $G$ は連結なグラフなので, 辺の数が $\ell$ なら頂点の数は最大で $\ell+1$ です(これも帰納法で示せます).

前回と今回でアルファベットの使い方が違っていたので, できるかぎり統一してほしいと思います.
前回と今回では内容的には同じ証明を板書とスライドという違ったやり方で繰り返したわけですが, その場だけで使っている記号 (数学の用語では local な変数などと言います) の使い方がそれぞれの回で違っていました.でもこの local な変数は, ひとつながりの議論で統一的に使われていれば何でもよくて,その後は使い捨てになるものなので, 固定することに意味がないし, 記号の衝突 (違うものを同じ記号であらわしてしまっている) をさけるために, いつでも呼びかえができるようになっていなくてはいけないものでもあります.

前回と今回では,一字一句同じ話し方で2回同じ話をする, ということが目的ではなくて, 違うプレゼンテーションの仕方で,むしろ意識的に違う話し方で説明して, 相補的に理解を深めてもらう,ということが目的だったので, あえて細部を揃えることをしなかったのです.


10月06日のリアクションペーパーでのいくつかのコメントに対する答え

ノートをとる時間がないので工夫してほしい.
スライドで講義をすると, 講義の速度が早くなりすぎてしまうことがあるので,注意します.でも理想としては, 質問やコメントでブレーキをかけていただけると,こちらとしてはやりやすいです. クラスもそれほど大きくないので, あまりプレッシャーを感じずに質問ができるのではないかと思いますので,よろしくお願いします. それから,講義で使ったスライドはネット上に公開するので,それを活用してください.

パワーポイントが文字だらけで少し読みにくかった
まず,この講義のスライドはパワーポイントで作ってはいません. LaTeX というプログラムの beamer と呼ばれるパッケージを使っています. パワーポイントは必ずしもアカデミックな講演のために設計されていなくて, 字があまり読めないような人のために作ってある, ということがあると思います.
  それで, パワーポイントのプレゼンテーションに馴れた人には, 私のスライドは文字が多いと感じることもあるかもしれません. 日本語は画数が多くて手書きしにくいので, 板書などもキーワードを書くだけの人というのも多いのではないかと思いますが, 書かれた文章は, 逆に画数が多いことから文字認識がアルファベットよりずっと速くできるはずです. いずれにしても本格的な内容の話をしようとすると,言葉を多く使うしかないので, これは,こういうものだと思ってつきあっていただくしかないのではないかと思います. もちろん不必要な冗長さが生じないようにはできるだけ気をつけますが.

休んでも次回からついていけるような講義だとありがたいです。
毎回,できるだけ,その回で話が self-contained になるようにするつもりではいます. 講義のスライドなども web page に置く予定なので, 休んだとしても「ついてゆく」手立てはあるようにはなるはずです. ただし受講者が休むことを想定して講義を進めるということではありません.

最近,ウィキペディアの全てのコンテンツは6回のジャンプで必ずどのページから始めても見ることができる, という話を聞きました. 今日の講義の「世界中の人間の友達の友達の …」の内容と類するものを感じました. もし素人にも分るのであればその数学的証明を聞きたいです.
「世界中の人間の友達の友達の …」が大体6人で誰から誰にでもつながっている, というのは small world conjecture と呼ばれている予想です.
  ただし,これは,どのグラフでも成り立つというわけではありません. たとえば7個の頂点が一直線につながってるだけのグラフでは成り立ちませんよね. それから,世界中の人間といっても,例えば友達を一人も持たない人だっているので, 言えるのは 「世界中のほとんどのすべての2人について, 6人友達の友達… の連鎖で結ぶことができる」 ということだけでしょう.
  その意味で,これは証明のできる数学的な事実というわけではありません.
  たとえば,もし世界中の人がそれぞれ3人以下の友達しかもっていないとすると, ある人から出発して,6人経由してつながりあえる人の人数は高々 31+22+23+24+25+26=127 以下です. このことから, 友達の友達の… という連鎖を6人経由すると, この連鎖には数人の非常に沢山の友人を持っている人が数回は必ず経由されている, という状況になっていないと small world conjecture が成立しないことがわかります.

実際に生活の中でも数学の考え方が見られたり応用されているのであれば学んでみたいと思います。
このコメントの意味がうまく理解できていないかもしれません.そのため,以下は, これを言ってくれた人の意図とはくいちがったことを言っているかもしれませんが, そうだったらごめんなさい: 「生活の中」ということですが,ただ現代文明を亨受して生活する,ということだけなら, 別に数学なんていらないでしょう. たとえば,ペットだって現代文明の居心地の良さを亨受しているわけですが, 彼等は多分,数学とは無縁ですよね.
  あるいは,このコメントが,現代文明の成立に 「数学の考え方が見られたり応用されているのであれば」ということを言っているのだとすると, これはもっとよく分らない気がします. 「数学が応用されている」というのが何を指しているかにもよるかもしれませんが, いずれにしても,数学(の応用)がなければ当然現代文明が成立しないことは誰にでも明らかなことだと思うので, そこでわざわざ「であれば」と言っているはどういう含みを持たせようとしているでしょうか?
  それよりもまず,数学や科学が「生活の中で役立つ」ことは重要かもしれないけれど, そのことは数学や科学自身がそうであるようには面白いこととは思えないので, 似たようなコメントをしてくれた人が複数いたことは,なにかとても不安な気持にさせられます.


Last modified: Sun Nov 27 11:06:10 +0900 2011