数学の考え方

これは,中部大学 2004年度秋学期開講の「数学の考え方」(担当: 渕野 昌)の web page です. このページには,補助教材へのリンク,講義の説明の補足の他, 講義のときに出された質問や, 講義中に書いてもらったリアクション・ペーパーでの受講者の質問やコメントに対して, 講義で答えられなかったり,説明不足だったものについての私の答,などを置きます. 受講者の皆さんからの質問,コメントは,こちらで編集してもとのものとは若干異なっていることもあります. また古い日付の質問やコメントに対する答えを,後で書き足す可能性もあります. Work in progress 方式ということです.

このページに関するコメントを歓迎します.外野からのやじも大歓迎です.私あてに email をおよせください. ただし,いただいたコメントのすべてにウェブ・ページ上の記載やメールの返信の形で, お答えできないかもしれません.何も反応がなかった場合には,悪しからず. ...


レポートの課題 3.のための参考文献
9月28日の講義のリアクション・ペーパに関するコメント
10月5日の講義のリアクション・ペーパーに関するコメント
11月9日の講義のリアクション・ペーパーに関するコメント
12月14日の講義のリアクション・ペーパーに関するコメント
2002年春学期の「数学の考え方」の web ページ


レポートの課題 3.のための参考文献
12月21日の講義にレポートの課題を説明しました.そのうち課題 3. は, 数学に関する本やホームページを読んで,それに関する感想,自分なりのまとめ, 自分で考えたり図書館やインターネットなどで調べて説明を補足したりしたもの, などを書くというものでした.以下に,この課題に適当と思われる本やホームページなどを, 思いつくままいくつかあげておくことにしますので参考にしてください. ほとんど全部中部大学の図書館にある本です.
[この項はまだ書きかけです. リストはもう少し拡張される可能性があるので明日もう一度チェックしてみてください.]
12月14日の講義のリアクション・ペーパーに関するコメント
12月14日に「0.9999 ... と 1 が等しいのはなぜかを説明してください」という課題を出しました. 講義での循環小数の解説を参考にして,内容的には次のような答を出してくれた人がほとんどでした:
x=0.9999 ... とおく.このとき,10x=9.999 ... となるから, この等式の両辺から前の等式の両辺を引くと,9x=9.000 ... となる.したがって x=1 である.
この議論はこれで全く正しいのですが,でもなんだかちょっとだまされたような気もします. 実は講義の中での循環小数の話もそうでしたが,そもそも無限小数とは何なのか? という点をうまくすりぬけて議論がなされていたようです.たとえば,上の議論で用いた
10×0.9999 ...=9.999 ...
というのは本当なのでしょうか? 有限桁で終っている小数については,このような計算は正しいことは, たとえば,0.156 は 156/1000 と書きなおせることから, 約分の計算から
10×0.156=10×156/1000=156/100=1.56
となることから明らかです.でも 無限小数の場合,上の 10×0.9999 ...=9.999 ... は正しいとしても(実際正しい計算ですが) その正しさの保証は,有限桁の小数のときと同じようにして与えることはできないみたいです. 実は,無限小数は,たとえば,πについて考えると,
3.14592653589793238462643383279 ...
というのは,
  1.     3
  2.     3.1
  3.     3.14
  4.     3.141
  5.     3.1415
  6.     3.14159
  7.     3.141592
  8.     3.1415926
  9.     3.14159265
  10.     3.141592653
  11.     3.1415926535
          ・
          ・
          ・
と桁数をどんどん増していってできる無限列のどんどん近づく先の数のこと,と定義します. このような列をとったとき,いつでもどんどん近づく先の数は本当にあるのか? という疑問が出てくると思いますが,実は, 数学では,そのようなものがいつでもある,という性質が成り立つように実数の全体を構成します. 「どんどん近づく先」のことを数学用語では極限 (limit) とよびます.

ここで,0.999999 ... の問題に戻ると,0.99999 ... という無限表記は,

  1.     0
  2.     0.9
  3.     0.99
  4.     0.999
  5.     0.9999
  6.     0.99999
  7.     0.999999
  8.     0.9999999
          ・
          ・
          ・
という列の極限をあらわしていることになります.ここで 1 と,上の列にあらわれる数 0, 0.9. 0.99 ... の差を考えてみると,
  1.     1 - 0 = 1
  2.     1 - 0.9 = 0.1
  3.     1 - 0.99 = 0.01
  4.     1 - 0.999 = 0.001
  5.     1 - 0.9999 = 0.0001
  6.     1 - 0.99999 = 0.00001
  7.     1 - 0.999999 = 0.000001
  8.     1 - 0.9999999 = 0.0000001
          ・
          ・
          ・
と,どんどん 0 に近づいてゆくので,その極限は 0 です.実数の足し算や引き算は, 極限をとる操作と順番を変えられるように導入されているので,このことから,1 - 0.99999... = 0 つまり 1 と 0.99999... は等しい,と結論できるわけです.ここで問題です.0.99999... の 10倍が 9.9999... となることを上の無限小数の説明を用いて説明してください.
11月9日の講義のリアクション・ペーパに関するコメント

問題.

5人の人が集まったとき,その中に少なくとも二人は同じ月に生れた人がいる確率を求めよ. ただし,どの月に生れる確率も等しいものとする.

解答例.

5人の人の誕生日の月の可能な組合せは,12の5乗 (=248832) ある.一方,5人が5人とも違う月に生れている ような誕生日の組合せは,12x11x10x9x8 (=95040) 通りある.したがって, 少なくとも二人は同じ月に生れた人がいる組合せは 248832通りのうち,この 95040 通り以外,つまり, 248832-95040=153792通りである.どの月に生れる確率も等しい,という仮定から, これらの組合せはすべて等確率で起ると考えてよいから,求めている確率は 153792/248832=0.6180555... となり,約 62% であることがわかる.

今確率について教えていただいていますが, 前回の講義で "n P m", "n C m" が出てきましたが, "C" は チョイスの C だとおっしゃられたのですが,僕は "P" はパームテイションの P "C" は コンビネーションの C と習ったのですが,違うのでしょうか?

調べてみたところ,君の言う通り "permutation" と "combination" がそれぞれ "n P m" と "n C m" の P と C の由来のようです.不確かなことを言ってごめんなさい.

5人の人が集まったとき,その中に少なくとも二人は同じ月に生れた人がいる確率の問題で, 友人で考えてみたら誰一人として同じにならないので不思議な気がします.

62% というのは,1/2 強ということですから, たまたま,5人くらいの友人の誕生日が重ならなくれも, それほどびっくりすることでもないと思います. もし,たとえば 5人の組を 10組くらい(ランダムに) 作って,どの組にも同じ誕生日の人がいなかったとしたら,これはかなり驚くべきことでしょうが. ちなみに,5人の組を 10組作ったときにどの組にも同じ誕生日の人がいない確率は, 1 - 0.6180555... の 10 乗で,これは 0.0000660696... という限りなく 0 に近い値になります.

数学の中で問題を考えると,頭を使うのでかなり疲れます.

数学の問題を考えると疲れるというのは,自然なことです. 運動不足の人が急に運動すると,次の日に筋肉痛になったりしますが, 考えることもこれと似たところがあります. 毎日運動をすると筋肉が鍛えられて,ちょっとの運動では筋肉痛になったりしなくなるように, 日頃考える習慣があると思考能力も鍛えられてゆきます. ただし,「馬鹿の考え休むに似たり」という諺もあるように,やみくもに考えるのではだめで, どうやったら効率良く考えられるかについて考えながら考える, また自分が考えていることが間違っていないか, それをチェックするにはどうしたらいいか,についても考える, というようなことも必要です.スポーツ選手の場合には, コーチがどういう練習をやったら効率的かを指導してくれるわけですが, 頭の使い方に関しては,自分で自分流のやり方を考案してゆくしかないように思えます. まあ,数学的な頭の使い方に限定して言えば, この講義でも, 考えるヒントのようなものを色々と提供していっているつもりですが.
それから,数学といっても,数学の研究の最前線の仕事をしているときの,頭の使い方は,君が 「数学の問題を考えると疲れる」と言っているのとはちょっと桁の違うものです. たとえば未解決の問題を解くために2年も3年も考え続けるということがあります. この場合もちろんその問題だけを考えているわけではありませんが,問題がいつも頭のすみにあって, 歩いているときや眠っているときにも,その問題を反芻して考え続けることになります. このように長期にわたって考えるときには集中力だけでなく持続力も必要です.
もちろん考えるべき問題というのは,数学の問題に限るわけではありません.問題によっては, ただ考えるだけでなく行動しながら考えることが必要になる場合もあるかもしれません.
逆に何も考えずに脳死状態で一生を送ることもできなくはないでしょう. これはその人のその人の選択の問題なので,とやかく言うべきことではないのかもしれませんが, 私は,人間どうせいつかは死んでしまうのだから,それまでに, 思考能力を含む自分が潜在的に持っている可能性を全部出しきってみる方が, ずっとお得なのではないか,と思うのですが ...
それから頭をつかうことに関しては, もし積極的にいろんなことを考えてみようと思うなら,君たちは今が最後のチャンスです. 私の経験から言うと,思考能力の老化は非常に早くはじまるので, 遅くとも20歳台前半くらいに老化の歯止めをかけたり,改善をはかったりしはじめないと, その後はもうとりかえしがつかないことが多いようなのです.

10月5日の講義のリアクション・ペーパに関するコメント

← このマークは何なんでしょう?

ギリシャ文字の小文字の ``ファイ'' です.ギリシャ文字のファイにはほかに異字体の φ (← コンピュータのフォントセットによっては, ここで上の"マーク"と同じ記号が表示される可能性があります)と大文字の Φ もあり, どれも数学で使われることが多い文字です. 数学ではアルファベットだけでは記号が足りなくなることが多いので, ギリシャ文字やヘブライ語の文字なども使われます.

9月28日の講義のリアクション・ペーパに関するコメント

音楽と数学の関係についての話を聞いてみたいと思います. (高校で数学教師をしていた祖父が 「音楽ができる人は数学もたいていできる」と言っていてそれは真実かなと思ったので)

講義で音楽と数学の関係についての話ができるかはどうかはわかりませんが, 確かに,音楽と数学には深い関係があるという主張を聞くことがあります.ただ, 「音楽ができる人は数学もたいていできる」というのはむしろ「できる人はなんでもできる」 ということなのかな,という気もしますが ... 「音楽ができる」というのは, 耳や演奏能力ということでしょうか?
美学的な面では音楽と数学の間には色々と共通点があると思いますが, 能力ということに関しては音楽の演奏能力と数学的能力の関係はあまりないような気がします. もっとも数学者の中に音楽の好きな人や楽器の演奏にたけている人が沢山いることは事実です. 私がベルリンの大学につとめていた時に, 客員研究員としてやはりベルリンに滞在していたスイス人の数学者は, チューリッヒの ETH(工科大学)で博士論文を書くのと平行して, チューリッヒ音楽大学でフルートの演奏家試験をうけて卒業した人で, 彼とはバッハのフルート・ソナタやプランクのフルート・ソナタなどをあわせたりしました. この人のように音大まで出てしまった数学者はそれほど多くないと思いますが, アマチュアの演奏家なら沢山います.
数学の基礎付けに関する研究をしたパウル・ベルナイズ(1888--1977)は, 若いころ,音楽家になるか数学者になるか迷ったことがあるということで, ピアノをよく弾き,ヴィーンのオーケストラに演奏されたことのある作曲もある,ということです. 日本人の数学者の例で言うと,幾何学者の小平邦彦(1915--1997)はピアノが趣味で NHK のインタヴュー番組でショパンの小品の演奏を披露したことがあるということです.
理論物理学者というのも広い意味での数学者と言えると思いますが, 量子力学の創設者の一人であるハイゼンベルクもピアノの名手だったということです. またアインシュタインはバイオリンをよく弾きましたが, ハイフェッツだか誰だか高名なバイオリニストと合奏をしてもらったときに, 休符がうまく数えられなくて,「あなたは高名な数学者なのに 4も数えられないのですか」 という皮肉を言われたというエピソードが残っています.
一方,クラシック音楽の作曲と数学の研究は, ともに今までにないものをほとんど無から作りだす, という意味では共通点が多いように思えます. しかし,音楽家で,数学に興味を持っていたり, ある程度の知識を持っていたりする人はあまり多くないように思えます. ジョルジュ・リゲティというハンガリー出身の20世紀後半以降の西洋音楽を代表する作曲家がいますが, この人のインタビューをまとめた "Träumen Sie in Farbe?" (あなたは原色の夢を見ますか?)という題の本を最近読みました. この本での彼の発言を読むと,リゲティは現代数学に大変興味を持っていることがわかります.
芸術家の中には,数学を応用した,とか物理学を応用した,というのをセールスポイントにしたり, 自分の作品の権威づけに悪用する人も少なからずいます.しかし,これはここでは問題外でしょう.

身近な生活にどのような数学が使われているか知りたい.

これはなかなか難しい要求のような気がします.よく, 「私は ... 年生きているが,いままでの人生で○○は一度も使わずにすんでいる」 というような発言をする人がいます.○○は,微分だったり積分だったり三角関数だったり色々ですが, 極端な言い方をすれば,知的レベルの面では石器時代の生活をしていたとしても, ある意味では現代文明の恩恵にあずかれるわけなので,そう考えると, 身近な生活では,べつに自分からはどのような数学も使わなくてもいい, というのが答のような気もします.
「身近な生活にどのような数学が使われているか」というのが, 「身近に毎日体験するような事柄とむすびつけた数学の話がききたい」という意味なら, たとえば,コンピュータ1つとっても,これと関連した数学の話をしようと思ったら 2学期かけても3学期でもかけても終らないくらいの分量の話ができます. 実際私が今執筆中の本のうちの一冊はコンピュータの数学に関するものですが, 書いているうちに出版社に言われていた分量におさまりきらないことがわかってきたため, 分冊して2つの本にしようと考え出しています.

簡単すぎてつまらない.授業スピードが遅い.

簡単すぎてつまらない,というのは本当でしょうか?
もちろん難易度の高い講義を早いスピードでやる方がこちらはずっと楽なのですが.
これを書いてくれた人がどういう意味で「簡単すぎる」と言っているのか説明がないため, こちらで臆測して書くしかないのですが,ひょっとするとこれを書いた人は 「講義の先を読む」ということを全くしていないのではないかと思います.たとえば, この一回目の講義では, 「ベクトルの足し算や定数倍は数の足し算や定数倍とよく似た性質を持っている」 と言ったと思いますが,もちろん,私は,受講者がこのリマークを聞いて 「何が似ていて何が違うか」ということを先読みをして自分で考えてみるということを期待しています. たとえば,2回目の講義でも話したように, 「すべての a,b,c に対し (a+b)+c=a+(b+c) が成り立つ」 という計算規則は数の足し算でもベクトルの足し算でも成立する性質です. 逆に,数の場合は, 「すべての a は 1の定数倍として得られる」という性質が成立ちますが, 2次元以上の次元のベクトルでは,この 1 に相当するものをとることはできません. そのようなことやその他のことについて, 考えをめぐらすための足場になるようなアイデアが講義の中で沢山提供されているはずです. (この項目はまだ工事中です)

Sakaé Fuchino mailto:fuchino@isc.chubu.ac.jp

Last modified: Tue Oct 5 14:19:12 2004