定年退職にあたって

渕野昌 (Sakaé Fuchino)

私は 2009年の秋に神戸大学工学研究科に赴任しましたので, 2020年3月末定年退職までに十年ほど神戸大学に在任したことになります。 この間お世話になった多くの方々には,改めてここで感謝の意を表したく思います.

この十年というのは,あっという間だったような気がします. 欲を言うと, この十年でもっと多くのことを遣り遂げていたかったという気もしますが, 今,こちらに移籍する少し前から十数年にわたって考えていた, 反映原理と絶対性に関する研究に形がつきはじめてきているところなので, これをもってこの十年間の成果とすることにして, 少なくともこの研究をある程度の完成に導くことを,私の残り時間での課題 (の一つ) としたいと思っています.

この「反映原理と絶対性」に関する研究は, 連続体問題と呼ばれる,実数体の集合としての大きさを決定する, という集合論の中心問題と密接な関係を持つ, あるいは更に密接な関係を持つことになる可能性を持つものです. 現在までに得られた結果 (現在 (2020年2月,同僚の酒井拓史先生と学生の André Ottenbreit 君との共著で4本の論文を投稿していて,そのうちの2本が掲載予定で,今5本目の論文の執筆を行なっているところです) は, 強い反映原理が成り立つ, ということを主張する自然な公理の候補のどれかを採用すことにすると, 連続体の大きさは $\aleph_1$ になるか (つまり連続体仮説が成り立つか) $\aleph_2$ になるか, あるいは非常に大きなものになるかのどれかにしかならない, ということを示唆するものなのですが, もしこの3つのシナリオのどれもが対等に正しい可能性としてのステータスを持ったものである, という多世界宇宙的結論が最終的に得られるべき解答なのだとすると, ゲーデルの不完全性定理から,その結論は,数学的な証明としては永遠に得られないものでありえるし, 仮にその結論を示す結果が得られている場合にも, それが既に得られていることが永遠に認識できない可能性もあります. 上で「ある程度の完成」と謙虚な表現を選んだのは, このような状況の可能性の含みを込めて言ったつもりのものです. なお, この研究に関する事柄を含めた一般向けの解説が, 私のウェヴページにアップロードしてありますので,興味のある方はご覧ください.

数学の研究, 特に私の行なっている数学の基盤にかかわる研究は,現実的な問題と無関係で, それだから人畜無害,あるいは役に立たないものである, と勘違いされることが多いようです. 実際,出張などの際での科学技術の不当な流出のチェックでも, 「基礎科学研究である」ということで,幸(?) それ以上の追究を受けることはありませんでした. しかし,数学は人類の思考の最も普遍的な一般形なので, この普遍な思考の形態の敷延の能力如何によっては, 数学乃至は数学者は,「現実問題」に対しても,他とは比べようのない底力を発揮することがあります. 第二次世界大戦での,Turing や, von Neumann や Ulam のはたした役割は広く知られています. Turing については, 彼の貢献がなければ (ヨーロッパでの) 大戦の終結は2年から4年遅れていただろう, というようなことが言われることがありますが,von Neumann や Ulam についても, 太平洋戦争に対しての同じようなステートメントが, 少なくとも半年とか1年というようなタイムスパンでは言うことはできるのではないかと思います.

この3人は, いずれも私の数学研究の先達です (von Neumann に関しては, 彼の業績に関する解説記事を 「現代思想」という雑誌に寄稿したこともありますし, Ulam については,彼の巨大基数に関する研究結果のいくつかは私の日頃の研究の基礎の基礎のようなものとなっている, と言うことができます. Turing については,関係はもう少し間接的ではありますが, 彼の代表的な仕事の一つは, 上でも触れた不完全性定理と関連するものなので, その意味では私の研究者としてのありかたの意味の根底にかかわっていると言っていいでしょう. 余談ながら, 私の MacBook の待機画面では,アップルの林檎のロゴと同時に Ce n'est pas la pomme que Turing a mangé という文が表示される設定になっています. 蛇足をすると,フランス語なのは,もちろんマグリットの絵が頭にあるからです). アメリカ数学会のウェヴページには,collaboration distance (2人の科学者をつなげるの最短の共著者の連鎖の長さ) を計算する ツール がありますが, それによると,この3人の私からの距離は, 世代が異なっていて,Turing に関しては同時に生きた時間がないにもかかわらず,Turing: 5, von Neumann: 4, Ulam: 3 となっていて,私と同時に退職される数学科の野海先生と私の間の 4 と比べても遜色のないものです.

Ulam や von Neumann の Los Alamos での仕事は,日本に投下された原子爆弾として結実しているわけで, von Neumann は投下先の選定にも関わっているし, 地上からどれだけの距離で起爆したときに最大の破壊力が得られるかの計算などもしています. それを考えると複雑な思いですが,一方,私自身に関しては,この原爆の投下がなくて, 日本の無条件降伏が少しでも遅れていたとしたら, 私の父は回天の操縦者として確実に死んでいたはずなので,そう思うと,この2人は, 研究上の先達, 時代を隔てた研究の同僚であるだけでなく, 私が今生きていることを実現してくれた命の恩人でもあった, という解釈さえ可能にも思えます.

ただし,私自身は,このような,血腥い,あるいは血腥い帰結に繋がるような 「社会貢献」をせずに一生を終えたいものだと思っていますし,すぐに述べるように, 純粋科学の人類への貢献はいずれにしても別のところにあるだろうと思っています.

理科系の勉強をした人なら,ヤコビ行列やヤコビ変換などで,名前を聞いたことがあるはずの Gustav Jacobi は,1830年にパリのルジャンドルにあてたフランス語で書かれた手紙の中で,

フーリエ氏が,数学の主要目的は, 一般の用に供することと,自然現象の解明にあると言つたといふのが本当だとしても, 彼ほどの哲学者が,科学の唯一の目的が人類の知性の尊厳にあることを 知らぬはずはないし,だから,その意味で数に関する問題が 多体系の問題と同じくらい重要なことも知らぬはずはないであらう

と言っています. 気候変動などの予測を総合してみると, 人類があと100年以上存続しない確率はかなり高いように思えるし, 200年後には,現在の我々が想像できるような意味での人類の存続は不可能になっていて, しかも人類は既に疾うの昔に滅亡してしまっている,と考えるのが妥当のように思えます. そのような,状況の下で, 「人類の知性の尊厳」をまもる,というミッションは非常に重要なものになるのではないか, と思えてくるのです. 私のこれからの研究は, 少なくとも,この意味で,大きく人類へ貢献のできるようなものにしたいと思っています.


Last modified: Tue Apr 14 15:02:09 JST 2020