数理情報学 6 第3回目のレポートについて

第3回目の演習問題として,「講義の例として与えた ZF の公理系に含まれる L-文(ただし L は2変数関係記号 ε のみを要素として持つ言語)が何を 主張しているかを考察すること」という課題に対するレポートを 6月10日に 提出してもらいました.

この課題の参考資料として,以下のような,私の執筆した本の一部や原稿を挙げました:

だだし,このとき: 上に挙げた参考文献での公理系は必ずしも(verbatim に)講義でのものと 全く同一というわけではありません. という但書をして注意を 促しておいたつもりだったのですが,提出してもらったレポートの中には,上記の資料に 書いてあった文章を何も考えずに書きうつした,と思われるものが 少なくありませんでした.

たとえば,上の資料のうち, 「数学辞典第4版」に収録予定の 公理的集合論の項目では,基礎の公理の説明で,「この公理は,∈ に関し帰納法の推論が行えることを 主張している」という文章がありましたが,これをそのまま丸写ししているレポート がありました.ところが,この事実は,基礎の公理のもとの形 ∀x[¬x≡φ→∃y(yεx∧∀z(zεy→¬zεx))] からそう簡単に 分ることではありません.「ゲーデルと20世紀の論理学」 収録予定の 公理的集合論の解説 では,このことを説明するために,29ページから53ページまでが割かれています. もちろん才能のある人なら,そのくらいのことは一瞬で 見えてしまうことはありえますが,その場合には,なぜそうなのかという 理由の説明が何かあるはずなので,ここで,天才の一瞬の思索の結果としてレポートに 「∈ に関し帰納法の推論が行えることを主張している」 という説明が 書かれたのではないことはほぼ明らかなように思えます.

レポートで要求した最低線はたとえば上の基礎の公理の論理式を読み下して, その論理式の直接意味することを文章で表す,ということだったので,「∈ に 関し帰納法の推論が行えることを主張している」という 説明はなくてもいいものだったわけですが,そうだとしても,この解答を 書いてくれた人は,

というような状態のどれか(あるいはすべて)の結果として上のような解答を 書いてしまったのではないかと思います.

何かが分らない,というのは,実は,何かを分かろうとするときの出発点としては 非常に良いことのはずなのですが,日本の大学の入試対策では,分らないのは 悪いことだ,ということになっているらしく,しかも 分らなくても,とりあえずあてずっぽうで何か書いたり言ったりしてみる, というのが,受験者や,クイズ番組の出場者には奨励されていることのようです. 皆さんの中にはひょっとすると, このような入試の悪夢が尾を引いていて,「分らないのは悪いことなので分かったふりをする」, というような間違った基本姿勢を身につけてしまった人がいるのではないかと 恐れます.この場合,「ふり」をしていると,そのうちに,実は分かっていない,ということを 忘れてしまい,自分はすべて分かっていると確信してしまう,ということも 往々にして起りがちのようです.

でも,新しいことを学んだり行なったりするときに本当に必要となるのは, 自分は何が分かっていないのかをはっきりさせる,という 態度でしょう.そのような態度が,何かを本当に分るための 第一歩となるので,ここをごまかしてしまうと, つまり他人や自分自身もごまかしてしまうと,この 「分らないことを分かったふりをしとおす」,あるいは「分かっていないことを 分かったように思い込んでしまう」という他から見て非常に滑稽な,しかも 自分自身にとっても長期的には何の利益もなさそうにみえる生き方をつらぬいて 一生を終えてしまうことになりかねません.他人事,かつ, 余計なお世話にもかかわらず心配してしまうわけです.まあ,いわゆる 「社会」には,「ふり」をして一生を逃げきれるようなまがいものの「業界」も 沢山あるかもしれませんが,少なくとも(本物の)科学の世界ではこれは通用しない, ということは確信を持って言えます!

Last modified: Sat Jul 16 18:31:45 +0900 2005