カタルーニャ国立美術館は バルセロナ万国博覧会(1929)の会場だった建物ということである. 岡の上にそそり立つ巨大な宮殿のような建物である.
待合わせ場所の美術館の入口のあたりからは,バルセロナの街が一望に見渡せ, 遠くにはサクラダファミリアの尖塔も見える:
ロマネスク美術の展示のテーマは, 北イタリアや南フランスを中心に10世紀から11世紀に始まったロマネスク美術が, 辺地であったカタルーニャにどのように伝わったか,ということであったが, イタリアや南フランスとほとんど同じスタイルのロマネスク美術が, ほとんど時差なしにカタルーニャでも展開していた, というのが結論のようである.
これで思い出すのは, 日本の9世紀くらいの仏教美術が, 実は同じ時期の朝鮮半島の仏教美術のスタイルを非常に忠実に模倣していた, という事実である. 現代では,スタイルの学習や模倣は例えば写真を見てまねる, ということでも手軽にできるが,もちろん当時は写真もなければ,印刷技術もなかった. 展示には,デザインのもとになったという羊皮紙に書かれた聖書の挿絵などもあったが, 当時のスタイルの伝達が職人/製作者の移動も伴なっていたのか, もしそうならどのような形の移動だったのか, というのはとても興味深い問題であるように思える.
この後, 同じグループで夕食会がフランス駅から少し行ったところのレストランであった. ゼミの行きかえりで通るカタルーニャ広場の回りでは,英語, フランス語, ドイツ語などが飛び交っているが,このあたりは,シックなレストラン街なのに, 外国人旅行者はほとんど来ないようである. 食事では皆がカタルーニャ語で楽しそうに歓談しているのを見ると, 会話の輪に入れないのは大変残念な気がする. 今回の滞在中にこのような楽しい会話の輪に入れるようになるかどうかは, 僕のカタルーニャ語の進歩にかかっている.
たとえば,fill-column を 50 にして,TeX の ソースファイルの編集で使っているこの\ auto-fill-function で改行させると,このような 感じになります.ところが,html ファイルで, このように改行したテキストを書いて,たとえば ちょっと古い version の Internet Explorer にこれを 表示させると:たとえば,fill-column を 50 にして,TeX の ソースファイルの編集で使っているこの\ auto-fill-function で改行させると,このような 感じになります.ところが,html ファイルで, このように改行したテキストを書いて,たとえば ちょっと古い version の Internet Explorer にこれを 表示させると:
のようになって,たとえば, "TeX の" と "ソースファイル" の間などの改行が半角のスペースに翻訳されてしまいます. これは,例えば,今僕の使っている VAIO G の上で走っている Internet Explorer 7 では改善されていて, 全角文字間の改行では半角のスペースが挿入されないようになっていますが, どのブラウザで html ファイルが開かれるかは不定です --- 僕の場合でも, emacs 上では w3 で html ファイルをブラウズすることにしてるのですが, これを使うと, 改行はやはり全角文字の間への半角スペースの挿入として表示されてしまいます. そういうわけで, html ファイルで日本語の文章を書くときには, 句読点や括弧などを除く場所では改行を行わないようにするほうがよさそうです. ずっとこのような改行を行なってくれる fill-function を書かなければと思っていたのですが, 昨日ついに意を決してそのようなものを書き上げました. 参考までに,そのソースコードを引用しておきます. 短かいプログラムですが,まあ大体のところ妥当な動作をしてくれると思います.
(defvar fill-html-search-regexp "\\([a-z0-9][,.;:]?[ \t]\\|[。、,.)】」』]]\\)") (defun fill-html () "html helper mode で呼び出すための自動改行プログラム" (when (> (current-column) fill-column) (save-excursion (while (< fill-column (current-column)) (backward-word 1)) (if (< (line-beginning-position) (point)) (backward-word 1)) (if (< (line-beginning-position) (point)) (backward-word 1)) ;; 少し前まで戻る. (if (and (search-forward-regexp fill-html-search-regexp (line-end-position) t) (progn (goto-char (match-end 0)) t) (> (+ fill-column 8) (current-column)) (< (point) (line-end-position))) (insert-before-markers "\n") ;; もし行分けに失敗したら,行頭からちょっと行ったところから可能な行分けをさがしなおす. (beginning-of-line) (if (< (point) (line-end-position)) (forward-word)) (if (< (point) (line-end-position)) (forward-word)) (when (search-forward-regexp fill-html-search-regexp (line-end-position) t) (goto-char (match-end 0)) (if (< (point) (line-end-position)) (insert-before-markers "\n"))))) ;; もし space や tab で起動されて余計な spacing がされていたら消去する. (if (looking-back "[。、., \t][ \t]") (delete-backward-char 1)))) (add-hook 'html-helper-mode-hook '(lambda () (setq auto-fill-function 'fill-html)))
2つの事例のうち, (1) はバルセロナに出発する直前に起って出発前の予定を大幅に狂わせたトラブルで, (2) はどちらかというとトラブルというよりは僕自身のミスなのですが, 先週末の予定を大幅に狂わせたものです.
(1) C drive があまり大きくないので,CreativeSuite3 を C drive と外づけのポータブル・ドライヴに分割してインストールしようとしているうちに, インストールもアンインストールもできないような状態に陥ってしまいました. 色々な可能性を調べているうち, 最初は I ドライヴに割り付けられていた外づけのポータブル・ドライヴが何かの拍子で, システムによって J ドライヴに割り付けられるようになっていたことに気がつきました.このため, プログラムの一部を I ドライヴにインストールしたと思っている CS3 のインストーラーに, これらのプログラムをアンインストールをさせようとしても, I ドライヴをさがしに行って, アンインストールすべきプログラムが見つからないのでエラーになっていたようです.
これに気がついたので,(Windows Vista の) 「コントロールパネル」からのどこかのパスをつたって, 「ディスクの管理」に行ってディスク名の割り当てを変更して, いったん強制的にポータブルディスクを I ドライヴに割り当てておいて,インストールした CS3 のコンポーネントをすべてアンインストールし, その後で, 「ディスクの管理」でふたたびポータブルディスクを J ドライヴとして割り当てなおしてから再度インストールすることで, 思ったようなインストールの形態を実現することができました.
ちなみに,このようなときには,インターネット上の情報が非常に役にたちます. 今回も『「ディスクの管理」でディスク名の割り当てを変更』できる, という知識は,インターネットで検索して知りました.昔はこういう技ができなくて, ぶ厚いマニュアルと格闘したり, 自分で試行錯誤したりして眠られぬ夜を過さなくてはいけなかったので,それを思うと, ずいぶん楽になったものだと思います.
(2) オーディオデータの再生には,主に試供版の RealPlayer を使っているのですが, (今の借り住まいの学生寮にネット接続がないので) オフラインで RealPlayer を立てようとしたときにかたまってしまい,なにかの拍子で暴走が始まってしまいました. たまたまうわのそらで操作していたので,そのときの操作を正確には再現できないのですが,かたまった RealPlayer をタスクマネージャーで強制終了してもう一度新しい RealPlayer を 起動しようとして RealPlayer のアイコンを複数回クリックしてしまったのだと思います.このとき, 多分 RealPlayer が暫定ファイルのようなものをはきだした結果だと思うのですが C drive がいっぱいになってしまいました.
この場合「うわのそらで操作してタスクマネージャーで強制終了」 なんていう僕の行動が自体が間違っているので, 明らかにこれは僕の人的ミスとしか言いようがありません. 実は,この後,下に書くような,もう一つの人的凡ミスの上塗りをしてしまいました. ここでお茶でも飲んで頭を冷やしてから対処を考えていれば, 大事にいたらなかったと思うのですが, そういうときにかぎってあせってエラーを重ねてしまう, というのは何度経験を積んでも直らないみたいで …
このままではコンピュータが終了できないので, RealPlayer 関連のプロセスを再度タスクマネージャーを立てて全部強制終了して, いらないプログラムをアンインストールしたり, 自分のディレクトリーの整理をしたりして, C drive 上のとりあえずのディスクスペースを確保して再起動した後, 暴走のあと立たなくなってしまった RealPlayer をアンインストールして,(ネットにつながる CRM に行って)再度, 試供版の RealPlayer をインストールしなおし, これを立てると,幸にもゴミあつめをしてくれたようで, いっぱいになってしまっていた C drive が解放されて十分なスペースができて一安心. 新しい RealPlayer が無闇にネットにアクセスしないよう設定を変更して, これで一件落着 …
… のはずだったのですが, なんと,ディスクスペースを作るためにプログラムのアンインストールをしたときに, 勢いあまってオーディオデータの再生のためのドライバーまでアンインストールしてしまっていたのです! RealPlayer で昨日買ってきた CD を再生しようしても,スピーカーやヘッドフォンには何の音も出てきません!!
これで CD もドイツ語のラジオも僕の VAIO G 上では永遠に聞けなくなってしまったかと思って青くなってしまいました. ここで,悪あがきをしていたら, さらにミスを重ねてもっと大変なことになってしまっていたと思うのですが, カタルーニャ国立美術館の美術の修復の担当をしている人に, この美術館のロマネスク美術のセクションを案内してもらう, というイベント の待合わせの時間が近づいてきたため, 作業を一時中断しなくてはいけなくなったことが幸して, 冷静な判断をとりもどすことができ,悪循環を絶つことができました: 日本にいる連れあいが同じシリーズのコンピュータを持っているのを思い出したので, 美術館から帰ってきてから, 消してしまったときの記憶をたどって「… カニさんのロゴのドライバーの名前と会社を教えてよ」 というメールを書いて,このドライバーが,Realtek High Definition Audio Driver というものだということを教えてもらい,この Driver を製作した会社の web page に free software として置いてあったこのドライバーをダウンロードして, 無事再インストールすることができたのです. また,これで,名前に "real" が入っていたため, RealPlayer の関連のドライバーと勘違いしてアンインストールしていたらしい (本人は間違って消したときの状況をよく覚えていなかったので)という「人的凡ミス」 の理由も分りました.
上のように書くと,「トラブル」なんていってもそんな大した問題ではないし,問題の解決も 難なく簡単にできてしまっているではないか,という印象を与えてしまうかもしれないですが, 実際には,上の2つの例のようなトラブルが起ったときには,当然ながら, その原因の説明などなしに,現象としてのトラブルそのものをつきつけられるわけなので, そのショックやパニックの中で,ある程度冷静を保って原因を正しく推理し, 解決法をあみ出さなくてはないというのは,たいへんなストレスなわけです. たとえば (2) で C drive が一杯になってしまったのが, RealPlayer の暴走の結果だということは,すぐに分かったわけではなくて, どのプロセスがどの重さの作業をしているかを調べてみてはじめて分かったのですが, この原因不明の状態での作業というのは,非常に不安な気分にさせられるものです.
Joan から聞いた Tagamanent の修道院の最後の修道士の話:
Tagamanent の 修道院の最後の修道士が歳をとって,もう山を降りたいと思い,許しを得るために 大司祭を修道院に招待した.Tagamanent の修道院は Tagamanent の山頂にあるので, 修道院を回ると 360°のパノラマが見渡せる.「こちらがピレネー山脈の眺めでござい ます.」と修道士.大司祭はおおいに感激して「これはすばらしい眺めじゃ. こんなにすばらしい景色を毎日ながめていられるとは,君も大変な幸せものだな.」 「むこうに見える街がヴィックでございます.」「うむ.」 「こちらは,バルセロナの眺めです.」「すばらしい.」 … 「こちらがピレネー山脈の眺めでございます.」 「でもこの景色はもう見たではないか」「むこうに見える街がヴィックでござい ます」「???」「こちらは,バルセロナの眺めです」… こうして 三周か四周するうちについに大司教もついにしびれをきらして,「もうよい.もう沢山だ!」 「大司教,今『もう沢山だ』とおっしゃいましたが, それなら,この景色を十年一日眺めて暮している者が,どれだけ,もう沢山と思っているか, 御察しがつきましょう.」
そこで大司祭も修道士の言うことに一理あることを認めざるを得ず,修道士が Tagamanent 山を降りることを許可したというこである.それ以来,この修道院は 廃墟となって,今日に至っている.
なんだが一休さんのとんち話を連想させるような逸話だが, この話はそんなに昔のことではなくて,カタルーニャの産業が復興し工業化が進んで,Tagamanent の 回りの山で牧畜を営んでいた農家が次々に家をたたんで都会に労働者として 出てゆくようになり,修道院のミサに集まる人もまばらになってきた60年代くらいのこと, とのことである.
農村の人々が次々に労働者として都会に出てゆく,という現象は, 日本の50年代や60年代にもあった.そのころ,僕はといえば 農村から出てきた人々が次々と集まってくる東京で,子供時代を過していたのだった. 3年ほど前に映画館にかかった「三丁目の夕陽」は, 戦後版の「東京物語」とでも言えそうであるが, この映画はまさにこの50年代の東京が舞台になっていて, そこでは,東北から集団就職で東京に出てきて, 街の個人経営の自動車修理店で働く女の子が, ストーリーの重要な登場人物の一人である.
Joan は大の映画ファンである.美術学校に通っている彼のお嬢さんも, お父さんの趣味を受けついで,将来は映画監督になりたいと思っている.去年 Barcelona を訪れた Joerg Brendle に持っていってもらって, Joan にこの「三丁目の夕陽」の DVD をプレゼントした.どうだったか聞いてみると, この映画の表現している50年代の日本の状況は身近なものとしてとてもよく分る, ということだった.
「数学は難しい」というステートメントを考えるとき,まず, このステートメントの主語(日本語には文法的な主語がない, という議論については,ここでは目をつぶってください)になっている「数学」を, 何と捉えるかで, このステートメントの意味がだいぶ違ってきます.このステートメントが,ごく平均的な,日本の, 大学を含む高等教育機関に石をなげたときにぶつかるような人による設問あるいは主張だとすると, このステートメントでの「数学」とは高校や大学で受身で習う (とそれを教える人を含む多くの人に信じられている)「公式とその応用と計算」のようなものでしょう. さらに退化した把握の仕方として「公式の暗記とその応用の暗記と計算」というのもありえます. でもこれは,いくらなんでも問題外なので,ここでは除外することにして,「公式とその応用と計算」 に踏みとどまったとしても, 普通,数学者はそのようなものを数学と思っていないので, ここでまず大きなコミニケーションギャップが生じてしまうことが多いと言えます.
それはさておいて,もし,「数学」というのをこのようなものとして解釈するとして, その解釈での「数学は難しいのか?」という質問に対しては, 「面倒くさいが難しくはない」というのが妥当な答えになるのではないかと思います.
しかし,そう言いきってしまうと,ちょっと不安も残ります.そう思うのは,最近, 「人間の平均的な理解能力や思考能力は, ひょっとすると我々が思っているよりずっと低いのではないか」 と考えさせられるような,事例をいくつか見ているからです.
こう言うと,大学の教員の方々は 「確かにこのごろの学生は …」 と考えてしまうかもしれませんが, 僕がここで言っているのは,もっと違ったレベルの事柄です. いくら日本の大学での知性が荒廃しきっていると言っても, 大学教員や大学生は日本人のポピュレーション全体から見れば,まだ一種の知的エリートで, 「人間の平均的な理解能力や思考能力」を反映する集団ではないでしょう.
僕の言っている事例の一つは,最近の日本のテレビのクイズ番組などで, 「おばかキャラクター」を体現する若いタレントが増えていることです.もちろんこの 「おばかキャラクター」自身は単なる演出かもしれないし, これが直接日本人の若者の知性を代表していると考えるのは軽率ですが, このようなキャラクターがテレビで受けるためには, 「自分はあれほどはバカでない」と安心できる集団と, 「自分と同じレベルの知性の人間でもああやってテレビに出てもてはやされている」と 勇気づけられる集団のバランス点に, おばかキャラクターの知性度が設定されていなくてはならないはずなわけです. 「そこで彼等の体現している知性をあらためて見てみると ….」
「人間の平均的な理解能力や思考能力」を示唆するもう一つの事例は, 僕自身の次のような実験(というか切実な要求に対して帰ってくる反応)にあります.これは, 今はヨーロッパに来て,日本の本州中部を離れてしまったので,体験できなくなっていますが, 東海道新幹線の座席指定をするとき,僕は次のような要望を出すことにしています:
列車がN700なら5号車の席を,それ以外の車種なら6号車の席をお願いします.煙草がひどく苦手なので,喫煙車両と隣接している車両や,N700の喫煙ルームが 近くにある車両の席は避けたいのですが,その条件で 指定車両というと,これしかないのです (旧来の,つまりN700以外の新幹線車両では12号車もこの条件に該当するのですが, 東京駅では12号車のとまるちょうどその場所のホームに喫煙コーナーが設置されているため, 少なくとも下り列車では12号車は避けたい,という事情があります). ところが,この条件文を言ったときに, これを正しく理解してくれる係員は 50% に満たないことが往々にして判ってきて愕然としています. よくある勘違いは,僕が N700 に乗りたいと言っているのだと思って, 別の接続を探そうとしてくれる,というものです.JR の職員は,日本全体のポピュレーションの知性の分布の中で決して下の方にいるとは 思えません.その人達の半数以上が条件分岐の思考についてゆけない, ということの意味を考えると,結論としては最初に述べた 「人間の平均的な理解能力や思考能力は, ひょっとすると我々が思っているよりずっと低いのではないか」 というところに落ちつくしかないように思えるわけです.
そこで,「公式とその応用と計算」というような種類の,巷で言われるところの「数学」を 「面倒くさいが難しくはない」と片づけてしまうことを, 「我々が思っているよりずっと低いのではないか」と危惧されるところの 人類の平均的な理解能力や思考能力に照しあらせてみるとき, この発言は高慢と非難されても仕方がないのではないか, とも思えてくるわけです.
それでは,もう少し条件をつけて, 「少なくとも,大学に進学できた学生に対しては,数学は, 面倒くさいが難しくはない,と言うことができる」という答はどうでしょうか? この答は,理論的には限りなく正解に近いように思えます.しかし, この答があくまで「理論的」な正解であることは, 大学で教養の数学を教えたことのある人は誰もが身をもって体験していると思います. 高校の数学や大学の教養科目としての数学の教育が, 理想とはほど遠い,多くの問題をかかえた形でデザインされ実践されている,というのは事実ですし, それだから改善の余地も沢山あることも確かなのですが,毎学期, これを採点しているとこちらの頭が悪くなってしまうのではないか, という恐怖すら感じさせるような学生の答案を前にして, ほとんどの学生が落第しなかったことになっている,捏造成績ではない成績を,捏造する, という不可能な苦行を強いられていると, 本質的な問題は教える側以外にもあることを実感せずにはいられません.
[この項目はまだ書きかけです.]
一方,この化学科の会合の少し後,神戸で開かれた研究集会で, ベルリンでゼミなどで毎週何回か顔を合わせていた,いまはアムステルダム大学の教授になっている Benedikt Loewe と11年ぶりに再会した.彼のドイツ語の Mundart というか話し方のくせはすぐに 思い出したし,言葉を交していると,僕の方も,最近は全く使うことのない, あの当時のドイツ語の語彙や人名,地名などが,自分でもびっくりするくらいすらすら出てきて, 昔話もはずんでいるのに,本人を前にして変な話だが,Benedikt が本当にこの 顔の人だったのか自信がもてなくて,じれったい思いをした. たった10数年前まで頻繁に会っていたわけなのに,彼とは, 化学科の同級生との時間の隔たりは全く別の時間の流れの中にいるようだ.
4月1日からスペインのバルセロナに来て, CRM 数学研究所 の客員研究員として滞在している.そういうわけで, ついにこのバルセロナ日記は本当に "バルセロナ日記" になったわけである. CRM は2年前にも1ヶ月ほど滞在した.そのときの滞在については, 数学セミナーの記事 や中部大学の 学内雑誌の記事 などにも書いたが,今回こちらに来てみると,そのときの記憶がそのままつながって 昨日からずっとここにいたような不思議な感覚を味わった.こちらで見る風景を,「``昨日''に 見たので細部までよく知っている」,と感覚じるのは一種のデジャヴでもあるのだろう. 一昨年日本に帰ったのと今回こちらに来たのがほぼ同じ季節だったことも,この 記憶の混乱を助長しているようだ.
似たような擬似デジャヴの感覚は,昔,ヨーロッパに住んでいて, 日本に一時帰国したとき,何度も味わったことがある.
しかし,二年前の(declarative な情報の)記憶は実際によく残っていて,勝手が判っているので, こちらの生活はとてもスムーズに始めることができている.
こちらでは大学の雑務や講義から解放されているので,久しぶりに 研究に集中できそうである.でも,逆に 「こんな良い環境にいるのだから良い結果が出せなかったらおかしい」, というプレッシャーが重くのしかかっていることも事実である. もちろんこのチャレンジを受けてたつつもりで始めたバルセロナ滞在ではある.
「数学が役にたつ」ということがどういうことかを検証してゆくと, 最終的には「数学とは何か」という問題につながることになるはずですが, これに対して「数学は難しいのか」を検証することは, 我々と数学の関係をつきつめることになるだろうと思うのです.
「数学なんてぜんぜん難しくないよ」というのは,「数学は難しい」 という恐怖感にとらわれてしまっている人に対する教育的配慮としての発言ではありえるでしょうが, しかし,本当のところ事情はそんな簡単なものではないはずです. [これについては後でまた取り上げます]
「壮行会」というような時代がかった表現はできればやめてほしいのだが….
壮行会と言えば,日向子さんの「前夜」という, 外国への留学を明日にひかえた明治時代の二人の若者の壮行会を描いた作品がある. この中で,壮行会をぬけ出して夜風にあたっている二人の会話に
「今朝親父の位牌にいとまごいさせられたよ。おふくろの奴 水盃でも交さんばかりサ。」というのがあった.しかし,当時,あるいは当時より少し前の江戸時代の伊勢詣りは, 今日の富豪が(ヴァージンかなにかに大枚のお金をはらって)無重力体験宇宙旅行をする, というのに近い感じだったのではないだろうか?
「うん。」
「だからこのごろじゃ留学なんざ伊勢詣と同じで猫も杓子も行くンだと言ってやったンだ。」
昨日の外国留学が一昨日の伊勢詣りだったとすると,今日の外国滞在は明日の宇宙旅行となるだろうか?
僕が始めてヨーロッパに渡った1979年は, この二人の若者が日向子さんの夢の中で 外国留学したときからもう100年近くたっていたことになるわけである. しかし,当時の僕には,外国に出ることは, 依然として「伊勢詣」というより,もっと決死の行為のように思われた. あの当時,僕を含めて,日本に住んでいた平均的な若者にとっては, 「外国」というのは, まるでフィクション中のような,ほとんど実在しない世界のように感じられていたのではないかと思う. その「どこにもない場所」に,しかも初めて乗る飛行機に乗ってのりこんでゆく, というのはとてつもない冒険のような気がしたのだった.
なにげなく聞いていると, 大臣の答弁の中で,事故直後イージス艦からヘリコプターをとばして人の移動を したのは,主に怪我人の輸送のためだった,この怪我はかなりの程度のものだったので 輸送せざるをえなかったのだ,というような説明をしている.もしそうだとすると, 防衛庁が隠蔽したがっているのは,衝突事件に関することではなく,この怪我人が 出た経緯なのではないでしょうか? でも,誰もそれについて追究しないのはどういうわけなのでしょう? それともこの怪我人云々は単なる言いわけだと,皆がたかをくぐっているのだろうか? でもそうだとすれば,その場合には, まさにそのことをつくことで大臣の発言のいいかげんさが明らかになるはずなのに.
もくろんでいる再利用の用途の一つは, スケッチを書きはじめている「詩学としての数学論」というような題の本で, これは,うまく書き上げられれば,勁草書房から出してもらえる(かもしれない) という種類のものです. 「詩学としての」はちょっと「かっこつけ」のように思われてしまうかもしれませんが, 一般向けの数学の啓蒙書では「数学がいかに役にたつか」を強調する というような議論が展開されることが多いので,僕の本では, へそをまげて,「文化としての数学」とか,「人類の知性の尊厳のための数学」とか, 「無用の用としての数学」というような論点から,数学への ``Liebeserklärung'' を展開してみようと思っているのです.
そもそも「数学がいかに役にたつか」の類の設問は純粋に ill-posed のように思えます.これは,たとえば,この文章の主語を変えて, 「金融はいかに役にたつか」, 「工学はいかに役にたつか」,「人類はいかに役にたつか」 等々というような設問が(哲学の問題として)成立しうるかどうかを考えてみれば明らかでしょう. この種の設問が ill-posed だということ自体に言及されることがほとんどない, (しかも,科学者が「…がいかに役にたつか」という類の説明文をことあるごとに書かされている) というのは,日本の文化の一つの本質的な限界を示しているとも言えるような気さえします.
ill-posed な設問に intelligent な答を与えることも不可能ではないので, 「数学がいかに役にたつか」という問に答える形で, 有意義な考察を展開することだってできるのかもしれないですが.
この「郊外の憂鬱」の作曲家は,「サティーのような音楽を作った人」 というような理解のされかたをすることが多いようで,実際本人もサティーと自作との 関連について,どこかで言及しているようですが,Mompou の音楽は, Satie の人を食ったような「ユーモア」や「うわのそら」とは無縁のように思えます.
僕には,モンポウの音楽は,むしろ晩年の Fauré との結びつきが強いように思えます. どちらの作曲家のピアノ曲からも,ソノリティーの背後から鐘の音色が 聞こえてくるようです. もっとも,Fauré の晩年の作品では「死」に対する哀傷が常に響いているのが感じられるのに対して, Mompou の音楽は,メランコリックで内向的で,ときには謎のようではあっても, 彼のピアノからは「死」に対峙する情念の残響は 聞こえてはこないようです.彼のピアノ曲のつむぎ出す熾天使の鐘の音は, Jankélévitch がかつて『モンポウのメッセージ』 というエッセイで書いたように,生死を超越して「天と地の間を やわらかく響きわたって」ゆくようです.
サティーもフォレーもモンポウも, 音楽史の流れの中ではどちらかというとマイナーな作曲家と言えます. ただし,僕がここでマイナーな作曲家と言っているのは, 「音楽史!」と上段にかまえて音楽を見渡したときに, そこで挙げられる名前からはもれてしまうような作曲家というような意味です.しかし, マイナーな作曲家の魅力というのもなかなか捨てがたいもです. マイナーな作曲家に対する態度には2つあって,たとえば,メシアンは, この3人の作曲家に対して言及したことは一度もないと思うのですが, これは,特にフォレーに関しては, メシアンの「移調の限定されたモード」の祖形がフォレーの作品に散見されることを考えると, ちょっとアンフェアではないかとも思えます(ちなみに,モンポーには, メシアンの第2旋法が, 最初から最後まで使われている曲が何曲かあります --- もっとも, これは メシアンの旋法というよりはスクリャービンの8音音階と理解した法がいいのかもしれませんが... ). これに対して,武満徹はこの3人について複数の機会に言及していて, フォレーについてもモンポウについても,彼の敬愛の念の感じられる文章や発言が残っています. また,サティーに関しては武満徹は作品の編曲さえも手がけています (ちなみに,サティーの編曲をを手がけた作曲家としては,武満徹以外にも ドヒュッシーやケージの名前も思い浮かびます).
実は僕がモンポウの作品と出逢ったのはごく最近です.もちろん彼の名前は前から知っていたし, 日本でもモンポウの作品を専門に弾くピアニストがいるらしい, というような話もどこかでは聞いていたと思うのですが, 「サティーのような音楽を作った人」という評価を聞きかじっていたために, 特に自分から聴いたり弾いたりしてみよう,という気がおこらず, 食わず嫌いを通していたようです.
始めてモンポウの作品をちゃんと聴いたのは,前回バルセロナに滞在したときでした. バルセロナの現代の音楽作品をなにか聴いてみたいのだが, と言ったら,バルセロナに招待してくれた Joan Bagaria 氏(彼は今回の僕のホストでもあります) がモンポウを聴いてみるように勧めてくれたのです. 僕が言った「現代の音楽作品」は,もっと現代よりのスタイルの音楽を想定していたものだったのですが, その意味での「現代の音楽作品」とは言いがたいとはいえ, Joan の勧めにしたがって,Plaça Catalunya の Fnac で買ってきた モンポウの自作自演の CD を聴いてみて,みごとに「はまって」しまったのです.
ピアニズムに関して,モンポウのピアノ曲には,僕にとって特に好ましい点がいくつかあります. その一つは大きな手のために書いてあることで,もう一つは, ほとんど左ききのために書かれているように見える,ということです.
後者ついては, プレリュード6番(左手のピアニストになってからの舘野泉の演奏の CD 録音があります)など, 彼が本当に左手のみのために書いた作品以外でも,和音の配置や内声部の扱いを見ると, モンポウ自身が左ききなのではないか,と疑いたくなるくらいです. 左ききの人は右手の方が左手より大きい(これは緊張の信号が利き手により強く伝わるめに 利き手の成長が抑制されるためということのようです)のですが, モンポーの作品では, 解放位置の和音で右手の4,5 の指がはるかに離れた高次倍音を模倣するような音をつかんで, メロディーや対旋律が内声に入りこむような書き方になっていることが少なくありません. ただし,モンポウの写真で,右手に鉛筆を持っているものが複数残っているので, 彼が本当に左ききだったのだとしても, 右ききに convert できた程度の軽度の左ききだったのでしょう.
作品のピアニズムはまず第一に作品の内容と密接に関連しているはずなので, それを単純に「左ききのために書かれている」と言ってしまうと, 軽薄な発言ととらえられてしまうかもしれませんが, 僕自身は左手への偏極がかなり強いこともあり,モンポウの作品は, ショパンやリストのような極端に右ききのピアニストのための音楽に比べて, とても弾きやすく感じるのです.
この G 上の VISTA にはいまだに手をやいています.
似たようなコンピュータの使い方をしている人には参考になるかもしれないので, 以下で,このときの設定の忘備録の抜粋を少し書いておこうと思います.
◎ Wikipedia の Cygwin の項目 にも 「… 現在のバージョンの Cygwin の X を Windows Vista の上で動かすのは不安定である。」 とあるように,VISTA 上では X 上のアプリケーションは安定して 立ってくれません.それ以外にも, teraterm と他のプログラムの間で 日本語のテキストをカットバッファーを経由して受けわたすことがうまくできなかったり, Emacs で ange-ftp や tramp がうまく動いてくれなかったり,など, 細かいところではまだ色々不満な点も残っているのですが (誰か解決方法を知っていたら教えてください!!!), 大筋では Emacs 22.1 (NTEMACS) は快適に動いてくれるように設定できたし, TeX 関連も必要なものは全部ほぼ問題なくインストールできて, 「ほとんどすべてのプログラムを, Emacs の bash を走らせているバッファから呼びだして使う」 という僕がここ10年近く採用している PC の使い方も問題なくできるようになったので, まあ一段落という感じではあります.
◎ 「Emacs 22.1 (NTEMACS) は大筋では快適に動いてくれていて」と書きましたが, 実はその状態にもって行くまでに,かなり苦労しました. 画面表示を調節するのもけっこう大変だったのですが, Emacs 22.1 には,僕がプライベートな拡張で使っている関数名や変数名と衝突する 関数や変数が沢山盛り込まれていて, 同じ名前だと動作も似てはいるのですが,微妙に仕様が違ったりするので, 最初のうち色々な誤動作に病まされて,その原因がなかなか特定できなかったのです. たとえば僕の定義では multi-occur は複数のファイルに対して occur のような 動作をする関数ですが,Emacs 22.1 の multi-occur は複数のバッファに対して occur を走らせる関数です.これはすぐに気付いたのですが,僕の拡張ライブラリーにも Emacs 22.1 にも looking-back というのがあって,両方ともポイントの前をさがす 関数ですが,渡す引数の形式が違っていました! もちろん原因が判ってしまえば,関数名や変数名の衝突をシステマティックに調べて 自作の関数や変数の方を改名することで(たとえば上の2つはそれぞれ file-multi-occur, looking-backwards と改名しました)問題はあっけなく解決できたのですが,それにしても, ちょっと,偶然にしては名前の一致が多すぎる気がします. ひょっとしたら Emacs 22 のデベロッパーの中に 僕の本 の読者がいるのかものかもしれません.
◎ Cygwin からの外のプログラムの呼び出しは, Windows XP 上では, そのまま Cygwin の内部のプログラムと同じように呼びだすやりかたでやっていたの ですが,Vista 上ではこのやり方ただと問題が起る場合が多いようです.たとえば, (今ちょっとどっちだか思い出せないのですが)Word か Excel のどちらかはこのやり 方では立ってくれませんでした(これは Vista の問題ではなくてこれらのプログラムの 新しい version の問題かも).しかし, Cygstart という Cygwin のコマンドを介して外のプログラムを安定して呼びだせることができることがわかったので, これを使った呼びだしのスクリプトをよく使うプログラムごとに書いておくことで, 非常にスムーズに作業ができるよう設定できました.
◎ Emacs の外では cygterm で Cygwin を立てて,そこで sftp するというトリックを発見したので, これを使えば,Emacs 上の ange-ftp や tramp が動いていなくてもなんとか生きのびられそうです (これは少しオーバーか?).
◎ 僕の vaio g では teraterm のキー定義では \C-h に delete が bind されてしまいます. そのため remote cite でたてた Emacs で help を呼びだそうとすると delete-char が呼びだされてしまい居心地が 悪かったのですが,これは teraterm の KEYBOARD.CNF と .emacs を調節することで 解決できました: KEYBOARD.CNF の
;Delete key Select=339という行での 339 というコードを teraterm に添付されている keycode.exe で調べた \C-h の発信するコード(私のコンピュータでは 1059)で置き換えて,
;Delete key Select=1059としておき,remote cite の .emacs ファイルに,
(global-set-key [select] 'help)という行を挿入するのです.