ここで,「非」ブログと言ったのは, reverse order で新しい記事を前に書いたものの前に挿入して書きすすめる(註1), ということ以外は, 意識的にできるだけ通常のブログのようなものにならないようにしようと思っているからです. 想定している読者も,まずは自分自身(註2)です. でも,もしコメントがあれば,このページの末尾にあるメールアドレスにメールを送ってください. 余裕があれば,ブログ風のコメント/レスポンスを記事に書きくわえる可能性もあります --- 送っていただいたメールにこのような対応を希望される場合には, その旨をメールに書いてください.
(註1) だだしこの記事は例外です.それから,別の記事でも前後関係がある場合には 時間順序を無視して書くこともあります. また,古い項目を update したり削除したりする可能性もあります. ある程度以上の変更を加えたときには,この記事の header でのように変更日時の記載をすることにします.(註2) この page の内容(html file のコードを含む)の GNU Free Documentation License に準拠した引用/利用は歓迎しますが, 盗作/データ改竄やそれに類する行為には 天罰が下ります. 絶対にやめてください. ただし,ここで書いたことの一部は, 後で,本や雑誌記事などとして発表する作文の素材として再利用する可能性もあります. その際,再利用されたテキストに関しては, 諸事情から GNU Free Documentation License に準拠した扱いができなくなることもありますので, その場合はご諒承ください.
この前書きへの後書き
のようなものを書きました.
[この前書きへの後書き
のいちばん最近の update: 08.05.07(水09:34(MEST))]
実は,最後の記載はそれにふさわしい決った文章にしたい,というような気持が働いてしまって, つい書きしぶってしまっていたのですが, まあずるずるとひきずっていてもしかたがないので,てきとうな anticlimax を作って終りにしようと思います.
しかし,バルセロナから帰ってきてもう3ヶ月近くたってしまったのですが, 帰ってすぐに学会が幾つもあったり,その後に [08.04.27(日23:02(MEST))] でも触れた八ヶ岳フレッシュマンセミナーの講師の仕事などもあり, それらの準備や書類書きなどで,記憶の整理をする余裕のないまま過してしまいました.
そんなわけで非常に忙しくしてはいたのですが, 気がついたら飛行機の予約が入れられていて,週末を沖縄で過しました. 私は沖縄に行くのは今回が初めてだったのですが, なにしろ週末旅行だったので那覇の市内を (観光スポットを適度にさけて)歩くくらいしかできませんでした.でも, この滞在は, ずっと,気になっていた 「沖縄は日本のカタルーニャか?」という疑問を考えはじめるきっかけにはなりました.
しかし,この「沖縄は日本のカタルーニャか?」という設問は,それ自体かなり無理があって, 先に言ってしまうと,日本はスペインではないし, 沖縄もカタルーニャではない,というのが妥当な答なのでしょう. それにもかかわらず,同系列のより強い国家に 「地方」として取りこまれることを余儀なくされた文化, という視点から見てみるといくつもの共通点が見えてくるし, また,そのような歴史的背景を背負いながら,ある意味での独立を 保っている文化の持つ,魅力や輝き, という点でも近いものが感じられるような気もするのです.
ところで,那覇で一番がっかりしたのは, バルセロナでのように僕が入ってみたくなるような本屋さんを, 少なくとも僕が歩いた場所では発見することができなかったことです. バルセロナでは, 入ってみたくなる本屋さんが沢山あっても, 言葉の問題があるので, 今やっていることを全部放棄してスペイン語やカタルーニャ語の勉強を初めるというのでなければ, 宝の山にわけ入ることはできないという事情があります. (実際には,自分の知らない言葉の本でも興味を持って買ってしまうことはよくあるのですが, 先のバルセロナ滞在では,前にも書いたように, 持ち物を増さないというのを原則としたため, あえて本屋さんに入ることも避けることにしていました.) 那覇では,言葉に関しては, 少なくとも大和言葉なら問題はないはずなので,魅力的な本屋さんがあれば, 入ってしまって,帰りの荷物を別送にしなくてはいけなくなる危険も大だったので, そのようなことに至らなかったのは,よかったとも言えますが, 残念でもありました.
それでも, 那覇の街中のショッピングセンターに入っていた本屋さんなどで, 何冊か他ではなかなか買えないような本を買ってきました.買った本の中の一冊は, 新城 俊昭 著: 「高等学校 琉球・沖縄史」 でした.
この本は高校の教科書のフォーマットの歴史書で, そのような枠組の歴史教科書としての限界を大きく越えてはいないと言うこともできるかもしれません. 奥付には,「本書を編集するにあたり 『沖縄県史』をはじめ数多くの資料や著作物を参考にしました。 本来ならこれらの参考文献を一覧にして表示すべきですが, 高校生向けの教科書としての性格上割愛させていただきました。」とあります. しかし,これでは, 著者の主観的観測と資料に裏付けられた記述の境界が全く分らなくなってしまうのではないでしょうか. この教科書に実際に著者の主観的観察が多く入っているのなら,この奥付の註は それの粉飾だったということになるし, もしそうでないのなら,この教科書の表明している歴史解釈の視点を認めたくない人たちに 「これは主観的な記述にすぎない」と批判するすきを与えてしまっていることになるのではないでしょうか. そのことを別としても, 「高校生向けの教科書として」云々は, 「高校生は言われたことを無批判に勉強していればよくて, むやみに一次資料にあったってみたりしてはいけない」と言っているようで, 非常に気になります. しかし,この教科書にはとても感心した点もいくつかありました.
その1つは 「差別」ということに関する記述です. たとえば, 「… アイヌ・朝鮮人・台湾人とともに沖縄人が差別の対象となっていたことにも原因があった。 」(p.183) という, 日清戦争の後の時期の沖縄の 「支配者層や知識人」の日本化に積極的だったことの背景の説明についている, 「沖縄側にも,これらの人々と同列におかれることを侮辱とする差別意識があつた」 という脚注や, 「従軍慰安婦」(原文でもカッコつき)に対する沖縄県民の差別などに触れていることです.
「差別」は,我々にそれこそ DNA レベルだか RNA レベルだかで組み込まれている行動様式なのでしょうが, それだけに,自分は差別されているだけではなく,差別をしてきたし今もしている, という認識はとても重要なことだと思うし, それを直視することのできる勇気はたいへんに頼もしいものに思えるわけです.
というわけで, バルセロナから日本に帰ってからもうずいぶんたってしまいました. 日本に移動した直後には京都と神戸で一週間づつ合計で二週間ほど国際会議に参加していて, この期間も主に英語やドイツ語で考えたり話したりしていたため, 主観的には日本に移動してきた時点が定かでなくて,気がついたら日本に帰っていた, というような不思議な感覚があります.
バルセロナでは持ち物を増さない,ということを徹底したつもりで, 論文のプリントアウトについても, ソースファイルを持っているものについてはすべて破棄してきたのですが, それでも荷物が重くなってしまい, 空港では超過料金をはらわさせられるし, 重い荷物を無理して持ったためその後数週間にわたって, 50肩のような症状がぬけなくて大変な思いをしました.
ところで,ネット上で話題になっていた 「数学ガール」 のことが,バルセロナに滞在していた間ずっと気になっていたのですが, 日本に帰ってきてこれをちゃんと読んでみました.
色々な人がほめているだけのことはあって,面白くできているし, そこで扱っている数学や,数学に関するコメントなどは非常にきちっとしている, と言えるとも思いました.でも, 個人的な好みということで言えば, いくつかひっかかるところもあって …. 下でそれについて順不同で箇条書式に書いてみたいと思いますが, これは批評のようなものではなくて,あくまで僕の個人的な好みに属すもの,と理解してください.
僕が一番ひっかかるのは, この本が,一人称で語られる男の子と,二人の女の子の物語として書かれていることです. スーパーな数学能力をもつ「ミルカさん」,数学があまりできない「テトラちゃん」と 平均的な数学おたくの「僕」という3人の高校生を主要登場人物として設定したことで, 異なる難易度の数学に関する話を1つの物語の中に自然に織込むことが可能になって, そのことで本書を幅広い読者にアピールできるものにできたことはよく分りますし, そのような設定での架空対話の形だからこそうまくもりこめた内容も多かったとは思います. でも,僕の理解では, 数学は,その一番純粋な形では gender neutral な,というか,gender を含むすべての人間の条件を超越した(すべき) ものであるべきなので, 「数学への《あこがれ》--- それは、 男の子が女の子に対して感じる気持と、どこか似ているような気がします」 (「数学ガール」のあとがき)などと言われると,困ってしまうのです.
それから, 僕は,話者の間の (その会話のセッションで仮に設定した, あるいは本当に固定した)上下関係が確立しないと会話が成立しない, という日本語会話の枠組がとても嫌いなのです.そのため,3人の登場人物が日本語で会話する, という設定自身に非常に不満があります. ミルカさんは「数学の女神」に近いステータスを与えられているので, まだいいのですが,「僕」と 「テトラちゃん」の会話の部分はちょっと読んでいていやになってしまいます. 僕は数学の仕事の共著者が非常に多いのですが (今,数えてみたら18人いました)ここのところ日本にはずいぶん長く住んでいるのに, 共著者のうちの日本人はたったの4人です. これは, ここで言った日本語会話の問題が大きな障害になっているからなのではないかと思います.
ちなみに,僕の共著者のうち, 女性は二人だけですが, これは,それでも, 女性数学者の数学者全体での割合よりは高いものになっているのではないかと思います. さらに付け加えると,この二人のうちの一人は,僕のドクター論文の指導教官だった Sabine Koppelberg 先生で,彼女とは複数の共著論文があります.
「数学ガール」に戻ると,この本は, せっかく架空会話からできているのにもかかわらず, 「なぜ数学なのか」という設問が全く設定されず, 議論もされていないように見えるのは残念に思えます. 「僕」の 『… でも、僕自身は自分の好きなことをずっと考えていたい。 親から強制されて式変形しているわけじゃない。 僕がどんな数式をいじっているかなんて、 親は興味ない。机に向っている僕の外面しか見ない。だから、 僕は好きなようにやっている。 といっても、 もともと勉強しろなんてあまり言われないけどね』というような発言は, いかにも優等生的おたくの言いそうなことだし, このようなことを言いそうなプロの数学者も沢山いるだろうとは思います. でも,この表明は, 個人的なフェティシズムの度合を説明しているにすぎなくて, 「僕自身は自分の好きなことをずっと考えていたい。」 と言ったときの「好きなこと」が なぜ数学なのかについての答にはなっていないように思えます.もちろん単に趣味の問題で 「好き」なのだという答もありえるでしょうが, そうなら「僕」がわざわざ 「数学ガール」の一人称の登場人物でなくてもいいような気がしてしまうのです.
これは全く個人的な連想なので,とりたてて書くべきではないのかもしれませんが, 「ミルカさん」という名前は,``Milka, die zarteste Versuchung seit es Schokolade gibt.'' というあの紫色のミルカの牛を思い出してしまい, ちょっと具合が悪いのです. ミルカの牛は(オイラーを生んだ)瑞西の牛ではあるかもしれませんが, あまり数学的ではないんではないかという気がするのですが.
小説として見たときの「数学ガール」にもちょっと不満な点があります. 学校の先生になっている後年の 「僕」のひとこま,というような話がエピローグになっていますが, 僕だったらこのエピローグは絶対に木村先生の話にしていたと思います. そういうふうにしていれば,日向子さんの 「合葬」の単行本で加えられた最後の章のような, 時間を超越した不思議な感じを出すことができたのに, と思うと,ひとの本ながら残念で仕方がありません.
「数学ガール」を読んでいると, 日本語が量化子を表現する基本機能の欠けた言語であることを改めて認識させられます. ただしこれは「数学ガール」に対する批判というより,もし批判ということだとすれば, 数学での平均的な日本語使い方(の無神経さ)に関する批判というべきでしょう. つまり,僕がここで言いたいのは, 日本語自体にはデフォルトの量化子表現の機能がないため, (量化子の表現を的確にすることが内容を正確に表現するためには不可欠なはずの) 数学的な内容を分りやすく表現するには, 意識的に言葉をあやつって, 言語機能に由来する不足分の表現の曖昧さを補ってやらなくてならないはずなのにもかかわらず, 一般には,その努力が十分にされていないのではないか,ということです.
いずれにしても, 数学の記述,特に数学の技術的な細部の記述に関するかぎり, 英語で書かれてるものの方のほうが,おしなべてずっと分りやすいことが多いような気がします. もっとも,書き言葉の英語が書き言葉の日本語に比べてまさっている言語だとも思えないのですが….
また,数学に限らず,例えば, 大量の専門書や教科書が書かれている生命科学や医学などの分野でも, それらの分野の,英語で書かれた専門書と日本語で書かれた専門書とを比べてみると, 内容の理解のしやすさという点で,やはり英語で書かれたものの方が格段上であるような気がします. しかも,数学でと同じように, これらの分野での日本語にも,専門用語の誤訳や,(日本語として)明らかに間違った表現が, 沢山定着してしまっているため,専門書を日本語で読もうとすると, その気持の悪さをがまんしなくてはいけなくなるようです.
借りていたピアノも明後日返すことになっている. ラヴェルの「亡き王女のためのパバーヌ」を久しぶりにこのピアノで弾いてみた.
「亡き王女…」は, さそうあきら の 「神童」 で,うたがスタちゃんと別れるシーンで弾く曲である. 今この曲を弾くと, 「神童」のこのシーンを思い出して涙ぐんでしまう. 今回のバルセロナ滞在で借りたのはもちろんスタちゃんなどではなく, ヤマハの海外輸出モデルの電子楽器だったのだが,最近の電子楽器は, それなりにちゃんとしていて,悪い本物のピアノよりずっとましである. いずれにしても手元に楽器があるのはとてもよかった. 昔,エルサレムに半年滞在したときには, ピアノがなくて大変苦しかったのだが,このときとは大違いである.
ところで,今回と前回の記事のタイトルの「妖精の距離」は 「距離空間の研究」という話にからめたつもりなのだが,もちろん「もとネタ」は, 瀧口修造の詩の題である.
武満徹がこの詩にちなんだ同名の (メシアンの「時の終りの四重奏」の緩徐楽章を連想させるようなスタイルの) バイオリンとピアノのための初期の作品を作曲しているので, インターネットで検索するとこちらの方が沢山ひっかかる. 瀧口修造は気になる詩人の一人ではあるのだが,正直に言ってしまうと, 彼の詩句はあまりに月並に思えて,いまいち良いと感じられないでいる.
よくチェックをする東京の古本屋の1つに瀧口修造全集が全部そろって置いてあるところがあって, 毎回ここに来ると,まだ売れないで残っているのを見てほっとするのだが, 反面,大枚をはたいて買うだけのモティベーションの高まりも得られず, 毎回買わずに帰ってきてしまっている. このままだと, そのうちに誰かに買われてしまった後でくやしい思いをするだけなのは判っているのだが (あるいは僕が日本を留守にしている間に既に売れてしまっているかもしれない).
エリチェの学会に参加した折 に,この学会での Invited speakers の一人だった Frank Tall から聞いた話なのだが, 最近のアメリカ数学会の学会に集合論をやっているという (しかし日本の集合論の研究者とは全くコンタクトのない)若い日本人が参加していたそうである. この人の考えていることがあまりにも見当はずれだったので, 『申しわけないが, あなたの考えていることは集合論の現在の研究の知見からは全く意義の見いだせないものだ. 日本の集合論の研究者の誰かとコンタクトをとって意見を聞きなさい.』 というアドバイスをしたが,あまり通じなかったかもしれない,ということだった.この場合, Frank のアドバイスは多分正しくて, もし万が一この若い日本人の考えていることが後になって意義のあるものだということになる, ということが,絶対にないとは言えないかもしれないとしても, それがまぐれあたりのようなものとしてでなく起るためには,この若い日本人が, 現在の集合論の成果の総体をのりこえる, あるいはのりこえるというほどでなくても,少なくとも, 何が研究されていて何が知られているかの見通しができるくらいの勉強をする, という試練が必要なはずである.ちなみに, 集合論の研究はこの20年くらいで爆発的に進歩しているので, 「試練」という表現はこの場合全く誇張ではない.
角の三等分の可能性を証明しました,とか,フェルマーの定理を (初等的に)証明しました, というような種類のことを主張する 「とんでもアマチュア数学者」は,常に世界中のどこにでも一定数存在するようである. そのような「とんでも」は (すでに他の分野などで得ているというような場合を除けば)大学で数学のポジションを得るということは, 普通はないのはずなのだが, 集合論や数理論理学では, これらの分野に関する一般の数学者の基礎教養/知識がゼロに近い, という特殊状況につけこまれて, 「とんでも」が,結構名前の知れた大学のちゃんとしたポジションを得てしまい, オーソリティーとしても通用してしまうというなどということが, (少なくとも日本の場合) ないとは言いきれないのである.もちろん,こちらに十分に余裕があれば, そういう「とんでも」や「とんでも」を雇ってしまっちゃった 「とんでも大学」を笑いとばしていればそれでいいのだろうが ….
Frank Tall からこの日本人の話を聞いたのは,学会の最終日のパレルモの空港へ向うバスの中だったが, 本人自身,日本では「へんな外人」その人であるところの Frank の話題は,この日本人の話の後, 彼が会ったことのある,へんな日本人数学者の話にどんどん移ってゆき,結局, 全体としてかなり長い (しかも日本人の僕にとってはあまり気分の良くない)話につきあわされることになった.
本物の「とんでも」や「とんでも」の予備軍に対しては, 「そんなことやってもしょうがない」的なアドバイスが実際に必要な場合も, そういうわけでありえるのだが,逆に, 「そんなことやってもしょうがない」,あるいは 「そんなのあたりまえだろう」的発言を安売する年寄というのも沢山いるので, その中の一人にならないような注意は十分すぎるくらいしなくてはいけないだろうと思う.
他人に対して, この「そんなことやってもしょうがない」発言をした場合, そう言われた方の人が萎縮してしまい,そのことで せっかくの良いアイデアの芽をつまれてしまったとしたら, 言われた方の人にも自分の考えを押し通すことのできなかったことの責任があるとも言えるかもしれないが, それにも増して,言った人の側の罪は大きいと言えるだろう. 一方,自分自身で 「そんなことやってもしょうがない」という判断をして, 十分に試みてみる価値のあることをやらないでしまったとしたら, それは単に身から出た錆である.
エリチェの学会以来,トポロジーに関連した研究をいくつか始めたため, 現在,トポロジーにのめりこみ気味である. 研究の1つは,ブタペストのグループとの共著の距離付け可能性に関するものである.
距離付け可能性については,学生の頃,Bing-Nagata-Smirnov の定理を勉強して, この定理でもうすべて片がついた,というような理解をしてしまっていた.
その後ずっとそのように思っていたわけではないはずなのだが, このときの感想が, その後距離付け可能性に関する問題を, ごく最近まで一度も積極的考えなかった要因の1つになっていたような気がする.
確かに,Bing-Nagata-Smirnov の定理は, 位相空間が距離付け可能なことの必要十分条件を与えているのだが, この必要十分条件は, ある性質を持つ基底の存在に距離付け可能性の問題を転嫁しているだけなので, これをもって距離付け可能性に関した問題が全部解決した, と言うことは全くできないのである.実際,今の研究で得られた結果では,locally compact な空間の距離付け可能性や meta-Lindelöf 性に関連した,集合論的にも大変デリケートな reflection の問題が扱われている.
実は今,この距離付け可能性の研究から派生した集合論の問題でつまってしまい, ずっとこれを考え続けている.8月に入ってから回りはまったく休暇気分なのだが, こちらはまるで休暇をとらない/とれない日本人のようである.
ドイツ語は,特に文語では名詞の前にすきまがあるとどんどん定冠詞をつめこむ傾向がある. 一方, 英語は抽象名詞には定冠詞がつかない, という違いがあるのだが,英語では, その場合,名詞に修飾がかかって,この名詞の解釈が制限されると定冠詞が復活する, というような現象があって, この最後の点の効果についてちょっと目測を誤っていたようである.
しかし,論文の場合だと,レフェリーや編集者に英語を直してもらえることは少ないので, いい勉強になったとも言える. 参考のために,AMS による校正結果と僕自身の校正結果を記入した後の原稿を ここ に置いておくことにする. 実は,このファイルの TeX ソースファイルは,一行コメントアウトすると, 英語のどこをどう直されたのかが分るように書かれた版を出力するようになっているのだが, こちらの方をインターネットに置くのはちょっと恥ずかしいので ... まあ, どうしても参考にしたい,という人のために,TeX のソースファイルを原稿の pdf ファイルと同じ場所に置いておくことにする. ついでに,日本語のオリジナルの論説の原稿も ここ に置いておくことにする. 数学的な内容はほぼ忠実に訳してあるが, それ以外では,かなり自由な翻訳になっていることが分ると思う. これは翻訳者が著者自身であることの特権である. 音楽で,作曲者の自作自演の録音が楽譜と違っているところがあったりするのと似ている.
神殿は円形劇場(ギリシャ様式の円形劇場にローマ時代に上段の席が拡張されたもの)のある 廃墟の中心から谷を隔てたところにある. 神殿から谷に下る道の脇には龍舌蘭が植えられていて,ちょうど見事な花をつけていた.
よく見ると, 龍舌蘭の葉にはいたるところに名前の落書きがある. 龍舌蘭は実をつけた直後枯れてしまうということだから, これらの落書きも龍舌蘭とともに消えてゆく運命にあるわけである.
ところでこの龍舌蘭は agave americana という名前でも分るように, もともとはアメリカ大陸の植物で, したがって,これが地中海沿岸で見られるようになったのは, 15世紀後半より前ということはありえないことになる. 実際, Wikipedia のドイツ語版 によると, この種類の龍舌蘭がヨーロッパで観葉植物として栽培されるようになったのは, 16世紀中ごろ以降ということである.
ギリシャ時代の,今はもういなくなってしまった民族の廃墟と, この廃墟が都市として機能していた時代から2000年の時を隔て アメリカを''発見''した西洋人たちによって地中海沿岸に運ばれてきた龍舌蘭が, この乾いた風景の中で不調和の調和に堪えている, という時間の遠近法は,ちょっと気の遠くなるようなことに思えてくる.
エリチェはロマネスク様式や中世の様式の建物の残る, 山の上に作られた街である.
Stefan に指摘されて気がついたのだが,この石畳の街は, 同じように山の上に築かれたエルシャレイムの旧市街といくらか似た雰囲気を持っている. 規模としてもエルシャレイムの旧市街と比較できるくらいの大きさではないかと思う. 標高もエルシャレイムと同じくらいだが,エルシャレイムが, テルアヴィヴからのなだらかな長い道を登ったところにあるのに対し, エリチェは地中海に面したトラパニ (Trapani) という漁港から, 絶壁と言っていいような山の急斜面を一気に登りつめた頂上にある.
行きの旅行では, バルセロナからローマ経由でパレルモまで行き,そこから, 学会の会場のエットーレ・マヨラナ科学文化センターの用意してくれたバスでエリチェに向かった.
昔,僕がまだ北見にいたときに名古屋大学の松原洋氏が彼地を訪れたことがあって, 『飛行機で女満別空港に降りてゆくとき 「網走番外地」のオープニング・シーンを見ているようだった』,と言っていたが, 今回の旅行で, ローマからの飛行機がパレルモに降りてゆくとき,僕の脳裏にはあのエンニオ・モリコーネの Nuovo Cinema Paradiso の音楽がなりはじめて, 編物をしている年老いた母親の前に開かれた窓の白いレースのカーテンが風にゆれているシーンが浮んできたのだった.
パレルモからバスで延々と走ってエリチェの街に辿りついたときには既に日が暮れていた.
インターネットで調べてみると, Cinema Paradiso が撮影された村 (1980年代終りにこの映画を見たのはベルリンの映画館だったが, ドイツ語吹替え版の題名は ``Nuovo'' を落とした ``Cinema Paradiso'' だった)はパレルモから内陸に入ったところにあるということだった. パレルモからの距離は大体エリチェと同じくらいだ. 残念ながら今回そこに行ってみるだけの余裕はなかったのだが, エリチェの山のふもとのトラパニには,日曜の午前中の講演をさぼって, ベネズエラ人だがイタリア系でイタリア語が母語の Carlos Di Prisco 氏とケーブルカーで降りて遠足した. 日曜のためバスは走っていなくて,街で見掛けるのは立ち話をしている中年や初老の男性ばかりだった. 女の人たちは日曜の昼食の用意をしているのだろう. 洋服屋ばかりがやけに目立って(北見では床屋ばかりがやけに目立っていたことを 思い出した),教会前を通りすぎる人が十字をきっていた, 旧市街といえる港に近い場所はさびれていた.Cinema Paradiso の 廃墟になった映画館のシーンを想いださせるような建物もあり, なにか「シシリアは貧しくて保守的」というステレオタイプ・イメージをあっさり 肯定させてくれるような情景を見せつけられた感じだった.
同じ地中海文化圏のカタルーニャからシシリアに来てみると,似ている点や相違が目につき興味深い. 似ている点としては,まず,建物の様式や,食べものがあげられる. 今回食事で入ったレストランの天井は. 木を渡してその上に素焼のプレートをならべて作られているものであることが多かったが, Joan によると,これはカタルーニャの田舎屋でもよく見られるものだ, ということだった.また, 食事のスタンダードなコースが二皿とデザートという構成になっていることもカタルーニャと同じである. ただし,似ていると言っても,よく見るとその中に微妙な相違もある. 食べものに関しては, シシリアの方がカタルーニャに比べてずっと保守的でバラエテティーに乏しいように思える. ただし,アフリカ大陸との交易の名残なのだろうか, クスクスがトラパニ周辺の古くからの食べものの1つだというのは興味深い.
しかし,僕にとって一番強く感じられたカタルーニャとの相異点は, インターナショナルな観光地であるはずのシシリアの人たちが外国人に全く慣れていない, ということだった.滞在中土地の子供たちに 「ching chang chung」と言ってはやしたてられたことがあったが, いまどきのヨーロッパでは,東洋人がそのような目にあえる場所には, なかなかそう簡単には行けないのではないかと思う. まあ,そういう意味ではこれは非常に貴重な体験だったのだが,一方, カタルーニャ,とくにバルセロナでは, 人種の違う人々が入りまじって暮している状況はごく日常的なので, 東洋人であるというだけで奇異の目で見られることはまずないと言えるだろう. むしろはなから当然こちらがスペイン語を話せるという想定で接されるので (このような場合さすがにカタロニア語が話せるという想定で話しかけられることは少ないのだが), 面喰うことも多いくらいである.
もちろんオランダはドイツではないが,雲のかかりかたや植物の生態系や建物の様式など, 僕のよく知っている北ヨーロッパの共通項のようなものが感じられて, 南ヨーロッパから旅してくると「帰ってきた」という感慨がわいてくる.
一泊の旅ではあったが,講演の次の日には,名古屋集合論セミナー出身で,今は Benedikt のところで勉強している池上君から彼のやっている数学の話を聞くこともできたし, Benedikt や池上君につきあってもらってアムステルダムの旧市街を沢山歩くこともできたので, たいへんに充実した滞在になった.
カタルニア一帯は鉄分を多く含んだ赤土が広がっていて,雨の後など川が真赤な濁流になる. ジョアン・ミロのカタルーニャの農村を描いた初期の絵には真赤な土地がえがかれている. ずっとこれは彼の初期のスタイル特有のデフォルメだと思っていたのだが, 2年ほど前に初めてカタルーニャを訪れたときに, ここの土が実際まさにミロの絵に描かれたような色調なのを発見してびっくりしたのだった. 先日アムステルダムに行ったときに飛行機の窓からながめていてわかったのだが, 同じような赤土はピレネー山脈の向う側の南フランスにも広がっているようだ.
野菜やくだものなどここでとれたものは,すべて,通奏低音のように, あるいはフォルマントのように,微かにこの赤土の味がしているようだ. カタルーニャの食べものはいつも大変おいしくいただいていたのだが, 上記の病気のときに,この赤土の味が気になって食べものが全く喉を通らなくなってしまい, 食事をとるのに苦労した.普段は全く気になっていなかったのだが, 実は知らないうちに, この土地の味覚に適応すること自体が案外大きなストレスになっていたのかもしれない.
人によってはこのような経験をすると,その後, 同じ食べものが全く食べられなくなってしまうこともあるようだが, 僕の場合,食い意地がはっているということなのか, 大体喉元を過ぎると忘れてしまう. 今回も食事が喉を通らなかったのは調子が特に悪かった数日間だけだったが,その後も, ここの野菜やくだものが喉を通らなかったときの感覚は薄い膜のように残った.
それで思い出したが,昔,ドイツで生活しはじめたときにも,最初の数週間 Imbissstube で焼いている Wurst の匂いを嗅ぐたびに吐き気がしたものだった.しかし, 今では逆に,この匂いがベルリン時代の記憶の プルーストのマドレーヌ のようなものになっているようである.
Sant Cugat は, かつてはバルセロナに住んでいるお金持ちの避暑地のようなところであったらしい. 地下鉄でバルセロナから30分弱で来られるが,山をひとつ越えると気温がぐっと下るのは, 碓氷峠のトンネルを越えて軽井沢に入ったときのようである. 地下鉄の車内の電光掲示板には車外の温度の表示が出るので,見ているとバルセロナと 6°C 以上の温度差があるときもある. 修道院から地下鉄の駅まで曲がって続いているショッピング・モールは, 週末には軽井沢銀座のような賑いになる. 外国人がほとんどいないところも現在の軽井沢銀座と同じである.
僕の住んでいる地区は,ラテン・アメリカから移民してきた人たちが多く住んでいるようで, 前世紀の初めごろの瀟洒な邸宅のまだ残っている地区とはちょっと雰囲気が違うのだが, 仕事が一区切りついたところで, 少し回り道をして, この修道院から延びるショッピング・モールを通って駅に出てみたりすると, 避暑地に籠って仕事をしていて久しぶりに街に出たときのような気分になる.
ゴミの分別の仕方がどうなっているのかを見ようと思って, ゴミの回収ボックスに書いてある言葉を見てみたら, ガラスの回収ボックスには,vidre と書いてあった.これは,と思って調べてみると, ガタルーニャ語の vidre(ガラス)に対応するスペイン語は vidrio で,ポルトガル語は vidro だった.
この言葉なら日本語でも知っている.歌麿の「ビードロを吹く女」のビードロは
明らかにこの単語だ.医学や生命科学でよく使うイン・ビトロ(生体内でなくシャーレや
試験官の中で(実験する))のビトロも,この単語のラテン語のオリジナルだろう.
しかもネットで調べてみると,
「ビー玉」というのも同じ単語から来ているということだった.
Title: バナッハ=タルスキーの定理
08.04.27(日23:02(MEST))
updated
on: 08.05.06(火01:32(MEST)), 08.05.07(水17:04(MEST))
(註1) 特に,日本語 Wikipedia の 2008年3月17日 (月) 15:30 バージョンの 「バナッハ=タルスキーのパラドックス」の項目には 「ステファン・バナフ (バナッハ)とアルフレト・タルスキが1924年に初めてこの定理を述べたときに意図していたのは、 選択公理が正しくないと示すことであったが」とあるが, 原論文 を見るかぎり,そのような趣旨のことは全く書かれていない.選択公理については, ``… elle fait donc usage de l'axiome du choix de M. Zermelo. Le rôle que joue cet axiome dans nos raisonments nous semble mériter l'attention.'' などとは書いてあるが, この ``l'attension'' が選択公理に対して否定的な種類のものであるべきとはどこにも書いてないし, だいいち,タルスキーはまだいいとしても, バナッハについては, 選択公理を否定することは彼の主要な業績を全否定してしまうことに近いわけであるから, そんなことを軽々しく言うわけがないことは明らかである.
ところで,ヨーロッパに住んだことのある日本人はよく知っていると思うが, ヨーロッパのテレビやラジオのニュースで日本がとりあげられることはほとんどない, と言っていいだろう. テレビのニュースだけを見ていると,日本などという国が存在することを信じるのが難しいくらいである (テレビのコマーシャルを見ていると, 日本の産業経済というものが存在することは十分に信じられるのだが). たまに日本に関する報道があると,そこでとりあげられているのは, 「日本人っていうのはこんなにおかしなやつらだ」 というメッセージが主に伝えたいことなんではないか, と思わざるをえないようなニュースばかりである.
上で, バナッハ=タルスキーの定理が「集合論以外の一般の数学者にも比較的よく知られている」 と書いたが, これは,ヨーロッパでの「おかしなやつら」 としての日本人に関する報道と似たようなところがあるのではないかと思う. 「集合論の研究者っていうのはこんなおかしなことを研究しているやるらだ」 というメッセージが, この定理がよく知られていることの底流に潜んでいるのではないかと思えるからである.
わざわざこの定理をフレッシュマン・セミナーのテーマに選んだのは, この「集合論の研究者っていうのはこんなおかしなことを研究しているやるらだ」 というチャレンジを受けて立つ,という挑戦のつもりでもある.
バナッハ=タルスキーの定理は,次のように述べることができる:
定理(S.Banach and A.Tarski, 1924) 3次元以上の空間の単位球の有限個の部分集合への分割で, これらの部分集合のそれぞれを適当に回転, 平行移動(より正確には等長変換)して組み合せなおすと, 2つの互いに素な単位球が組上るようなものが存在する.この定理は我々の物理的な空間に対する直観に全く反しているように思える, というのが,上で言った「こんなおかしなこと」 の内訳である. 単位球は,例えば,半径が1インチの球形の金塊として近似的に物理的現実に置き換えることができるが, もし,この定理がこの物理的現実に近似的にでも応用できるのなら, この金塊から, 半径1インチの金塊が2つ作れてしまうことになり, 不思議なポケット (といっても若い世代の人には分らないかもしれないが)や, 四次元ポケット (こちらの方は, 日本国外も含めてある程度若い世代にも対応可能であろう) も顔負けである.
しかし,この定理は物理的直観と矛盾しているわけではない.バナッハ=タルスキーの定理では, そこで存在の保証されている単位球の分割が, 物理的に実現可能なものであると言っているわけではないからである.実際, 単位球を物理的に分割した場合には,分割の各パートは体積を持っているが, 等長変換ではそれぞれの体積は保存されるから, そのような分割では定理で述べているような現象は起りえないことがわかる.
話の勢いでバナッハ=タルスキーの定理の解説のようなことになりかけてしまっているが, もし,これを続けるなら,
実は, バナッハ=タルスキーの定理のことをここで書こうと思ったのは, フレシュマン・セミナーとは全く別の理由からだった. それは,最近,「数学の研究は物理的空間におけるバナッハ=タルスキーの定理のようなものではないか」 という思いにとらわれていたからである.
数学の結果は,出来上がった証明を追ってみると, 「なんだあたりまえにできるじゃないか」 という気分になるようなものもあるが (ちなみにバナッハ=タルスキーの定理の証明もこのタイプに属すと言っていいと思う), なかには証明を追っていくと,それが論理的には正しいことは理解できても, どうやってそんな証明を作りあげることができたのか全く理解できないようなものも少なくない. 数学の観賞者の立場では,そのような証明に天才の発露を見いだして驚いていればよいが, 数学者の立場からは,このことは,場合によっては, そのような証明を自らも作りあげなくてはいけない, という生みの苦しみを意味することになる. つまり,「球を有限分割して組合せなおすと同じ球が2つできる」 くらいの,そんな不思議なポケットがいくつもほしくなるような神技を発揮しなくてはいけない, ということでもあるわけである.しかも, 数学の研究では, 他の天才的数学者たちががまだ発見していない定理を証明しなくてはいけないのだから, 実際に不思議なポケット的証明が必要になる公算は大である.
そういう意味で,バナッハ=タルスキーの定理は数学者の宿命を象徴している, と言えなくもないような気がしているのである.
年齢については,こちらで誤解されるほどの実年齢との差は大きくないとはいえ, 日本でも実際より若く見られることが多いので,それほど驚かないが, 「アメリカに住んでいたのですね?」 というのはあまりに頻繁に言われるのでちょっと面喰ってしまっている. 僕の英語は南部の accent とは無縁のはずだし, そうでなくてもアメリカ風の発音や表現は(ついでに言えば英国風の発音も) むしろ意識的にさけているつもりである.
どうも,アメリカに住んでいたのでもなければ(日本人としては?)英語が自然すぎる, というようなことのようなのだが,もし今の僕の英語がある意味で自然なものになっているとすると, それは長瀬先生に負うところが大きいと思う.
長瀬先生は僕が中学生のときに通っていた英語教室の先生で, 戦前戦中をアメリカで過されて,戦後に日本に移住され,当時 Christian Academy in Japan という僕の住んでいた街にあった(今もある) アメリカ人の子供のための中学高校の事務長をされていた. 僕が英語を習ったときにすでにかなりの高齢だったので, ギネスブックに名前を連ねているということでもなければ,もう亡くなられているのではないかと思う. 戦中アメリカでは concentration camp におられたのだろうか? アメリカでの話はあまりされることもなかったが, 差別など,つらい思いをされたこともあったのではないかと思う. そういう経験も背景にあってではないかと想像するのだが (そのような説明を何かの機会にされたような記憶もうっすらとある), 「良い英語を書いたり話したりできなくてはいけない」, ということで徹底的に英文法をたたきこまれた.しかも,教えられたのは, 明治時代のような,いわゆる翻訳調の和文訳による英文法であった.
普通,日本の旧来の文法中心の英語学習は批判の対象となることが多く, 日本人が長い学習時間をかけても英語が使えないことの理由としてあげられることさえあるが, 日本人にとっての英語学習のように,全く体系の違う言語を学習する場合には, 言語の問題と真っ向から向きあうしかなくて, その場合,文法の学習は不可欠であろう.
日本語のあるべき文法体系の記述がまだ編纂されていなくて, 言語現象としての日本語に客観的に向きあう機会を, 学校がほとんど提供してもくれないというのは,当時の日本ではそうだったのだが, 今日でも多分あまり変っていないのではないかと思う.そのような状況では, 英語の文法の学習を機に,私家版の日本語文法のようなものを自分なりに構成してゆく, というような作業でもしてみないかぎり, 言語の問題と本格的に向きあうことはできないのではなかろうか.
当時長瀬先生のクラスに通っていたのはもちろん僕だけではなくて, 他にも5人か6人くらいの子供がいたと思うのだが,この人たちは今どうしているだろう.
僕はその後ドイツで長く暮したので, 英語は僕の第一外国語ではなくなってしまっているのだが (ドイツ語は第二母国語だと冗談に言うことがあるので, その言い方を許してもらえれば, 依然英語が僕の第一外国語ということになる),ドイツ語の勉強を始めたときにも, 長瀬先生のクラスで英文法の基礎を習ったことは非常に大きな支えになったと思う.
でも,そのような文章がすらすらと書けるわけではなくて, 最終的な文章を書き上げるまでに,補筆訂正や推敲にかなりの時間と労力をかけています.
(これは僕の他のページでもある程度言えることですが,特に)このページでは, 文章を最初に upload した時点での未完成の状態からの推敲の全過程を, internet 上に大公開してしまうことになってしまっています.ログをとると, 僕の文章のふくらませかたや推敲の癖を分析することだってできてしまうかもしれません.
しかし,これは,露出趣味でやっていることではありません. 少なくとも,このページに関しては, 推敲過程を意図的に公開することには, 以下のような状況に対しての批判やメッセージを込めているつもりです. 背景の説明から入ると少し長くなってしまうので,項目を改めて, 次の項目 で背景の説明をして, 次の次の項目 で,ここで言った 「批判やメッセージを込めている」言った意味の説明をしたいと思います
一昨年(2006年)の暮れごろだと思うのですが, 20世紀前半で最大のロジシャンという形容に誰も異論をはさまないであろう, ある数理論理学者の伝記の日本語訳が出版されました. 以下,仮にこの数理論理学者を G 呼び,この訳本を [K] と呼ぶことにします.
[K] の原著は,G 本人のノートを含む一次資料を丹念に研究して書かれた労作で, 客観的姿勢を終始崩さず, 数学的な内容についての記述や,数学理論の背後にある哲学の分析なども,大変に的を得たものと言え, しかも全体として平易な英語で書かれていて,読んでいて大変気持のいいものです.
ところが,日本語訳 [K] 方は, 日本語としても意味不明な文章が多い (つまり曖昧構造が多くて構文の複数のパースが可能だったり, ひどいときにはパースが全く不可能なこともある)うえに,明らかな誤訳や, (数学的な)内容を理解しないで訳しているとしか思えない,つまり, 内容を既に知っている人はうまくゆけば察しがつくが, 知らない人には伝わりようがない (なんかちょっと前によくやっていたボイラーの宣伝文句みたいですが) という感じの,訳文がつらなっている個所が沢山あるのです.
近年,一般向けに書かれた科学書の翻訳で,科学者ではなく, 科学ジャーナリストのような人や, 翻訳の専門家や,ひどいときには匿名の誰かが訳したものが多く見られるようになってきています. もちろん,そういった翻訳のなかにもちゃんとしたすばらしいものもありますが, 読み続けるのが辛いような日本語の訳文だったり, 明らかに内容を理解しないで訳しているとしか思われない書き方になっていたりするものも, 少なくありません.
だから,とくに [K] だけをとりたててどうこう言うのも,不公平に思えるかもしれません. しかし,この伝記での G の研究分野である数理論理学は,特に日本では, 社会一般においてだけでなく,数学のコミュニティー内においてさえも, 無理解の冷たい風にさらされており,この分野の研究をしている僕個人としても,そのあおりもあって, 専門の講義もできず, 普通の人間の生活をしながらでは研究に十分時間や労力が割けないようなポジションしかもらえない, という大変にみじめな状況に甘んじているので, 数理論理学の一般の理解を深めるきっかけになりうるような内容の本を, いいかげんに執筆したり翻訳したりしてほしくない,という強い希望があるのです.
そういうわけで,この翻訳を見て,いったんはそれについての批評を公表することも考えたのですが, 訳者や出版社が僕の批判を越えた風評被害を受けて逆怨みでもされても面倒と思い, 個人的な会話の中で発言することはあっても,批判を公表することはひかえていたのです.
もちろん,[K] の翻訳者自身に直接意見を述べることもできるでしょうし, むしろそれが礼としては本筋なのでしょうが, 同じように数理論理学の啓蒙につながる可能性のある作文の推敲のアドバイスをしたために, 非常に不愉快な思いをしたことがかつてあるので, 同じような思いはしたくなかったのです --- このときには,相手が他人の意見を全く受けつない人だったので, 大喧嘩をして結局僕が彼の作文を(無報酬で) ゴーストライトして書き直すはめにまでなってしまいました. 「不愉快な思いをしたことがかつてある」と過去のこととして書きましたが, その後,このときの不愉快な思いの相手からは何の釈明も謝罪ももらっていないので, 実はこれはいまだ現在進行形です. このときの相手は大変無責任な発言をしたので,それに関して, こちらの気持はおさまっていません. もしそういうことができる立場にあるのなら, 彼に対してファトヴァを発令したいくらいです.ただしこれはあくまで本気の冗談です.念のため.
そういうわけで,いやな気分になりながらも, この翻訳に対しては公には何のコメントもしないできたのですが,最近になって, この本の書評が日本数学会の定期刊行物に出たので,読んでみると,なんと,
本書は全般にこなれた日本語になっていて,読みやすい.結構厚い本なので, 誤訳が数カ所あるのは仕方がないことである. すぐわかる誤訳が数箇所あるが,ほとんどは文脈から修正できる.などと書いてあるではありませんか!
これにはちょっと参りました. 出版社や翻訳者にフレンドリーなだけの "紹介文" を数学会の定期刊行物にわざわざ載せる必要はないと思うのですが,この書評の著者は脅迫されたか, リベートをもらったかして,このような文章を書かざるを得ない立場に追い込まれたのでしょうか? もしそうでないとすれば,無責任としか言いようがありません.
でもこのように書いていっても, 僕が一人相撲をとっているようにしか見えないかもしれません.それで,やはり, この翻訳がどういうふうに良くないのかという詳細な分析を, このページにリンクすることにしました.
とりあえず, [K] の中の連続する6ページほどの部分と,対応する原著の英文,および, 同じ部分の僕の試訳,それにこの部分の [K] の翻訳の問題点の指摘を 並置したもの を ここ に置いておきます. これを見ていただいただけでも, 僕の言わんとしていることが, 僕の一人相撲などではぜんぜんないことを納得して頂けることと思いますが, [K] の訳文が「よくできている」, という言明がこの批評だけでなく,インターネット上でも複数見られるので, 上のテキストを更に拡張/改良したものを作成する予定です. ここに書いた批評は, 今書き上げた部分だけでも既にかなり辛辣と言えるでしょうが, そうだとすれば,それは,このような文章を書く決心をしたのが, 単に [K] の翻訳が良くないことを指摘しようと思ったからではなく, [K] の翻訳が建設的批判によって修復することができないくらい良くないことを指摘したかったからです. [K] の翻訳者への批判というよりは,むしろ,このような翻訳を平気で (あるいはむしろ意図的に?)出版した出版社や, それを肯定的に評価した書評の著者に対する批判ということでもあります.
ただし,[K] の翻訳者の名誉のために言っておくと,ここで選んだ数ページは, 数学的内容の理解のエラーや, 英語読解のエラーや,日本語のエラーなどの集積度が [K] の中でも比較的高い部分です. すべてのページで,このような高密度で,面白い誤訳が発見できる, というわけではなくて,もう少し普通の出来の悪い翻訳に近い部分も存在します.
上に述べたような意味で,翻訳者や書評の執筆者には強い義憤を感じてはいるものの, これは個人的な恨みのようなものでは決してないので, 個人攻撃になるようなことは避けたいのですが,まあ,アマゾンの書評ではないし, main web-page から数レベル下った場所に置かれたページになら, 批判を掲載してもすぐに公衆の目に触れて大きな影響力を発揮することもないでしょう.
… と書いてから気になって [K] のアマゾンの書評を見てみたところ,なんと,ここにも,
… 翻訳もよくできています。分担して訳されたとのことですが、文体に段差を感じません。 訳者あとがきもどちらが書かれたか、わからないほどです。 …というような書評が載っているではありませんか.しかも,
もちろん明らかな誤字あるいは変換ミスが複数ありますし、"普通ここはこう書くだろう" とつっこみたくなる表現もあります。 だから星1つとりましたが、文句をいうなら多くの参考文献のうち一つでも翻訳してからなのでしょう。とあります! 僕はこの本の文献表に含まれる複数の本の翻訳をしています. 「からなのでしょう」は日本語としていまいちよく分りませんが, これはまさに僕に批判を公表せよ,と言っているものとしか思えません.
実は,このアマゾンでの書評の前半にはかなりクレージーなことが書いてあって, こういうクレージーなことを書くような読者を意図的に集めることが, この本の出版社の販売部数をのばすための作戦なのではないか, という邪推もできてしまいそうな気さえしてきます. しかも,ベストセラーになっている本の多くを思いおこしてみると,日本では, そのような読者を集めるとが実際に出版部数をのばすための効果的な作戦になっていることが多いので, これは油断のできない憂鬱な現実と言えます.
[ この記事は (このページの前書きへの Postscript) からの続きで,その文脈からは,美文のことは美文でせよ がこの記事に続く文章です.]
美文を連ねることは数学の本質とは関係ありませんし, 数学に限らず,文章に拘泥することで思考が滞ってしまったとしたら本末転倒です. 問題なのは思考の内容なのであって,悪文悪筆は厭わない, という態度は,だから,考える人のモラルとしては当然なことです. その延長として,分りやすい文章を書く, とか,説明を工夫する,ということは往々にして軽蔑されがちでもあるのでしょう. しかし,考える道具としての言葉ではそうなのでしょうが, 一旦,他人に読ませる,あるいは分らせるものを書く言葉(さらには, 自分自身がより深く分るための言葉),ということになったら, 「悪文悪筆は厭わない」という姿勢は,ありえないのではないでしょうか. しかも, [K] の問題点は,非常に分りやすく書かれた本の,多くの個所での 意味の分りにくい,あるいは読みとれる意味の原著と異なる翻訳ということなので,もし, この本の訳文が,「悪文悪筆は厭わない」という態度からの派生として出てきたものだとすれば, 「問題なのは内容なのであって」という,「悪文悪筆は厭わない」 態度の精神の意味を完全に取り違えている,としか言わざるをえないでしょう. ついでに言うなら, 「自分自身が分かってから書く(訳す)」という姿勢も [K] の翻訳者には決定的に欠けているように思えます.
数学では, 不完全な記述や間違った記述からも正しい内容が再現できる場合が 少なくありません.むしろ本からちょっとヒントをひろって,あとは自分で考える, というのが数学者の日常的な専門書の読み方と言えるので, この読み方をしたときには,本の細部が正しいか正しくないかはあまり問題にならないことが多いのです. [K] の数学会の定期刊行物での書評に 「すぐわかる誤訳が数箇所あるが,ほとんどは文脈から修正できる.」とあるのは, [K] の数学的な記述の部分に対する 評者の, このような数学者としての読み方を反映しているのかもしれません. しかし,そうだとしても,数学的な内容が「ほとんどは文脈から修正できる.」のは, この本の場合には,数理論理学のトレーニングを十分に積んだ, 日本の数学者のうちでは全体の 1% にもみたないマイノリティーにすぎないでしょう. しかも,この本は,文化的,歴史的な背景や, 数学の哲学にも踏み込んだ記述がたくさん含まれているので,そのような部分については, 翻訳で失なわれたものは,原著に戻らないかぎり「修復」不可能です.
近年,科学(つまり,日本で「科学技術」と言うときの「技術」の添えものとしての 科学ではなくて,本当の「科学」)は,どんどん社会の隅に追いやられているばかりでなく, 大学でも肩身の狭い思いをさせられています.数学に至っては,日本の大学の大半で 「数学科」が消滅してしまったのを見れば, その窮状がいかに逼迫したものであるかが分るというものでしょう.
これに対してはもう打つ手はないのかもしれません.しかし, 日本の科学,あるいは数学が亡ぶことが決まってしまっているとしても, あるいは(これは科学者にとってはほとんど前のステートメントと同値ですが), 日本が亡ぶことが決まってしまっているとしても, ただ手をこまねいていていいというわけではないでしょう. 実は,地球環境の専門家の内輪話を聞いてみると, むしろ,地球温暖化に象徴されるような変化の加速により, 「人類が(数世代のうちに)亡ぶことが決まってしまっているとしても」, という仮定法のもとで (あるいは,我々が知らないうちに,すでに仮定どころか, 確定した前提条件になってしまっているところのもののもとで) 考えなくてはならないのかもしれませんが, とりあえず,我々の手のとどく範囲として,数学の衰退に対してできることは,数学の各分野での 研究とその意義について, あるいはその素晴しさ, 美しさについて(数学の裾野や数学の外にいる一般のオーディエンスに対しても, 他の分野の数学者に対しても)分る能力のある人には判ってもらうための正攻法での努力を続ける, ということではないかと思っています.今「分る能力のある人には判ってもらう」 と書きましたが,これは,「分らないやつは分らなくてもいい」 という対偶命題に近い形で表現されるスタンス (まさにこれが日本の旧来の数学者の平均的スタンスだったと言えるでしょう) とは正反対の性質ものもです.
また,僞科学(ないし僞数学)や僞科学的態度を助長したり, 意味不明の発言を歓迎したり,さらには商売としてそれに便乗したりしようとするような風潮に対しては, 批判の労力を惜しまない,という毅然とした態度もぜひとも必要でしょう.
明日世界が滅びるとしても,私は今日一本の林檎の木を植えるだろう.* これは Martin Luther (1483 - 1546) が言ったといわれている言葉です.
さて,このページの前書きへの Postscript でも書いたように,このページは,書きっぱなしのブログの文章とは異なり,upload した後に,かなり執拗な推敲を施しているのですが,このページを見てくれている若い人には, 「分る能力のある人には判ってもらう」ための工夫と努力の参考として, この推敲の過程を見ていただければと願っています. もちろん,このページは数学に限った内容にはなっていないし, 僕の文章法が完全だと主張しているわけでも全然ありません. むしろ僕の文章にしても改善の余地は沢山あるでしょうし, 文章自体も個人的な癖の強く出ているもので, そのまま参考にできるような代物ではまったくないでしょう.そうではなくて, 参考にしてもらいたい,と言っているのは,文章を推敲して, 読み手が文章のほころびに足をとられず, こちらの書きたいことができるだけ伝わるような書き方の工夫をしてゆく, という努力のありかたです.