[この日記の一番最近の記事]
[もどる]
※ この page の内容(html file のコードを含む)の GNU Free Documentation License に準拠した引用/利用は歓迎しますが, 盗作/データ改竄やそれに類する行為には 天罰が下ります. 絶対にやめてください. ただし,ここで書いたことの一部は, 後で,本や雑誌記事などとして発表する作文の素材として再利用する可能性もあります. その際,再利用されたテキストに関しては, 諸事情から GNU Free Documentation License に準拠した扱いができなくなることもありますので, その場合にはご諒承ください.※ 以下で用いられているタイムスタンプでは,日付変更は深夜の4時に行なっています.たとえば, 11.07.22(金02:35(JST)) は通常の時間表示では日本時間の 2011年 7月23日(土) 2時35分です.
Wellington は入りくんだ湾に面した港町で,大学が海を見下ろす丘の上に建っていたり, いたるところに急な坂があったり,と, その地形は神戸を連想させるものがある.しかし,町の規模としては, 神戸よりもむしろ北見と比較ができるのではないかと思う. 北見では古い建物はすでに朽ち果ててしまっていて, 街には新建材による新しい家が無機的に並んでいるだけなのだが, Wellington では木造の昔のままの建物が丘の上に散在していて,ここを歩いていると 昔の鎌倉の住宅地にでもいるような錯覚を憶える. これらの木造の家には腐食をさけるための白いペンキが厚くぬられていて, 横に渡された細い板を少しづつ重ねて外壁をつくる作り方は,僕の子供の頃には, 日本でもよく見られたものだった.
English speaking country に一週間以上滞在する, というのも初めての経験だった.New Zealand の歴史から,まだある種の apartheid が残っているのではないかと思っていたのだが,これは全く僕の認識違いだったようだ. Wellington の人たちは,英国系の人も, もとの土地の人も, 新しく来た外国人の人も皆とても人なつこくて,1人で街を歩いていると, 特にこちらから声をかるわけでもないのに, 公園や街中などで色々な人と会話になった. 一週間ちょっとの滞在でこんなに沢山の色々な人と言葉を交したのは本当に初めてのような気がする. もちろん会話は英語で行なわれるので,話しかけられた英語にある程度 intelligent な返答が返せる,というのもポイントになっているのだろうが, もっと言葉の不便のないドイツ語圏でも,街でこんなに頻繁に人と話したという経験はないので, これはやはりニュージーランド人のメンタリティーに起因することが多いのではないかと思う.
Wellington に着いてびっくりしたのはヨーロッパの Amsel がいることだった.ドイツのアムゼルと比べて鳴き方に方言がほとんどないようなので,不思議だったのだが, 散歩に出掛けた植物園の売店で買った野鳥の図鑑によると, これはヨーロッパ人が19世紀に持ちこんだものらしい. 3つも4つも違った音質の鳴き声を瞬時に鳴きわける R2D2 のような鳴き声の鳥もいた. この鳥の名前は分らなかったが,さきほどの野鳥の図鑑には鳴き声の CD がついているので,日本に帰ってから何という名前の鳥かチェックしたいと思っている. 植物の体系も他とは全く異なっていて,シダや松などの古いタイプの植物のバリエーションが豊富だ.
学会で十数年ぶりに会った修士のときの先生だった J. Makowski は,logic を使って結び目理論の結果を出して,結び目理論の研究者にいやがられている, ということだったが,学会の会期中に有限グラフ理論で logic を使って専門家をいやがらせてやろう, という陰謀 (研究打合せ) を筑波大学の坪井明人先生とめぐらせたり, 北陸先端大学の小野寛晰先生に退職後に研究をするひけつについて話をうかがったり, と,英会話だけではなく,日本語での参加者との交流もなかなか有意義なものになった.
とは言っても,iPad 特有の操作性は大変に重宝している. iPad 上の pdf ファイルにタッチペンで書き込む,という方法で雑誌の記事の校正をした. 講義のスライドの beamer のための下書きをやはりタッチペンによる手書きで寝転んで作っている.
いずれも pc ではできなかった使い方である. 「寝転んで」ということ以外にも, pc では右手でマウスやタッチパネルの操作をしているので, 手描きの操作性は左利きの僕にとってまったく新しい経験であった.
Richard Stallman は,アップルの, ソフトウエアやハードウエアをユーザから見えないブラックボックスの魔法の商品として売る基本姿勢について, 強く批判してきたが, 彼は,Jobs の亡くなった後に posthumous な offend を自分の web page に post したらしい.「憎さ余って…」ということなのだろうか. しかし,アップルは人の知性の補助装置としてのコンピュータ, というパーソナルコンピュータの夢を捨てずに,それを商売として成り立たせることに成功すらしている, という意味で,大衆に知性が欠落していることに付け込んだ商売をしている xxxxxsoft に比べてずっと好感が持てる,と言えるだろう.
ネット上で読んだ 論説 には Steve Jobs が大衆に対して持ち得た影響力を Stallman が持つことは決してないだろう,というのがあったが,これは確かにそうだろう. そして多分今の世界の仕組, というより人類の文化は,大衆の認識しないものは "存在しない" のだ. この非存在の呪縛に対抗するためのメディアが,数千年かけて, 粘土盤の上のくさび型文字からネット上の文字ファイルに進化した, ということなのだとすると, 粘土盤の上の文字を解読する数千年後の読者に対応する, 人類が滅びた後の知性に期待するしかないのかもしれないという悲観的な気持もしてくる.
この話とは少しずれてしまうかもしれないが, ポピュラーかそうでないか,というコントラストでは, 指揮者のカラヤンとロジシャンのゲンツェンの対比も連想される.
カラヤンは多分,主に自分の音楽活動の成就だけを考えて NSDAP に入党し, ゲンツェンは,海外の学会に参加を許されるために NSDAP に入党した. カラヤンが戦後クラシック音楽の重鎮としての栄誉につつまれて亡くなったのに対し, ゲンツェンは終戦直後のプラハの路上で強制労働をさせられているときに,``悪いドイツ人'' の1人として, 民衆から投げ付けられたブロックにあたって重症を負い,衰弱死した. もちろんゲンツェンをカラヤンと比較するのは不謹慎だろうが, 大衆が知っているのは,ゲンツェンではなくカラヤンの方だろう.
付け加えておくと, このエントリーの大部分は iPad 上のメモ帳で寝転がって書いたものを pc に送って emacs で最終編集したものである.
数学が恐いという感覚は,だから,決して他人事ではないのだが, これは正面から向ってゆくしか他に対処法はないのではないかと思う. 精神衛生上はあまり健康なことではないのかもしれないが.
よく,「数学史」と称して,ゴシップや与太話の類の茶飲み話で数学に対する恐怖心をまぎらわそうとする人がいるが, これはむしろドアを開けたふりをして入口に背をむけているようなものだろう. このごろはロジックや集合論の歴史的発展に関する議論にも首をつっこんでいるので, いつのまにか自分もそのような種類の逃避としての数学史をやっていたりすることはないか, という恐怖を憶えないでもない.
今回のバルセロナ滞在もランブラス通りの近くに宿泊してバルセロナ大学に通うという生活だったため, 観光客などでごったがえしている中心街で主に生活することになり煙草臭さに相当閉口した. 泊ったホテルや街中のレストランの中が禁煙なのは助かったのだが.
ところで,今,大変にすばらしいアイデアを思いついた. 政府関係者にもぜひとも伝えたいくらいである.福島の原発事故以来, 煙草の健康被害の確率と放射性物質による遺伝子異常の発生の危険性の比較がよく議論されているが, この際,特別法案を作り,放射能汚染地域を (だけを専売的な) 煙草栽培の拠点にして, 被災地の地方経済に危機を乗りきってもらう,ということにしてはどうだろう. 健康被害の危険要因を1つに集約できて一石二鳥ではないだろうか. 煙草の収穫を何(十?)年か続けながら除線が進んだ後で,本来の農耕地活用にもどせばよいだろう. もちろん,煙草は合法麻薬ではあるが,そうだとしてもこのアイデアを不謹慎と思う人も当然いるだろう. しかし実際のところ,原発事故の後処理の直面している事態は, 不謹慎とか不謹慎でないとか被災者の感情をさなでるとかさかなでない, などと言っていられるようななまやさしいものではないだろう.
経済的ないし社会的な効果や問題に関して言えば, 危険をかえりみず喫煙をしている勇敢な人々は放射性物質の危険性が煙草に付加されても何でもないだろうし, そういうヘビーな依存症疾患にかかっている人々の平均年齢は比較的高くて, これから子供を作る人達との共通部分も比較的小さいのではないだろうか. しかも煙草の排煙に放射性物質が含まれているということになれば, 分煙はもっと進んでくれるだろう.今のように, 喫煙場所が通行をさけられないような場所に設置されているために, 大変な大回りをすることを余儀なくされているような不愉快な事態も改善されるのではないだろうか.
僕は日本で数学者としてひどい待遇を受けている,とは日頃感じているが, そのことを除くと, 特に自分のことをこのような意味での「日本の数学者」とは意識していないので, そのような話を聞いていると,とても不思議な気持ちがしてくる. 実際,僕は国籍は日本だが,数学者としては,むしろ, 僕が学位や教授資格 (Habilitation) をとったドイツの数学者だと感じていることが多いような気がする.
数学はインターナショナルな学問で, さらに言えば,国家のライフスパンを越えた歴史を持つ学問なので, 国籍や文化背景は,数学では,色をそえることはあっても決定的な要素とはならないはずである. 「日本」に固執するのは単に数学をするだけの能力のない人たちの, 言いのがれのようなものにすぎないのではないだろうか.
数理研で開催する集合論の学会はヨーロッパやアメリカなどからの数学者が複数参加するので, 僕が京都に来るときには日本語を話していることがほとんどなくて, 昔住んでいたベルリンから, ヨーロッパ人の参加者たちと一緒に学会に参加しに来ているような錯覚に陥ることも多い. 今回,日本人の参加者だけしかいないこの数学史の研究会の参加者の人たちと, 日本語で話して百万遍のあたりを歩いていると,なんだか同じ街に来ている気がしなかった.
先日,RIMS で開催された 数学史の研究集会 で, 公理的集合論の成立の歴史についての話 をしたときに,この講演の後でもやはりそのようなコメントをした人がいた. そのときには,いつものような受け答えをして演壇を降りたのだが, 後で家に帰ってから,もう一度記憶をたどりなおしてみて,このことの本当の意味に気がついて愕然としてしまった. つまり,僕が講演で伝えようとしていたメッセージが,今まで聴衆に全く届いていなかった,ということである.
独立性命題は,恐怖を呼びおこす危険などではなくて,むしろ 数学的無限の本質の啓示 のようなもの, ととらえるべきものだと思う. 集合論研究は,だから,この啓示から導かれる無限への開悟を深めてゆくことである. このことは,僕にとっては全く自明なことに思えていたし, 誰でも分るはずのことのように思ってもいたので,特にそれ以上の説明をしないでいたのだ. また, 「そんな恐しいことが …」 という種類のコメントは,単なるジョークだと思っていたのだが, 考えてみれば,ジョークを言うことの苦手な日本人から,あんなに頻繁に同じジョークが出てくるはずはないのだ. なぜ今までそのことに気がつかなかったんだろう.
「ごく日常的な数学的命題も集合論から独立であり得る」というな話をしたとき, 伝えたいメッセージは,危険に対する注意のようなものではなくて, 「日常的な数学の中にも,このように数学的無限の本質の啓示がなされているのだ」 ということである. これからは,一般向けの講演では,このことをもっと丁寧に説明するように心掛けるべきだと,深く反省した次第である.
...
永遠は瞬間の中にしか
啓示されないと意識するとき
黄色い水仙をつむ指先が
ふるえる
... --- 西脇順三郎 『アポカリプス』
岡潔は晩年天才ということになって,おとぎ話で言えば, 「めでたしめでたし」とでも言うような感じの生涯の閉じかたをしてしまったが, 紀見峠に籠って数学の研究に打ちこんでいた時期の岡潔については, 彼のことを良く知っている人も彼の天才については半信半疑だったのではないだろうか.
現在紀見峠に接している橋本市が岡潔をかかげて町興しのようなことをしようとしていて, その一環として岡潔の絵本を出版したようだ. 僕はまだこの絵本の中身を見てはいないのだが, ネット上に置かれた絵のサンプルなどから, この絵本で,岡潔は紀見峠にいたころの気違いあつかいされていた壮年の岡潔としてではなく, 温和なおじいさんの岡潔として書かれているようだ. これは,「坊ちゃん」に書かれている (現在でもそのまま通用する) 地方都市批判を全く素通りして 脳天気に「坊ちゃん」 の町として町興しをしている松山市 (まあこのごろは坂の上の雲の町としても成功しているようだが) と同じくらいの滑稽さではないかと思う. それが滑稽かどうかは別としても, もし橋本市がこのような活動を通じて本当に第二の岡潔の出現を期待しているのだとしたら, この絵本は大変に残念なことと言わざるを得ないだろうが, 多分そのような覚悟があるわけではなく, そのことの意味もよく判っていないのではないだろうか.
高瀬さんの本には,来日したヴィエイユが, 大多数の天才でない数学者は (天才の創造する数学に共鳴する) 共鳴箱にすぎないと言った, というのも書いてある. これは当時の日本の 「民主的」 な若い数学者たちが猛反発したということで, 記憶に間違いがなければ, この話は,「当時の若い数学者」の一人だった (故) 倉田令二朗先生の書いたものにも出てくる. しかしこれは,意地悪な見方をすると, 当時の日本の若い数学者であった彼等自身, 後に人生の後半で,天才のふりをする共鳴箱を演じる下心があったということなのではないだろうか, とも思えてくる.実際あの世代の共鳴箱や共鳴箱以前で, 「えらい先生」になられた方も沢山いらっしゃるようなので.
実際には,数学の学位をとっても共鳴箱にもなれない人が大多数なので, 共鳴箱だって十分特権階級である.前に 「本物の数学者ではないが,数学者であろうと努力している人」 と書いたけれど, 共鳴箱も天才を目指したらいいと思うし,僕自身もそのつもりでいる. 共鳴箱になれない人も共鳴箱を目指したらいい, と大々的に薦めていいのかどうかは微妙であるような気もしてきているのだが ….
不断の努力をしても共鳴箱は共鳴箱で終るしかないかもしれないが, それは共鳴箱の側の責任ではないし, そのことが共鳴箱の側の各個人の悲劇につながったとしても, それは才能を持っていなかった人の身から出た錆にすぎないだろう.
ところで,上の 「必要があって」 は,実はネット上で高瀬さんの本の剽窃をしているブログを発見して (このブログは,"岡潔","比較文化論", あとは高瀬さんの本の中のいくつかのキーワードをたしてサーチすると, (11.08.28(日13:49(JST)) 時点では) 簡単に見つかる), これがどのくらいのコピペ度のものかを分析するために高瀬さんの本をとり出して比較を始めた, ということだった.フォロアーを増すために(?)あらゆる手立てを使うというのは, どういうことなのか. 受けることが問題で真理とかいうようなうそにだまされてはいけない,というのは 「お笑い芸人」 的世界観なのかもしれないが, 他人にうけることが最重要という価値観はどう考えても納得がゆかない. もっとも 「受ける」 という意味では, ネット上の精神異常者にコピーされるほどの本を書いた, という意味で,高瀬さんは最高に「受けている」人と言えることになるのかもしれない.
講演 は, 無限グラフとその有限部分グラフの chromatic number の間の自然な関係を確立するために選択公理が必要になること, 平面の chromatic number に関する未解決問題,平面の coloring number と関連する僕の最近の結果, などに触れるものだった.
一般講演としては割りとうまくできた方ではなかったかと思うのだが,講演の後で, 「これは何の役にたつのか」 (あるいは「これは何の意味があるのか」というような文言だったかもしれない) という質問を受けてひどく混乱してしまった.
もちろん, 数学以外の聴衆に向けた講演でそのような質問をする人が出てくることは十分に予想できるし, そういった場合に対する理論武装は十分にできているつもりなのだが, ここで質問したのは数学の教官で, しかも,この人がいわゆる純粹数学の研究分野で仕事をしている人ということもあらかじめ知らされていたので, ショックが大きくてインテリジェントな答を返すことができなかった.
少なくとも数学者なら,この講演で話題にした結果の意義や, 数学全体に対する意味は,十分にくみとれるように話していたつもりだったので, その意味でも,この人の質問の真意自体はかりかねた. その真意を引きだそうして, わざと工学系の人たちにサービスで答えるであろうような応答をしてみのだが, それにも明確な反応が帰ってこなくて, たいへん歯切れの悪い,嘔吐感のような気持の悪さが残ってしまった.
この質問をした人は,老化現象で 「そんなことをやってもしょうがない」 的な発言しかできなくなっているだけだったのかもしれないし, 昔習った御師匠さんか誰かがそのような口癖のある人だったので, それをあまり考えずに学習してしまっただけなのかもしれない. そうだとしても, やはり質問をした人が数学のポジションを持っている人だというのはやはり大変ひっかかるところがあった:
Saharon のような本物の数学者なら, 「これは何の役にたつのか」とか 「これは何の意味があるのか」とかいうような疑問はいずれにしても無意味だろう. 彼/彼女はそのようなことを質問するまでもなく,自分から即座に 「これは何の役にたつのか」とか 「これは何の意味があるのか」という質問の答になっているような新しい数学の結果を, 泉がわくように次々と思いつくだろうから.
しかし,本物の数学者ではないが,数学者であろうと努力している人にとっては, 「これは何の役にたつのか」 とか 「これは何の意味があるのか」 とかいう設問は致命的ではないだろうか. ただでさえ何も出てこない彼/彼女の数学のアイデアの泉が, こういった生産的でない設問でさらにブロックされ涸れはててしまう危険が大だからである.
たとえば 数直線 R の有限直積の全体の集合 { R, R^2, R^3, ... } は可算集合のくせにツェルメロ集合論でその存在が証明できない。「普通の数学」でもさすがにこれは集合と認めるだろうよ。
とあるが,これは, 本質的に間違ったリマークであるように思える.
藤田氏も同じ twitter の少し別の場所で補足しているように, $n$ 組を $n=\{0,1,\cdots,n-1\}$ 上の関数と思うことにしたときの, $\{\reals^1,\reals^2,\reals^3,\cdots\}$ が集合となることの証明はツェルメロ集合論でできる. つまり,このコーディングを前提とすれば, $\{\reals^1,\reals^2,\reals^3,\cdots\}$ はツェルメロの集合論の中で, 数学的対象として扱かうことができるわけである.一方悪いコーディングを前提とすれば, 簡単に見える対象が集合として扱えなくなってしまうことは, ツェルメロの集合論に限らずどこでも起こりえる.
この学会の講演が全部終った後, 前にこの学会の会長をしていた人と会場のロビーで議論をしたのだが, その話の中で,唐突に 「...(の研究分野) では,最近は ... という議論が行われていることが多いんですよ」 と言われて,彼の言わんとしている文脈が分らなくて咄嗟に言葉がつげなかった. でもこの前後に彼が言ったことをよく反芻してみると, どうもこの人は,科学というのは外国の今はやりのテーマの議論の尻馬に乗ることだ, と信じているらしいこということがわかってきた. その直前にパネラーとして参加したワークショップでも, 非生産的な質問に議論の腰を折られてしまい, 折られた議論を回復するだけの時間も与えられておらず,不満が鬱積していたところだったので, なんともいたたまれない気分になってしまったのだった.
日頃, 連れに 「ああいう学会に出ていると数学者にまともに相手にされなくなっちゃうよ」 と批判されている. 「あんたの分科会は歴史と組になってるから 『歴史の人』になっても目立たなくてよい」 と皮肉を言われることもある. 数学自身が数学の哲学であるべきだし,数学史は, 歴史の専門家を別とすれば,コミットできるのは ``working mathematicians'' でしかありえないと思っているので, 巷に蔓延している,数学や科学,またその哲学的,歴史的背景に対する 議論以前の茶飲み話的風潮 を制するためにも積極的に発言をしてゆきたい, と考えていたのだが, これをすることは限りなく時間の浪費に近いことでもあるのかもしれない. 残された時間の活用のためには, 少し方針を検討する必要があるかもしれないとも反省しはじめている.
こう書いてから, 上にリンクした 昔に書いた文章 を読みなおしてみたら, そこで, 「分る能力のある人には判ってもらうための正攻法での努力を続ける」 と書いていた. これを書いたときの僕の置かれていた状況は今に比べると格段に絶望的なものだったのだが, このスタンスは, 今の僕に対しても有効なものなのだろうか.それとも, 数学者としての能力を最後に振り絞ることのできる可能性が多少は見えてきている今の状況をたよりに, そんな俗事はすべて無視して数学に専念すべきなのか.
「ユルスナールの靴」は, ヨーロッパへの郷愁の向うに子供時代への追憶がかすんで見える,というような須賀の本のいつもの遠近法に, ユルスナールの一生と, ユルスナールにまつわる記憶がからまるようにしてできた魅力的な本なのだが, 今回,精読してみて,日本語の修辞のほころびが意外に多いのが気になった. ユルスナールという重いテーマに,ちょっと筆に力が入りすぎていたのかもしれない.
僕が須賀敦子の本を知ったのは 1997年だったので, 彼女がまだ亡くなる前のことだったことになる. 北見の, 今ではもう何年も前にシャッター街に埋没するように閉店してしまっている駅前の福村書店の本店で本を見ていて, 偶然 「トリエステの坂道」 というタイトルにひかれて手にとったのが,僕の読んだ須賀敦子の最初の本だった. でもこの本に書いてあったのは,僕が期待した, ジェイムス・ジョイスが英語の教師として生計をたてながら 「ユリシーズ」を執筆していた国際都市としてのトリエステではなく, ウンベルト・サバの,もっとローカルなイタリア語の方言の聞こえてくるトリエステだった. 今手元で開いている「ユルスナールの靴」も福村書店のカヴァーがかかっている.
須賀敦子の本の中のヨーロッパはフランスやイタリアなど主にラテン語圏のヨーロッパなのだが, 僕の中のゲルマン系の北ヨーロッパへの郷愁と共鳴するなにかがある. しかし共鳴しているのは,北ヨーロッパであるか南ヨーロッパであるかは全然関係なくて, むしろ,自分にとって異郷であるはずの場所への郷愁, というようなデジャヴにも似た感覚なのかもしれない. しかも,近年,バルセロナに何度も滞在するようになり,神戸に移住した今では, 須賀敦子の本の中に嗅ぐことのできる地中海の臭いや, 港町をはるかに見下ろす教会の鐘のなる昔の神戸の記憶は,とても身近なものにも感じる.
大槻義彦先生には, 昔,化学科の学生だったときに物理の演習を教わったことがある. 当時は,先生の話される日本語がまだ今ほど標準語に近くなかったためか, あるいは僕の東京語以外の日本語に対する能力が今より低かったためか, 先生が黒板を前に話される日本語を, ほとんど理解することができなかったことが,強烈な印象として残っている. 今日,ニュースで大槻先生の御名前を発見して,そんなことを思いだしたのだが, そのニュースというのは:
大震災が起きた宮城県出身の大槻義彦早稲田大学名誉教授がブログで、放射性物質が検出され出荷停止になったホウレンソウも牛乳も実は安全だとし、「出荷停止のもの、私が食べますからお送りください」と訴えた。3ヵ月間食べ続けるという。 (J-CASTニュース)
というものだった. もし折角三ヶ月食べるのなら,ただ食べるだけではなくて,調理前の放射線量と調理の過程で洗った後の放射線量. ミルクを冷蔵庫で賞味期限ぎりぎりまで保存しておいたときの,冷蔵庫内の汚染の状況とそのときのミルクの放射線量などを測定して公開していただけないだろうか,と思う.さらにこれを言うと皮肉に聞こえてしまうかもしれなくて,よくないのだが,三ヶ月の後に子供を作って遺伝子異常が出ないことを確認していただけないであろうか,とも思う.
この日本文化の正統的な継承者であるところの手鏡教授なんていうのも,ひところ話題になっていたが, それは別としても,日本で「文化」と言ったときに何となく後めたいような気分が漂ったりする,というのは, このへんから来ていることなのではないだろうか.
これはヨーロッパの知的エリートが胸をはって言う ,,unsere (abendländische) Kultur'' とか 《notre culture (europeénne)》 などとは違う種類の「文化」なのではないだろうか.
… というのは,某官房長官の今日(11.03.19(土))の記者会見での発言 とされるものであるが, ネットで見たかぎり,どのメディアも何のコメントも批判もなく,この発言を引用していた.
これは, 意思決定をする立場にいる人々やそれを批判する立場にいる人々の知性 (ないしは(科学的な)教養)の欠落を示しているのか, あるいは,そういった人々が, (彼等が「決定的に頭が悪い」という評価を下したところの平均的な日本人たちがパニックを起こさないために?) 恥知らずにもパフォーマンスとしてわざとやっていることなのか.どちらにしても,この報道を含めて, 原発事故に関する政府の発表や報道は,第二次世界大戦中の日本の「大本営発表」を連想させるものがある.
Erdös が,彼の講演の中でよく話したジョークに, 天国には数学のエレガントな証明を書いた本があって, 数学者がどうやって思いついたのか分らないような不思議な美しさを持つ証明を見つけたときには, 実は彼/彼女は天国にあるこの本のページを垣間見ているのだ, というのがあった.その本に書かれていると思われる証明を集めてみた, というのがこの本の趣旨である.もちろん Erdös にささげられた本だから, Erdös が天国の本から剽窃してきた証明も沢山載っていて, どれも一体どうやって証明を見つけたのか分らないような,でも, だからこそ不思議な美しさを持つ証明ばかりである.こういう証明を見ていると, 彼が歳をとってきて, こういう証明を天国の本から盗みとってくる神通力を失いつつあったときの絶望はどんなものだったのだろう, と考えて,実に涙ぐましい思いがしてくる.
しかし,天国がこの美しい証明の書いてある本の置いてある場所なのだとしたら, それはずいぶんと人間臭い場所だと言えるのではないだろうか. そもそも,数学の証明が美しいと感じられたり, 不思議に思えたりするというのは, その証明が人間の思考の限界ぎりぎりのところで行なわれた「神技」であったり, あるいは逆にそのようなものを予想していたときに, 思いもよらず簡単な人間の思考能力の境界内に余裕で収まるようなものだったりしたときなのではないだろうか. つまり,この「美」は我々の脳の処理能力に依存するもので, 絶対的な数学的真理とか美というようなものがあるとしたら, それとは少し違うものなのではないかという気がするのである.
あるいは, 証明とは,この「絶対的な数学的真理」を垣間見るための望遠鏡のようなものだ, というふうに考えることもできるのではないだろうか.そう考えると, 「絶対的な数学的真理」を垣間見ようとしているのが, 我々の生理的な限界に縛られた心の目であるかぎり, この望遠鏡も我々の心の目の視力に見合ったものであるほかないのは当然である.
一方,そう考えると, 美しい証明を論ずることは,望遠鏡で見ることのできるかもしれない星雲のかなたを忘れて, 望遠鏡の性能を競うことにふけっている天文学者の愚行のようなものであるようようにも思えてくる.
その一つは,本書の p.137 にある,「昔からあった問題の解決に方法を限定しようとする試み」として著者が現在ではあまり意味がないもの,としてあげている4つの問題のうちの後半の2つ:
(3) 実数 x 以下の素数の数が x/log x で近似されるという,いわゆる素数定理を複素解析を使わずに初等的に証明できるか.という問題に対しての著者のコメント: 何かある定理または理論があるとき,それをより簡明にして易しくするのはもちろん意味があるが,(3) や (4) のように「方法の制限」をしようというのは実際的でも有用でもないと思われる. がある.もちろん,「方法の制限」は生産的ではないと言えるかもしれないし,この「方法の制限」をぐだぐだと講義で時間をかけて説明することがいいとも思われない. しかし,この問題は,(普通の)数学のどの部分をどのくらいの consistency strength を持つ(公理的集合論の)部分体系に落とし込めるのか,という非常に重要な問題と関連しているので,これを「有用でもない」と言いきってしまうのは,あまりにも無神経ではないかという気がするのだ. 新しい定理を得るという意味の生産性とは直結しにくい話かもしれないが,consistency strength が,たとえば, ε0 以下くらいのところに,これらの定理の証明を落とし込む汎用的な手法が開発できれば,それを吟味することで,有用な metatheorem が何か得られる,ということは十分にありそうだし,もしそういうことができれば,それはある意味非常に「実用的」でもあるだろう. [この項はまだ書きかけです.]
(4) 類体論の主要定理がゼータ関数などの解析を使わずに代数的にできるか.
この博物館のショップで,たまたま売っていた Aigner 先生と Günter Ziegler の共著の Proofs from The BOOK のドイツ語版第3版 Der Beweis を買った.この本は昔英語版を買って読んだことがあった. ゲーデルと20世紀の論理学 の僕の担当の集合論の入門の章で書いた, 関数論の命題による連続体仮説の特徴付けに関する Erdös の定理は,この本の17章を参考にしたのだった.
この本の立場は, 何が使える数学なのか で触れた, 志村五郎著, 『数学をいかに使うか』,(ちくま学芸文庫,2010) とはきわて対照的である. 両方とも,各章読みきりで各章ごとに異る数学のテーマを扱っていることや, 微積と線型代数など大学の一年生が習う数学のみを前提としていることが共通しているが, そのことを除くと,著者たちの思想は 180° 違う方向を向いているように見える.
『数学をいかに使うか』では,そこで述べられている数学の選択基準は,「何が使えるか」という, 著者が設定している判定条件のよくわからないものであるために, 読者は「使える」という複数の解釈の可能な無定義用語に振り回されてしまうか, そうでなければ,そこには目をつぶって,そこに展開されている数学を (この本の『はじめに』での表現を借りれば)「気楽に」読む,ということになるのだろう.
これに対して,,,Der Beweis'' では,そこで集められた数学の結果の選択は,美しい証明,エレガントな証明, 目をみはるようなあざやかな証明,というような,これもやはり判定条件自身はあまり定かでない, しかし美学的には整合性の感じられる価値判断に基いたものとなっている. こちらの本では, 選ばれた証明の選択基準については, 何が著者にこの証明をエレガントと感じさせたのか,を考えながらその証明を読む, という読み方が可能なので,読者の美学的立場が著者のそれと必ずしも一致しなくても, 本のメインテーマからはずれずに読むことも可能である.
ただし,2つの本の扱っているトピックスはほとんど disjoint と言えるが, そこに集められた数学の違いは, 著者たちの研究分野の違いからくる価値判断の違いもあるようで, むしろ集められた結果の集積の香りの違いはむしろそのことに起因しているようにも思える.
しかし一方で, 読んでいて非常に不安に感じる点もあって, 素直に手を動かして細部を埋めながら読みすすむ, という著者が読者に期待していたであろう読書を続けられずに手を止めて (数学とは違うモードで)考えこんでしまいがちでもあった.
ひとつには,本書の ''はじめに'' で ''「使えない数学は教えなくてよく, 学ばなくてもよい」ということを説明する'' とあるのだが,この『使えない』とは何に使えないことなのかが明示されておらず, しかもテキストの中で ''… は教えないでよい'' と書いてあるときに, その理由が述べられていないので,著者の主張の裏にある判断基準がよく見えてこないことである. これは, 日本の政治家などが強引に何かを主張するときによく使う議論のパターンに似ていて, 私が大学で出席しなくてはいけない多くの会議などでも,強引な主張をする人が 『…理念に照しあわせてみると…である』 というような言い方などで結論をおしつけてくる非常に不愉快な論法 (以前の強弁?)のパターンとも一致するようにも思えて, この著者もそのような暴論を展開しようとしているのか,と勘繰りたくなってしまう. また,このような論法では,論者に議論の趣旨を質問すると 「そんなことも分らないやつは来なくてよい」, というようなことを言われてしまいそうであるが, 本書の著者の反応もそのようなものなではないのだろうかという不安が頭をよぎる.
そもそも読者の設定がよく分らないことが,著者の, 使える,使えないという価値判断がよく見えてこない原因の一つになっているようである. ''はじめに'' には,
まず期待される読者の数学知識のレベルを書く. 本書では線型代数と微積分の初歩を学んだ人を主な対象とする. だから大学の理工系に進んだ人,経済学で数学を使う人,中学, 高校などで数学を教えている人が入るであろう.と書いてあるが, これはどう考えても, 「日本の平均的な大学で線型代数と微積分の初歩を学んだ平均的な人」のことではなさそうである. しかし,もし本書が数学の能力を持つひとにぎりのエリートを読者として想定して書かれているのだとしたら, その人たちは,数学を職業にするかどうかは別としても,何らかの意味で, 数学の創造にかかわるようになる人たちではないのか?
もしそのような人たちが想定された読者なのだとすると,「使える」はというのは, その人たちが将来自分で数学理論を構築してゆくことになったときに使えるというような, 意味になるのだろうが,そうだとすると,''… は教えないでよい'' という判断は蛇足のような気がする. 数学を学ぶ力のある人には,学ぶべきことと教わらないでいいことの取捨選択は自分でできるはずだし, むしろ普通には教えないことや他の人があまり知らないことも教わった方が, 後でそのことが 思わぬ役に立つかもしれないという可能性にかけられるのではないだろうか. それとも,この ''… は教えないでよい'' は, 本書の想定している読者がもっと頭の悪い人たちに数学を教えるときに 「教えないでよい」という意味なのだろうか.
もちろん,この本の著者は,大きな業績をあげてこられた数学者であり,その意味では, 彼の語る数学に, 私が何か批判がましい口をはさむ余地があろうはずはないことは言いそえておかなければならないのだが.
少し前に,$X\subseteq\reals$ が $G_\delta$ 集合なら,
$X$ は meager $\Leftrightarrow$ $X$ は nowhere denseという,なにかの教科書に書いてありそうな命題でつまってしまい, 数日間証明が思いつかなかった.あまり自慢にならない話ではあるのだが.
証明は,たとえば次のようなあっけないものである:
$X\subseteq\reals$ が,開集合の列 $\seqof{O_n}{n\in\omega}$ により,
$X=\bigcap_{n\in\omega} O_n$ と表わされているとする.$X$ が nowhere
dense でないとき,$X$ が meager でもないことを示せばよい.$X$ が nowhere dense でないなら,
$X$ は somewhere
dense だから,
開区間に移行することで,一般性を失うことなく $X$ は $\reals$ で dense としてよい.
このときには,各 $O_n$ も dense となるから,$\reals\setminus O_n$ は nowhere
dense である.したがって, $\reals\setminus X=\bigcup_{n\in\omega}\reals\setminus
O_n$ は meager だから,Baire Category Theorem により,$X$ は meager でない.
… カントルは以上のような大胆な構想で先駆的な業績を挙げたが, 連続体問題のような難問に遭遇して自ら苦しみ, かつ彼のあまりに大胆な構想に対してはクロネッカーなどから鋭い批判を受けて悩んだ. ワイヤシュトラス,デデキント,後にはヒルベルトらは,彼の考えを暖かく受け入れ, 数学の発展のために多方面に利用したが, 濃度や順序の一般論はその後それほど利用されることもなく,進展もなかった.これは,彌永昌吉先生が亡くなる少し前に書いた(2002年8月発行) 『ガロアの時代/ガロアの数学』第二部 数学編の p.38 からの引用である.
この引用の最後の「濃度や順序の一般論はその後それほど利用されることもなく」は, 数理論理学以外の数学の分野での視点で書いているのだから, まあそんな見方もできるか,とも言えるが, 「進展もなかった」はどうにかならないものだろうか. どうにかならないものだろうか,と言ってみても,亡くなってしまった人の文章なので, どうにもなりようがないのだが, 日本人数学者としては例外的に広い数学的視野を持っていたとされる彼ですら, 晩年には最新の事情を理解することができなかったのかもしれないが, そうだとしても,なにしろ2002年の段階で 「進展もなかった」と断言しているのだから, 日本の数学のコミュニティー全体での平均的な認識はどうなっているのだろうと思うと, たいへんに憂鬱な気分にさせられる.
コリマは大平洋の近くの小さな街で, 人口 13万2千人ほどというから,北見(人口12万6千人ほど)とほぼ同じくらいの規模と言える. 学会はコリマ大学で行なわれて, 宿泊したのは大学に歩いてゆける距離のホテルだったので, ほとんどこの周りしか見なかったのだが,なにしろメキシコは初めてだったので, むしろ観光地でもなんでもない,田舎の街の一角,というのはよかった. 街中での英語の通じなさが日本なみなのも面白い.
コリマは街の名前だが,この街の属す州の名前でもある. コリマ山 (標高3860m) はこの州の境界近くにあってこの山の影に隠れている 標高が 4330mコリマ休火山と双子富士をなしている. 朝起きたときに,コリマ山を木の間から見ることができた.
「モーツアルトを聴かせながら醸造した日本酒」とか, 「ショパンを聞かせて熟成させたビール」とか, 「牛にクラシック音楽を聴かすと牛乳がおいしくなる」など, 沢山似たようなキーワードがネット検索にかかるのだが,今までこういうのは 単なるギャグだと思ってあまり気にとめていなかった.しかし,よく考えてみると,どうも, 一見ギャグやジョークに見えるこれらの 「迷信」は,むしろ一種の民間信仰のようなものであるようだ. これは多分アニミズムの一種のようなものなのではないかと思うのだが, [奇跡]を起こすのが西洋のクラシックの 「名曲」だ,というあたり,カーゴカルトを連想させるものもある. これがもしたとえば「ヴェーベルンの弦楽四重奏を聞かせて作ったワイン」だったりしたら, ちょっとは飲んでみたい気がするかもしれないが.
音楽ではなく呪文の起こす奇跡だが, 「水からの伝言」なんていうのもあった.
現代の日本には竪穴式住居に住んでいる人は (象徴的な意味でなく現実としては多分)いないので,我々はつい気を許しているが,実は, 我々の回りでは, 沢山の原始人による(現代の電子機器や偽科学で武装された)アニミズムの世界が展開されているのだ, と思うと,気味が悪くなってくる.
最近似たような非常に薄気味わるい体験をした. 先学期に講義をした「線型代数 I」の期末試験で,
x1,…,xk∈Rn が線型独立(一次独立)とは, 任意の c1,…,ck,c'1,…,c'k∈R に対し, Σi=1kcixi = Σi=1kc'ixi なら, c1=c'1,…,ck=c'k が成り立つことでした(教科書 p.139). x1,…,xk∈Rn が線型独立 となるのは,次の条件 (*) が成立することと同値であることを示してください:という問題を出したところ,クラスが全滅だったのだ. しかも,問題に手をつけて解答を試みている学生の答案が実に支離滅裂だった. 計算問題では面倒くさい計算を間違えずにこなしているのに,この問題や他の基本的な問題では insane な,マイナス点をつけるしかない,吐き気を催すような「解答」が書かれている, というパターンが続出した.(*) 任意の c1,…,ck∈R に対し, Σi=1kcixi = 0 なら, c1=…=ck=0 となる.
カーゴカルトの儀式のような数学のまねごとしかできない学生しかいないクラスを教えなくてはいけない, というのは苦痛だ. そのような学生がうようよいるキャンパス,というのはかなり薄気味の悪い場所である,とも言わざるを得ない.
たとえばバッハの音楽を全く知らない人がモーツアルトやベートーベンを理解できるだろうか? あるいはバッハの複雑な構造を持ったフーガを一曲だけ聞いたときに, バッハの他のフーガや, バッハの同時代やそれより前の時代の他の作曲家によるフーガを全く聞いたことのない人がそれを理解できるだろうか.
18〜19世紀のヨーロッパでポストホルンが遠くから聞こえてくるのを聞いたことがない人が, シューベルトやシューマンの作品の中のポストホルンを連想させる響きを聞いたときに, 作品が作られたとき想定されていた情緒を自然に乗せることができるだろうか?
もちろんバッハやモーツアルトやベートーベンのポピュラーな作品は現代の ``easy classics'' の意味論のネットワークに組み込まれてもいるので, そのネットワーク上での理解, ということでは別の意味で可能はあろうが,ここで言っているのは, ポピュラーなレパートリーには容易には入らないような種類の ``難しい'' バッハやモーツアルトやベートーベンである.
現代における意味ということでは,時代背景や作品が作曲されたときに聴かれた他の作品だけではなくて, ずっと後に作曲された作品も含んだ意味論のネットワークの中で考えなくてはいけないだろう. たとえば, ヴェーベルンの音楽の深い理解がなくてモーツアルトのケーゲルシュタットトリオの (現代的な)理解が可能だろうか?
逆に, 作品の中で閉じた参照だけでできた音楽というのは可能なのだろうか? バッハのフーガの全体のなす体系のようなものは, 和声法やフーガーの技法への基本語彙への参照を除くと比較的作品の中の参照で閉じているようにも思える. あるいはそのようなもの,としての理解が可能であるようにも思える,と言うべきか. しかしこれは, 単に我々の時代や文化がバッハの時代や音楽文化から切り離されてしまっているために, そう思えるだけなのかもしれない.
近藤譲の初期の作品は, 作品の内部での参照で閉じた, それを集中して聴くだけで理解できる音楽を目指していたようにも思える. しかし,彼のもっと後の ``和声的な'' 音楽についてはどうなのだろうか? 解決しない和声進行が解決する和声進行への参照の上で成立しているのだとすると, 参照のリンクが西洋音楽全体に広くはられていることになるわけだが, 彼の音楽がそのような参照を前提として作られているのかそうでないのかは謎であり, まさにこの謎が彼の ``和声的な'' 音楽の魅力の本質的な部分になっているようにも思える.
オーボエの音色を聴くと中央アジアの草原の哀しげな風景が思いうかぶ,というのは, 必ずしもボロディンの交響詩の連想だけではないだろうし, オーボエが中央アジア由来の楽器だという知識によるものだけでもないだろう. 音や音色の意味論は,言葉を憶えるのと同じように, あるいは,むしろ一種の言葉として,子供のころにいつのまにか憶たものなのだろう.
その意味では, 「ひぐらし」をテレビドラマの中で夏の日の終りとしてのひぐらしとして学習する, ということも, テレビを通じてある種の日本語の語彙を学習するということと同じようにありうることだと思う. そのテレビドラマで「もう日暮らしが鳴きはじめている」というような台詞があれば, 「ひぐらし」という単語だってそこでおぼえられる可能性もある. 「となりのトトロ」がテレビで放映されるのを見ていれば, 夏の日のさみしさとしての「日暮」だって会得できるかもしれない.
しかし,先日, 大学のキャンパスを歩いていたら,次のような 外国人留学生の女の子と日本人の男の子の会話が耳に入ってきた. 「今鳴いているのは『アブラゼミ』っていうんでしょう?」 「さあ,蝉のことは詳しくないから…」 日本のセミはまだ絶滅していようだが,日本のセミが絶滅するより前に セミの鳴き声の区別がつかない若い人たちが出てきていることには少なからず恐怖を感じる.
東海道新幹線の場合, 在来車両なら喫煙車両の隣の禁煙車両を避け,N700なら喫煙ブースから遠い車両を選んで乗ることで, 煙草をさけることがある程度可能なのだが, 全席禁煙の列車では,逆に,煙草の充満した肺を持った人が隣に座る危険の避けようがないのだ. 東海道新幹線は今度から全席禁煙になるということだが, 誘虫灯のような役割をはたしてくれる喫煙ブースはぜひとも少しだけ残しておいて欲しいものだと思う.
これはもちろん erschöpft であろう.Ich bin auch wirklich total erschöpft.
後で手元にあった電子辞書の和独辞書(新コンサイス和独辞典)を調べてみたら, 案の定載っていたのは,müde werden だけで,erschöpft はこの辞書には載っていなかったし,和英辞典にも「くたびれる」の項目に exhausted は載っていなかった.そういえば,日本人の若い数学者のうちの誰かが,昔,英語で話すときに,この 「くたびれた」を多分言おうとして sleepy という形容詞を連発して皆にいぶかしがられていたことがあったが, これは誰だったんだっけ?
それで思いだした.「明い」に対応する形容詞が, 英語を話していてよく分らなくなるのだった.これは,ドイツ語では hell という形容詞がだいたい日本語の「明い」を全部カバーしてくれるのに対し (英語の light と大体対応する licht という形容詞もあることはあるが), 英語では light と bright を使い分けなくてはならなくなるからだろう. と思って考えてみたらドイツ語には bright の意味の一部をカバーする 「ギラギラした」というような意味の grell という形容詞もあったのだった.しかし,grell を独英辞典でひくともう訳語には bright は入っていない.ちょっと不安になって英独辞典で bright をひいてみると,ここには grell も訳語の一つに入っていた.
アトラクションの中で, 特に気に入ったのはピーターパンだった. 空とぶカートがロンドンの上空を出発して, 渓谷をぬけてあっという間に海賊船の上を通過して眼下にピーターパンの物語が展開するのだが, 子供のときに見た絵本の中の世界に入りこんだような気がした. しかし,これは子供はあまり面白いと思わなかったようだった. たしかに,このアトラクションは,子供のため, というよりは子供時代にもどりたがっている大人のために作られたものなのだろう.
しかし僕自身の子供時代を思いだしてみると,これが後から作りかえられた記憶でなければ, 小学校にあがる直前に両親が世田谷区から当時まだ武蔵野の面影の残っていた東久留米に引越したので, 引越しの後の子供の僕は, 引越す前の子供の僕の子供時代への大人が自分の子供時代に感じるようなノスタルジーを強く感じていたと思う. 引越した先の場所が, 下町から移住してきた working class の家庭の子供たちの住む住宅のそばだったことから, カルチャーショックが大きくて,その分,余計に世田谷へのノスタルジーを感じたのだと思う.
最近,川本三郎の「きのふの東京けふの東京」という本を読んだのだが, そこに,『この時代、 東京は下町と山の手(郊外住宅地)では生活のかたちに今以上の違いがあった。 いちばんの大きな違いは、山の手には「子供文化」があったことだろう。 … 郊外住宅地と対照的なのが下町で、子供は早くから小さな大人として扱われ、 子供もまた早くから大人と同じ世界に生きようとした。』 というくだりがあった. ここで書かれているのは,向田邦子や久世光彦の子供時代だった戦前の東京だが, 20年くらいの時差はあるけれど, これはまさに東久留米の当時の子供の僕が感じていたカルチャーショックの実体でもあったのだと思う. しかし,不幸なことに,当時の僕の周りには,このことを僕に説明できる知性を持った大人は一人もいなかった.
今回の東京滞在では,専修大学の生田キャンパスへ行く途中, 世田谷の昔住んでいた場所の近くを小田急線で通ったのだが, 線路が高架になってしまっていて,風景も全く変ってしまっていたので, 前には電車の窓からよく見えた昔住んでいた場所がどこだかよく分らないうちに通過してしまった. 記憶のなかの Neverland への道標は絶たれてしまったようだ.
というのも,僕にとっての口語英語は,日本語やドイツ語とは違って, 日常生活ではほとんど使ったことがなくて, 使用の用途は,もっぱら他の数学者とのコミュニケーションに限られている, という事情がある. しかも,そのときのコミュニケーションの相手は主にヨーロッパの非英語圏からの人たちであることが多く, 英語は,そこでは, non native speakers 同志のコミュニケーションの道具としての "間違った英語" であることが多いのだ.
実際,今回,Kanamori 教授らの来日前後の期間に,Kanamori 夫妻や, ちょうどその時期に神戸を訪れたトロント大学の Frank Tall 教授などと, 英語で沢山話をすることになったのだが,こんなにいっぺんに沢山英語を話して, しかも会話の相手が native speakers だったことや,会合の司会者として英語を話さなくてはならなかったりしたため, "正しい英語" を話す努力をこんなに強いられたというのは,多分生れて始めてではなかったかと思う. 普通,"間違った英語" を non native speakers どうしで話しているときにはそれほど緊張することがないのだが,さすがに英語の native speakers と話すときには, 日本語やドイツ語を話しているときのように緊張してしまうし, 司会ということになれば,そうそう舌足らずの英語を話すわけにもいかない.
さらに,単に英語を壇上で話す,というだけでなく, 聴衆の大半が数学者よりずっと言葉にうるさいかもしれない哲学者ということになると, 緊張の度合はさらに高まらざるを得ない.今回の Podiumsgespraech (パネルディスカッション)での Moderator (ファシリテータ)としての僕の英語の Sprachniveau (言葉のレベル) は英語圏のテレビのアナウンサーの英語のそれには及ばなかったかもしれないが, それでも,これらの講演会をなんとか無事終えることができ, 少なくとも内容的には大変充実したものになったと思うので, その意味ではどうにか責任がはたせたのではないかと思う. もちろん,内容に関しては, 僕の功績ではなく, 講演者/パネラーとして出演していただいた人たちのおかげだと言うべきなのだが.
しかし,今回, 英語の native speakers と沢山話をしてみて,僕の英語に関して少し自信が持てた部分もあった.それは, Kanamori 夫妻に同行していた,もうすぐに8才になるという彼等のお嬢さんに僕の英語がけっこう通じたということだった. ただしこれは,単に,彼女が8才とは思えないたいへんに利発な子で大人の言葉を理解できるから, だったにすぎないのかもしれないが.いずれにしても,小さな子供と英語で話をする, というのも僕にとってほとんど初めての経験だったような気がする.
少し前の学説では, ネアンデルタール人の骨から抽出したミトコンドリア DNA と人間のミトコンドリア DNA の比較から,混血の可能性は低いということだったのだが, これはずっとあまり決定的な議論ではないような気がしていた. 日本での現代のホモサピエンスを観察してみると,混血のパターンは gender dependent に起ることがよくわかる.たとえば, 白人の男性と日本人の女性というカップルが逆の組合せに比べて非常に多いことは一目瞭然だろう. ミトコンドリアは母系で伝播するので, 混血での世代ごとの典型的な男女の組合せが交互するとして, ネアンデルタール人がマイノリティーとしてホモサピエンスと混血したときに,ジノム本体の DNA にはネアンデルタール人の DNA の影響が決定的に残るがミトコンドリアは継承されない, という状況が十分に起りうるのではないかと思うのである.
実際,最近の研究でネアンデルタール人のジノムの復元の研究が進んで, ホモサピエンスの出アフリカの後,中近東からヨーロッパにかけての地域で ネアンデルタール人と混血した可能性がうかがわれる研究結果が出てきたらしい.
これから先の話はかなり根拠のうすい想像にすぎないのだが, 北ヨーロッパ人と東アジア人の形質の違いは, それぞれホモサピエンスより前に出アフリカをはたした北ヨーロッパや東アジアに生息していた 別々の原人との混血によるものではないだろうか? 特に,北ヨーロッパ人の膚の白さや,東アジア人の膚の白さ (黄色さ?)はネアンデルタール人,それとアジアに生息していた原人からの継承なのではないだろうか? この仮説の間接的検証はいくつかの方法で可能な気がする.
たとえば,ヨーロッパ人と東アジア人の膚の色素は異る遺伝子の expression によるものだ, という研究結果があったと思うのだが,これが記憶違いでなければ, このことは,上の僕の仮説を支持しているように思える.
同じインド・ゲルマン系の母語を持っていて, 基本語彙に明らかな関連さえ認められるインド人とドイツ人の膚の色が決定的に違うように思えることも, 片方で混血が起って片方では(それほど?)起きなかった, と考えるとうまく説明がつくのではないか.
しかし, 「特殊能力者あるいは芸道者としての音楽家」や 「特殊能力者あるいは芸道者としての画家や彫刻家」, 「特殊能力者あるいは芸道者としてのアクロバッティスト」, 「特殊能力者あるいは芸道者としてのスポーツ選手」等々と比べると, 職業としての「特殊能力者あるいは芸道者としての数学者」の,社会におけるステータスは, かなりあやういものとなっていると言わざるを得ない.
大きな違いの一つは, 音楽やアクロバットやスポーツは,専門家でなくても亨受できる部分が小さくなく, 絵画や彫刻に関しては,室内や空間を埋めるためや投機の対象としての自然な需要さえある. ポピュラーな音楽やアクロバットなどに至っては,「専門家でない人にアピールできる」 ということ自身が,そこでの価値判断の重要なファクターとなっているとさえ言えるだろう (数学での「応用数学」が,音楽などでのポピュラーなジャンルに対応する, と言えなくもないかもしれないが). これらの分野での特殊能力者としてのプロフェッショナルズは, だから彼らや彼女らの活動をサポートしてくれる可能性のある聴衆やパトロンが比較的容易に得られて, 能力に見合ったプロフェッショナルズとしての生活が可能になりうるし, 場合によっては「ある程度」以上に可能なこともあるだろう.
これに対し,数学では,数学の内容をある程度数学的に亨受できるためだけにも,かなりの訓練が必要だし, 前 にも書いことがあるように,これが亨受できることと,能動的に (つまり新しい数学の創造という観点から) 数学に参加できるということとは,ほとんど差をつけることができない場合すら多い. そういう数学の敷居の高さのため,数学者が幅広い聴衆やパトロンを持つことはきわめて難しくて, その仕事はせいぜい内輪受けしか期待できないことになり, 結果として,数学者が純粋にその道のプロフェッショナルとして社会的に生きてゆくことは, ほとんど不可能に近いことになってしまう.
西洋のクラシック音楽は音楽産業として成立している部分もあるが, その本来の領域は数学と同じくらい一般の大衆が近付きがたいものである, と言うことができるだろう.しかし,ここでも,この「難しい」音楽の受容は, 数学の結果が理解できる(亨受できる), ということよりはずっと幅があるように思える.また, 当事者の一部にとってはむしろ不本意なことかもしれないが, クラシック音楽の場合, 高級品のプレスティージのようなものとして扱かわれることで十分に社会に組み込まれてもいるし, 実はそういう「高級品」としての価値観は音楽をとりまく 「産業」で意識的に作られているようにも見える.
そうした「産業」としてのクラシック音楽の余剰効果にあやかって, 一般向けとは到底思えない前衛的な音楽を自由業従事者として書きつづけている作曲家は, 多くはないとしても, そんなに珍しくもないのではないかと思うのだが --- 実際,僕がベルリンに住んでいたときには, 周りの知合いにそのような作曲家が沢山いた --- 数学者では, せいぜい大学の先生をして餬口をつないでいる人が大半で, フリーランスの数学者と言えるような人の例としては, 壮年期の岡潔くらいしか思い浮かばない.
数学の最前線での研究を行なっている/行なえる,という特殊能力は, 残念ながら,多くの場合,色々な意味で,うまく実生活とは結びついてはくれないようである.
もちろん,数学に限らず,物理学でも生物学でも, 最前線の学術研究ということに関しては状況は似たようなものかもしれない. しかし,数学以外のこれらの科学では,内容を深く理解しなくても,「… を研究している」 ということがどういうことか少なくとも表面的には比較的容易に納得できる場合が多いし, この 「…」 の, 我々の現代生活における医療や技術などとの接点から, その意義や重要性を納得できる場合も少なくないことから, 社会の受容の度合は格段に高いのではないかと思う.また,広い意味で 「実験」が必要になる研究分野では, この分野の内側に,実験の専門家や,技官,秘書などの, いくつものギルドをたばねた社会構造が築かれていることが多く, そのどこかにかかわっている人たち全体は, 数学とは比べものにならないくらいの広がりを持っていることが多いように思える. なによりも,このような ``認知された'' 科学には予算がつくし, 大学以外にも研究所のポストなども十分にあり, その意味でも状況は数学とはかなり違うものになっているのではないだろうか.
実は,「役に立つ」ということに関しては,数学は他の科学を含めた全人類の文明に君臨している, と言っても過言ではない (このことについて,Hilbert が 100年くらい前に彼のラジオ講演で言っていることは, 現代でもほぼそのまま通用することだろうと思う). しかし, 数学の特別な 「有用性」は, 残念ながら,今日の数学の研究が明日に役に立というような種類のものでは全くない. その応用の本当の規模や意義が誰でもすぐに理解できるわけはないし, 数学の理論や結果の確立とその応用の間には100年やそれ以上のタイムラグがあることもざらではないので, 日本のように,今日明日のとりあえずの金儲けだけが問題になっている社会 (そしてこれは実は日本だけではなく世界中どこでも似たり寄ったりであるのかもしれない)では, 「数学は役に立つから重要」は,あまり説得力を持ちえないのではないかと思う.
しかも,多くの数学者のモティベーションが,このような 「数学の応用のため」であるということでもない.このことは, 上で言った ``タイムラグ'' の出所が何かをよく考えてみれば必然的に明らかであろう.
私を含めて,数学を研究している人の大半は,数学の,抽象的, 絶対的な美が最重要である (たとえば Saharon Shelah による(彼自身の?) 研究のモティヴェーションの rating を参照されたい).数学者が, 数学の他の科学あるいは社会に対するインパクトを十分に意識し,かつ そのことに十分な敬意も払ってはいるとしても, そのことは彼女あるいは彼が数学を研究をやっていることの一番大きな理由ではないのである. この文章の初めで数学者を 「特殊能力者あるいは芸道者としての数学者」として位置付けてみたのは, このような事情からである.
一方,たとえば日本数学会などでの数学の啓蒙や「広報活動」では, 「今日の数学研究の明日の応用」的スタンスでの数学の有用性のアピールが, 安易に行われすぎているように思えてならないのである.
…
「芸」としての数学を成り立たせる姑息な手段としては, コンクールのようなものが有効だと思われている節がある.学生の国際的な 「数学オリンピック」での賞のようなものや,「何々賞」の授与といった類のことである.
今,姑息な手段と書いたが, 実際,色々な分野での「何々賞」の報道などを見ていると, コンクールという装置は,「芸」の中身を問わずに 「芸」を既存分野として社会に認めさせる手段としては非常に有効である, と言えそうである.しかし,「入試に受かるための勉強」 などと同じように,「賞をとるための研究」というのも非常にむなしい気がするし, むなしいだけではなくて,実際に, 賞が価値観を支配する傾向のようなものが数学の中で生れつつあるとしたら, それは数学文化の敗北以外の何物でもないのではないだろうか.
[この項目はまだ書きかけです.]
僕の憂鬱な神戸の風景では, 製鋼所の発電所の煙突から出る白い煙がむくむくと街を覆う雲につらなってさびしがつてゐる.
『夏草の茂つてゐる波止場の向うへ ふしぎな赤錆びた汽船がはひつてきた。』 という萩原朔太郎の詩句のイメージは,僕にはあの不思議な匿名作家 B. Traven (1882(?) -- 1969 in Mexico City) の Das Totenschiff も連想させる.
すぐに思いつくのは,
\newif\ifextendedというようなスイッチを (La)TeX ファイルの preamble に書いておいて,本文で投稿版と拡張版でテキストを書きわけたいときに
\ifextended 拡張版のテキスト \else 投稿版のテキスト \ifと書くことだろう.こうしておけば,preamble の \ifextended の導入の次の行に \extendedtrue と書けば 拡張版のテキスト がコンパイルされ, 何も書かないか, \extendedfalse と書けば 投稿版のテキスト がコンパイルされることになる.
ここで問題なのは,この方法だと,投稿版も拡張版も同じファイル名の dvi file として生成されてしまうことである. 論文を投稿するときに間違えて拡張版の方の出力を編集者に送ってしまう, などという間違いが起こらないとも限らないし,両方の版をチェックするために \extendedtrue と書いた行を,頻繁にコメントアウトしたり,また復活させたりしなくてはならなくなってしまう. 一方投稿版と拡張版を二つのファイルに書いてしまうと, 両方で共通のテキストの部分の変更や拡張を同期するのが大変になってしまう. そこで preamble に \ifextended\def\jobname{...}\fi などと書きたくなるところだが,実は, \jobname は tex file のファイル名に固定されていて, 変更ができないようになっており,これは不可能である. 以下は,これをうまくすりぬけるために考えたトリックである:
投稿版を baka.dvi 拡張版を baka-x.dvi という名前で生成したいとしよう. このとき,(文章の) (La)TeX のソースは baka.tex というファイルに書くことにして,このファイルの preamble に,
\newif\ifextended \ifx\Extended\Kaba\else\extendedtrue\fiという行を書いておく.こうすると baka.tex をコンパイルしたときには, \Extended も \Kaba も定義されていないマクロという同じ内容のものだから, \else の前の空文が実行されて,\extendedtrue は実行されないから, 本文で
\ifextended 拡張版のテキスト \else 投稿版のテキスト \ifと書いたところでは 投稿版のテキスト の方がコンパイルされる. ここで
\def\Extended{extended} \input{baka.tex}とだけ書いた baka-x.tex を用意しておいて,これをコンパイルすると, \Extended が extended と定義されたことで,\Kaba とは異なる内容になることから, \input{baka.tex} で baka.tex が読みこまれたときには,
\ifx\Extended\Kaba\else\extendedtrue\fiの行では \extendedtrue が実行されることになり,さきほどのような分岐のところでは 拡張版のテキスト の方がコンパイルされることになるわけである.
「おくのほそ道」が刊行されたのは 1702年(元禄15年)だが, 木版印刷の技術が日本で普及しだしたのはちょうどそのころだったらしい. 芭蕉の携帯していた矢立だって当時の最新モデルだったに違いないから, 最新のメディアを使っての文筆活動という意味では,現代に移して考えたとき, これが「ガジェットで twitter に書き込み」に対応するという考えも, それほど突飛なものではないのではなかろうか.
最近,高浜虚子の『回想子規・漱石』(岩波文庫)を読みなおした. 高浜虚子の編集した 『ホトヽギス』も,日本全国版の雑誌,という当時の新メディアを活用した文芸活動, と言うことができるだろう.『ホトヽギス』は広く投稿をつのっていたので, この点でより twitter と近いところがある.しかし,形態としては, 新メディアに旧来の俳句コミュニティーの活動をのせただけ,とも言えるかもしれない.
しかし,数学を理解する,ということに関しても, 大きな壁が立ちはだかっていて,実際の状況は 「誰でもできる」ということとはほど遠いようである.これは, ひとつには,多くの場合,数学の結果は, その結果を発見/創造した人になったつもりになって, この発見/創造のプロセスを追体験することで初めて理解が可能になる, ということがあるのだろう.つまり, 数学の新しい結果を作り出す創造的な作業のダイナミズムを理解できない人には, 数学も理解できない,ということもまたある程度真実なのではないかと思うのである.
数学を(技術的な細部にわたって)理解,亨受できるのが,ごく小数の人たちである, というのは,長年にわたって大学で数学の教えてみて実感するところだが, このことは,教え方の問題,ということを別とすれば,むしろ, 数学を理解しようとする,あるいは理解しきれないでる, あるいは理解することを拒絶している人々の側の問題で, 数学,あるいは,数学文化が数学者以外の人々に対して閉じている, というわけではないはずである.
ベルリンの ``Zoo'' の Knut がドイツ人みたいなのに, (Knut をやはり生れたてから育てた飼育係の人がいたのだが, ``Zoo'' の web-page によると,この人は最近急死してしまったらしい) 日本の動物園の白くまの方はなんとなく日本人みたいなのも面白い. しかし,このルポルタージュを見た後,全く同じ話をどこかで前に別のところで聞いたことがある, という感覚がずっとつきまとっていた.
新年になってから「獣の奏者」の第三巻と第四巻を読んで, それが何だったかやっと分かった.この物語は, エリンが王獣を育てる物語と全く同型ではないか. これらの物語の舞台が,一方は,動物を観客に見せる施設にすぎない現実の動物園であり, 一方は,架空の世界での叙事詩である,という違いはあるにしても.
しかし,ブログという(不定形のものや,商業的に用意された枠を用いているものや, 自作のプログラムによるものなどすべてを含めての)型の中に,たとえば 「枕草子」や「方丈記」などと比することのできる「文学」が流しこまれることはありえるのか? あるいはそのようなことが,実は,今,僕の知らないどこかで起っているのだろうか?
「公理的」集合論という,言葉自身にもどうも問題があるようである. 「公理的」という言葉の一般の人々に与えるイメージが何になるかはちょっと見当がつかないが, この言い方が予備知識のない他の分野の数学者にとって奇異な感じを与えるであろうことは予想ができる.
たとえば,群論では,群は「群の公理」を満たす代数的構造として導入されるが, 群論は群の公理を研究する研究分野ではないし, 「公理的群論」などという言い方もしない, という背景のもとに 「公理的集合論」という名称に接したとすると, これは集合論の公理をいじりまわしているだけの矮小な研究分野なのか, と想像してしまったとしてもあながち不自然ではないかもしれない.
実際には,集合論の公理系が形式的な論理式の集まりとして書きくだせる, ということの数学的帰結は一般に思われているよりずっと深くて, このことを背景として20世紀の後半以降に発展した数学には目をみはるようなものがあるのだが, そのことを理解することができるためには,当然いくらかの論理学の前提知識が必要となり, 形式論理の基礎の勉強をしたことのない大多数の数学者にとって, これは想像以上に高いハードルのようである.しかし, 高いハードルがあるときには,ハードルの向うには何もなかったことにしてしまう, というのが人情の常なので, このハードルの向うに実は豊かな数学の世界が広がっていることを, どう言って説明しても,全く信じてもらえない, という齒痒さを常に味わうことになってしまうわけである.
今,「何もなかったことにしてしまう」と言ったが,実際, 公理的集合論,いや,もっと広く,(数学的な)数理論理学全体さえ,日本の数学のコミュニティーでは, なかったことにされている,と言っていいと思う.
まあ,このことに関して日本に固執するのがいけないのかもしれないし, 実際にはそれほど日本に固執してもいないつもりでもあるのだが, それでも何とかならないものか,とも思う.
ところで,数学での「無限」は神であり,「有限」は人間である, というような乱暴な発言をしている人がいるようである.ここで乱暴と言ったのは, ひとつには,ひとくちに有限といっても,実際には様々な異なる「有限」があるからである. 数理論理学をちょっとでも知っている人にとっては,集合論での有限と, ペアノ算術の体現する有限が同じでないことは周知の事実であろうし (たとえば Paris-Harrington の定理や Goodstein の定理を思い出してみよ), 計算機科学をかじったことのある人なら,ペアノ算術の有限のはるか下方に NP 完全 とか呼ばれる結界が, 実行可能な有限の前に壁として立ちはだかっていることも聞いたことがあるだろう.
有限的な「有限」としては, 証明論のベースとして用いられるヒルベルトの「有限の立場」での有限性もある. しかし,よく見てみると, ここで展開できる数学はすでに実行可能性の議論を越えていて, 潜在的な無限さえ大きくかかわっていることがわかる.
つまり,どの意味での「有限」をとるにしても,数学的な 「有限」は,それが数学的であるかぎり,死すべき人としての「有限の存在」と対比させるには, すでにあまりにも超越的なのである.
ちなみに,ここでは,この議論とはうまくかみあわないのだが,L. Kronecker の言った Die ganzen Zahlen hat der liebe Gott gemacht, alles andere ist Menschenwerk.” もつい連想してしまう.
もっとも,有神論者が「神は自身に似せて人を作りたもうた」と言うこと, あるいは無神論者 (つまり擬人的な神を否定する人 --- ちなみに僕の周りにいるヨーロッパ人の集合論研究者には,この意味の, あるいはもっと強い意味の無神論者もけっこう多い)が 「人は神を自分に似せて作った」ということと, 無限の理論が,有限の理論の自然な拡張として導入されている, というのは,何か強い関連があるようにも見えることではある.
Genesis 風の言い方をすれば, ZF 集合論では, 有限と非有限が混沌としているところで,「無限よあれ」と無限公理が宣言すると, 無限と有限を持つ明確な世界が出現するわけであるが,集合論を研究している者にとっては, 実は, 「Woodin cardinals よ cofinal にあれ」という宣言によって出現する宇宙の super genesis の方がもっと気になったりする.
このように主張するにあたっては,その前にまず,この「客観的な現実」自身の存在, ないし「私」の主体的な現実認識の絶対性というような, 我々が日頃信じて疑わない事柄の検証から始めなければならないのだろうが, 仮に,「客観的な現実」というものの存在を素直に仮定するとしても, 日記の記述は,良く見積って,筆者の, この「客観的な現実」と折り合いをつけようとした努力の記録でしかないだろう.
ユーミンの昔の歌に 「時はいつの日にも親切な友達/過ぎ去った昨日を物語に変える」というのがあったが, 日記は時の流れを待たずに過ぎ去った昨日を無理矢理物語に変える作業のようなものではないだろうか. もちろん,もっと積極的な嘘,と言って悪ければ,「私小説」のような創作としての日記, ということだって十分にありえるわけである.
しかし,逆にこのことを十分に意識して日記を読むこと, それの書かれたの時代や場所や文化や作者の立場での物の見方のステレオタイプのようなものの観察, という意味での「客観的な現実」の読み取りができる, ということは言えるかもしれない.
今の世のブログといふ物でも, 読んでいて断然面白いのは,作者を個人的に知っている場合が多いように思えるのだが,これは, ブログに読もうとしているのが,そこに記述されている(かもしれない) 「客観的な現実」や実用的な情報であるより, 作者の現実との折り合いのつけかたの記録のようなものだからだろう.
知人のブログに思いがけず僕自身が登場することがあるが, 読んでいてとても不思議な気持になる. 僕の分身が,僕とは別の物語にまぎれこんでしまい,見知らぬ物語の中でとまどっているようである.
しかし,煙草に関しては,実は「あら」以上のものがある. 街が煙草臭いのもそうだが, それを避けて入れるような禁煙の喫茶店やレストランがほとんどない, というのも街に出たときの深刻な問題である.禁煙とうたっているレストランもあるが, そのほとんどは分煙という名の受動喫煙レストランである.しかも, やっと見つけて入った全席禁煙の場所が, おばさんやおねえさんたちで占拠されていて,肩身のせまい思いをする, ということも少なくない.
そういうわけで,僕が転居したことで「春日井日記」は春日井日記としての raison d'être を剥奪されてしまったわけであるが,引越荷物のダンボール箱の山が消滅するころには, 転居のストレスの作文療法のようなものになってしまったこの日記も終りにしようと思っている.
今度引越した場所の住所は「伯母野山町」というなんだか山姥のような, 柳田国男がよろこびそうな地名である.しかし,wikipedia によると,伯母の山/叔父の山というのは, 関東の日向山/日影山の地名の対と似たような意味合いを持つものであるらしい. もしこの日記の続きを 「伯母野山日記」として書くとすれば, 今度は,もう少しドライな数学に関するエッセーのようなものにしたいと思っている.