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※ この page の内容(html file のコードを含む)の GNU Free Documentation License に準拠した引用/利用は歓迎しますが, 盗作/データ改竄やそれに類する行為には 天罰が下ります. 絶対にやめてください. ただし,ここで書いたことの一部は, 後で,本や雑誌記事などとして発表する作文の素材として再利用する可能性もあります. その際,再利用されたテキストに関しては, 諸事情から GNU Free Documentation License に準拠した扱いができなくなることもありますので, その場合にはご諒承ください.※ 私は夜型人間なので (学生の頃にやはり夜更かしの傾向の強い下宿のおばさんに ,,Sie sind ja auch Nachteule!“ と言われたことがありました), 以下で用いられているタイムスタンプでは,日付変更は深夜の4時に行なっています.たとえば, 11.07.22(金02:35(JST)) は通常の時間表示では日本時間の 2011年 7月23日(土) 2時35分です.
この記事に書いてある事例はどれも身につまされるものだが, こういった "bureaucracy" の利点もないではない.国際学会で集まると, 自分の国の大学はいかに変態的かという自慢話 (?) に花がさくことが多いのだが, そのときに,皆にひけをとらない,というのがその一つであろう.実際, 話を聞くと,イタリアやフランスの大学の事情は日本とそっくりのところもあるのだが, そっくりといっても,変態的であることに関しては日本が余裕で勝っている.
In any case, assertions which satisfy the reverse-mathematical criterion (in terms of implication or equiconsistency) over ZFC or their negations can be considered to be prominent nodes in each of the branches of the tree of possible (consistent) extensions of ZFC. When I made this remark about the tree of extensions in my talk at CTFM2015 meeting, somebody in the audience made the comment that we were even talking about the reverse-mathematical tree, now that the reverse-mathematical zoo (of diverse subsystems of second order arithmetic which wildly exceed the basic collection of 5) is often mentioned. I do not know how much sarcasm was intended in the comment. Nevertheless I liked the comment very much since, while a zoo is (in many cases) just a random collection of samples of the wild life on the earth, a tree is a metaphor of the universe.
When I visited the exhibition on Ramon Llull in CCC Barcelona recently, I realized that it was exactly his name which I failed to cite at the end of this paper.
I met Professor Yuzuru Kakuda first in the summer of 1981 or 1982 at the annual ``Kisoron Summer School'' held in Nakatsugawa in Gifu prefecture. I lived in Berlin at that time and I had a vacation in Japan during which I attended the meeting. Professor Kakuda looked quite young then and I remember that some participant of the Summer School noticed that Kakuda-sensei looked more like a graduate student than a professor.
The next occasion I met Professor Kakuda was when I attended the Logic Colloquium in Aachen Germany in 1983. There were many participants from Japan at the conference and, besides Professor Kakuda, there were also the late Professor Tugué and the late Dr. Kurata.
Before his talk at the Logic Colloquium Professor Kakuda asked me to change the slides for him (I mean not a pdf file but real slides made of plastic sheets to be put on an overhead projector as was usual at that time) since he had to concentrate on his speech in English with which he did not feel very comfortable. Some years later, Professor Dieter Donder who was an assistant professor in Berlin at that time and was also in the audience of Kakuda-sensei's talk, said, apparently forgetting that it was me, that Professor Kakuda treated a student like a slave and let him turn the slides during his talk.
In 2009 I obtained my present position at Kobe university which was the successor position of Professor Kakuda's. I think I owe very much to Professor Toshiyasu Arai for this arrangement. When I told people abroad that I was to obtain the position, similar reactions came back from several people including Aki Kanamori and Tomas Jech in form of questions like, if I was going to transform into a heavy smoking and heavy drinking personality or if I was going to drink as much whiskey as Kakuda-sensei did.
At Kobe University I realized the difficulty of maintaining the status in quo of our logic group which is embedded in a department of engineering and a strongly engineering oriented graduate school, where the majority of the people are not in the position to understand or even appreciate the significance of higher mathematics to human civilization. This made my esteem of Kakuda-sensei ever higher since not only did he lead the group successfully for many years but also it was him who even created the group.
Without the strong charisma and willingness of Kakuda-san to be the boss of a group, I have suffered very much since I moved to Kobe in 2009 under the circumstance that I have to pretend outside the Kobe logic group to be the boss of the group. Kakuda-sensei might also be a little bit unhappy with the results of my leadership of the group but I am quite sure that he would be very happy to know that Kikuchi-san, who is much better in leading and organizing the group than I am, could be successfully promoted to the full professorship in the meantime and so can take over the lead of the group: For my part I can now happily return to full-scale research activities.
As some other people might have already mentioned at this meeting, one of Professor Kakuda's pioneering achievements in mathematics is the preservation theorem of saturatedness of ideals in forcing extensions obtained at the beginning of 1970s. These results were a starting point for much set-theoretic research and are now considered as one of the standard tools in set-theory. His research in this field of set theory also had a very strong influence on Japanese set-theorists of the following generations. This can be seen for example in the list of the works of Japanese set-theorists cited in ``The Higher Infinite'' by Aki Kanamori. Most of the results of Japanese set-theorists of the generation after Professor Kakuda cited in the book are connected to the study of ideals and their saturation.
Another topic in set-theory Kakuda-sensei was enthusiastic about at the time when I met him in Nakatsugawa and Aachen in 1980s was the set theories in extended logics. His research of the set theory in modal logic can be seen as a precursor of the study of the set-theoretic multiverse. His set theories in stationary logic and its variants echo also in the title of the research program ``LARGE CARDINALS AND STRONG LOGICS'' in which I am currently participating in Barcelona.
The times are catching up with the early ideals of Kakuda-sensei. Here I see a chance and possibility for myself to become a brilliant successor of Professor Kakuda at least in research even if I have been a mediocre successor of his in terms of university and research politics.
今,高橋悠治の最近のリズムのラフな記法による作品を演奏しようと思って, そのために François Couperin を練習している.高橋悠治の作品は,とくに最近のノーテーションのものの場合, 下手なピアニストが弾くと下手なピアニストの演奏にしかならないし, 上手なピアニストがさらって弾くと上手なピアニストがさらって弾いたような演奏にしかならない. こう言うとトートロジーのように聞こえるかもしれないが, 高橋悠治自身の演奏のような,自由な,しかも,彼の真似になっていない演奏というのは, 限りなく不可能に近いようだ. Youtube にも, ここで言った3つのカテゴリー (つまり高橋本人の演奏というカテゴリーを含めた3つ) 以外のピアノ演奏は全く見当らないように思える.
François Couperin のクラヴサンのための作品はどれも初見で弾けるような曲だが, これらをピアノの上で可能なアーティキュレーションをフルにいかして (つまり, チェンバロでの演奏でのような, レガート=ノンレガート=スタッカートのグラデュエーションによるアーティキュレーションをほどこしつつ, ピアノの上で可能な音量のニュアンスによるアーティキュレーションも加え, さらにチェンバロでの Stufendynamik の真似のようなものもとり入れて) クラヴサンでのように装飾音を軽々と挿入しつつ弾く, というのは至難の業である. このような Couperin のクラヴサンのための曲のピアノ演奏のテクニックは, 高橋悠治のピアノ曲の演奏に活用できるように思えるのである.
ここで言った, Couperin の曲の演奏テクニックは Bach の作品にもそのままあてはまる部分が多い. ただし,バッハの場合には, Kontrapunkt の扱いのためのテクニックがさらに必要になるわけだが.逆に Couperin は装飾音に関してはバッハと比べると明らかに装飾過多である. というか作品での装飾音の重要度がはるかに重い. Couperin の装飾音がこなせれば,Bach の装飾音は楽なもの,と言えるだろう.
西脇順三郎は,かつて,多分古典的なソネットでの美辞麗句に関するアリュージョンで 「ロココの女/すきがあれば金をつめる」(旅人かへらず) と書いたが, Couperin はすきがあれば装飾音をつめる. しかもトリラーもモルデントも二重三重四重に弾かないと格好がつかない. ピアノの重いキーボードで,しかもどの音も違った音量で弾ける可能性があるところで, そういったトリラーやモルデントに表情をつけてしかも軽く弾くというのはそう簡単でないし, 色々な人の演奏を CD で聞いてみても満足のゆく装飾音の演奏は皆無と言ってよい.
これは,氷上のスケート競技での跳躍回転を思いださせる.高い得点を出すためには, 回転数の多い跳躍を沢山挿入しなくてはいけないし, 芸術的な表現だって一回転ばかりではホリデーオンアイスになってしまって間がぬけてしまう.
装飾音とスケートの回転の間には実は相似点がもう1つあって, それは,右足で踏み込むか左足で踏み込むか (上の音からトリラーを始めるか下の音からトリラーを始めるか) という問題である. これについては, 僕は高校や大学の頃ブロックフレーテでバロック時代の音楽を集中的に演奏していたことがあって, その頃に読んだ装飾音の研究書の知識が役にたっている.
もちろん Couperin の演奏実現にはフランス語で inégalité と呼ばれるところの規則的な不規則性の問題もあって, むしろこちらの方が高橋悠治の作品の演奏と関連があるのかもしれないのだが, これに関しては今のところまだ全くお手上げである.
仰られたことが気になったので,こちらに持ってきた 「現代思想」増刊号をめくって対談記事を改めて調べてしまいました.
新井さんの奥さんの話も出てますね.そこに書いてあることも微妙におかしいので, 問題は,小島寛之さんと話をした人の方でなく,小島さん自身の理解の仕方の方なのかもしれません. ただし,集合論云々のくだりについては,仮にそこで引用されている言明が佐藤雅彦先生が仰ったものだとすると, オリジナルの発言に割と近いものになっているかもしれません.しかし,いずれにしても, 『「数学者もZFCで論文を全部書けばよい.そうしないから間違いが起るのだ」 と集合論の研究者は思っている』と思っている, というのは, むしろ日本の (集合論の手法を積極的に使っている人を除いた) 大多数の数学者の集合論の理解 (誤解) の仕方を代表するようなものになっているのかもしれません.
集合論が普通の数学の数学的直観をゲーデルの加速定理の意味で本質的に何重にも (つまり transfinitely many times に) enhance するのだ,というのが僕の記事で言いたかったことの一つなのですが,こんなふうに 言われてしまってはみもふたもないというか…
この発言の後の加藤文元さんの 「原理的にはZFCの言葉に全部置き換えることができるという信念の下に数学者は仕事をしていると思うのですが…」という発言も, 我々が読んだとき想定する解釈とはずいぶん違う意味のことを言っているのではないかと思います. 加藤さんとは,最近,沢山数学の話をした,ということもあり,それほど間違っていないと思うのですが, たとえば彼の言っている「数学者」には集合論の研究者は含まれていないと思います. まあ,Saharon の名前を聞いたこともない人が集合論でどんな種類の 「数学」がなされているか全く気がついていない,というのはある意味自然な話ではあるのでしょうが.
logic の中でも,たとえば,佐藤先生のように「数学」の部分でほとんど仕事をしていない人と, モデル理論の人のようにほとんど「数学」の部分だけで仕事をしている人とでは, かなり異なる感覚を持っているのではないかと思います.数日前に Väänänen 夫妻に誘われて参加した dinner の席上で,John Baldwin がその日の講演で "real mathamtics" という語を(もちろんモデル理論の視点から) 不用意に使ったことに対して Jouko Väänänen が異議を呈してちょっとした議論になったのですが,集合論 (= 数学) と logic (⊇ 「数学基礎論」?) の symbioses (symbioses というのは Jouko 自身も使っている表現です) の意義は,全体が見渡せていないと全く理解できないものなのかもしれません.
いずれにしても,そういうような視点の広がりがあるところで,これを全部 「数学基礎論の人は」と十把一絡に言ってほしくないです.もし数学全体から切りとって 「代数の人は」とか「解析の人は」というような意味で言うのなら,せめて 「モデル理論の人は」とか「集合論の人は」とか「計算機科学の人は」とか いうような分類で議論してほしいものです.
ちょっと再編成する時間がないので,上に書いた文章をほとんどそのまま僕の web page (http://fuchino.ddo.jp/obanoyama.html) に転記させてください. 問題があるようなら補筆訂正します.
しかし,今回の移行は,『windows pc に cygwin を導入して,window 用の emacs から sygwin を呼びだして unix machine のようなふりをさせる』, という長年やってきたやり方を放棄して,『MacBook Air 上に最新の emacs を install して,そこから,mac OS X を unix の拡張として呼び出して使う』, という方法に転向した,という意味で,自分としては画期的な出来事だった.
移行に際しては,最初は linux を install して mac を全く linux マシンにしてしまうことも考えていて, その当時まだ神戸にいた赤木剛朗氏に mac 上の linux に関するアドバイスをしてもらったりしたのだが,結局,mac 上で動く official な emacs が安定していることがわかったので, pc でやっていたのと同じようなやり方をとることになった.しかも mac は pc とは違い, もともと unix machine なので,移行は方針を固めてしまうと後は割合楽だった. OS X の clipboard (OS X の用語では pasterboard と言うらしい) と emacs の kill-ring を連動させるためのプロブラムと,emacs から OS X 上の app を呼びだすための emacs lisp のプログラムをいくつか書いたが, それ以外はほとんど特別なことをする必要はなかった.mac 上の emacs も remote site での emacs も OS X の Terminal application を経由して呼びだすことにしたので, 操作性がほとんど同じになったのは良かったが, どこにいるかが分りにくくなってしまったので,emacs ごとに terminal の window の背景の色を変えることにした.
emacs/mule を使いだしてからもう20年以上になるが,今回の設定の移行で,はじめて hello の画面ですべての文字が表示できるようになった.ආයුබෝවන්, வணக்கம், నమస్కారం, བཀྲ་ཤིས་བདེ་ལེགས༎
学生の答案の日本語は狂っている. これは,単に,僕のいる大学に来る学生が狂っているということなのか, あるいは,狂気の問題ではなくて単に言語能力の問題なのか? しかし, 狂気と言語能力の欠損はそもそも明瞭に分離することができるものなのだろうか? あるいはもっと広域的に日本で言語障害 (あるいは知的障害) が蔓延しているのか (実際, 日本ではドイツ語の Legasthenie とか英語の dyslexia などに対応する 「言語障害」というような単語やその治療の話題をほとんど聞かない, ということが逆にその蔓延を物語っていると言えるのではないか), あるいは単に僕が土着の関西語を理解できないでいる,というだけのことなのか? しかし,ドイツの大学で教えていたときには,この手の問題には,少なくともこれほどには,直面せずに済んでいたのではないかと思う. これは, ドイツ語の厳格な文法が (見かけの?) 狂気を阻止しているということなのだろうか? 英語でもドイツ語ほどではないにしても日本語でのような不正確な言葉の運用は文法のレベルで禁止されているのではないだろうか. 日本語のバベルの塔効果か? 文法があやふやで (というより文法の整備であやふやな言語の適用を阻止する手立てを打ってこなかったことで) 正しい言葉の運用には知性が必要となる, という状況が日本語で生じているとすれば,知性のない人がそのような人として暴露されて彈劾される, ということが起るべきなのに,逆に知性のない人の言葉の運用がスタンダードになってしまっている, というのが日本語で起っているということなのか. 確かに,新聞などメディアで使われている日本語のおかしさ,不正確さ非論理性を思い起こすと,そういうことでしかないようにも思える. あるいは,日本の言語学者たちが, 日本語の構造に則した文法理論を確立することを真剣に試みなかったことのつけが回ってきている,ということなのか?
韓国語やトルコ語やウツベク語のような日本語とほぼ同様の agglutinating な構造を持っている言語では文法の問題はどう処理されてきたのだろうか? 日本文化と同じくらいマイナーだったり, 日本と同じように他系列の言語を持つ文化の影響下に長く置かれていたり,他国に占領されて自国言語が 抑圧されてしまっていた歴史を持っていたり, 独裁政権が樹立してしまっていたりした/している場所で, 自国語の文法の正しい処理がなされてきていた, という希望はあまりもてないようにも思えるのだが.
入歯,ペースメーカーを含め人間の死体には有害な物質が多く含まれる. 皆さん,死んだときにはくれぐれも自分の死体の廃棄物処理は自分でするように.
この意味で,講義の受講者の大半が人間あつかいできない状況は,なかなか僕にとって重荷で,これに毎年さらされているとどんどんストレスがたまってくる. 昨年東大の大学院で集中講義をしたときに,久しぶりに人間の受講者が沢山出席している講義をやった気分になれたが,そういう息抜きを多少でも入れないと欝になってしまいそうである. 思いかえせばドイツで教えていたときには,ドイツ人の学生は愚鈍なやつばかりだと思っていたが,あれは,日本の今の僕の状況に比べれは楽園だったとしか言いようがない.
ところが,最近,教養科目の数学でどう見ても無駄としか言いようのないような努力をはらって本物の講義を, 特に線型代数でしてきたことが, 多少は自分の役にも立ったのではないかと思えるような研究をした. この研究では separable でない前ヒルベルト空間 (pre-Hilbert spaces) に関する,一連の open problems を全部解くことに成功したのであるが,これは,集合論的な手法を駆使したことを除くと,ほとんど線型代数そのもの,というような内容の仕事だった.
この論文のプレプリントは Arxiv に置いてある.一旦,結果が出てしまった後では, 全部あたりまえでトリヴィアルな仕事のような気もしてくるのだが, 正規直交基底を持つ前ヒルベルト空間の特徴付けなど, 論文で必要になる基礎的結果を全部自分で作って議論を組み立てたので (この基礎的な結果の中には, 前ヒルベルト空間の次元と density の関係式など,後で他の人が既に証明していることが判明したのもあったが, そうだとしても),ある種の達成感は残る仕事になった.
… 帰りの日の空港へのタクシーの運転手さんはマレー系の人だった. 運転手さんと英語で雑談をしながら空港へ向かった. マレーシアの森に家族とキャンピングに行くこと,でも,子供たちはゲームのほうがすきで, おとうさんと徒歩旅行をするのをいやがること, 軍用地にもぐりこんで果物のなる木から実をとってくること, など,話を聞いているうちに, 僕の前の世代の日本人に軍国主義日本が植えつけた椰子の木としての 「南国の楽園」のイメージの残像のようなものが色づいてくるようにも思えた. 外国を訪れるときには,アメリカやドイツ語圏などを除くと訪問先の大学や研究機関では英語で話ができても, 街では言葉が通じなかったり, 通じたとしてもかたことで会話がほとんど成立しないというのが普通なので, シンガポールでの経験は非常に新鮮だった.日頃, 国際語としての英語ということには疑問をいだいていたのだが, 英語が世界の共通語となる,というのも案外悪くないものではないのかな, とちょっと思ったりもしたのだった.
この書きそこなっていた文章のことを突然思い出したのは,最近, 水村美苗著, 『日本語が亡びるとき --- 英語の世紀の中で』を読んだからだった. 著者は十代二十代ニューヨークにいた人ということで,彼女の 「英語圏と周辺言語」というような世界観が僕にはひどく異様に思えて, 引き込まれるようにして読んでしまった. ニューヨークは特別な場所 (だと住んでいる人が信じている場所) なので, ニューヨークで育った人の世界観はこういうものになるのだろうか. そういえば,もうずいぶん前に亡くなった音楽学者の Linda Fujie さんもニューヨークの出で,彼女と話をしたときにも, 「ニューヨークは世界の中心だ」という彼女の信念はひしひしと感じられた. また,ちょっと関係ないかもしれないが, 少し前にニューヨークに行ったとき, 空港で,黒人のお兄さんに 「ニューヨークでその金額のチップはないだろう」 と高いチップをたかられて値切るのに苦労したものだった.
僕にとっての口語英語は, ヨーロッパで外国の人 (つまりドイツ語圏以外の人) とのコミュニケーションのために使う僞の言語にすぎなくて, 例えば,人種の坩堝ではあるにしても, ニューヨークの現地人とのコミュニケーションのための英語というのは, あまり想定に入っていない. それで,彼の地で native speakers の街の人と話をしたり, しかもそのときに普通に会話が成立してしまったりすると, とても不思議な感覚を憶える.
日本語の口語は, このコミュニケーションのための僞の言語 (つまり国際語であるということ) としての機能を全く持っていないし, ドイツ語口語のような精度にも欠け, 上下関係が決まらないと会話のできない (と言っても,上下関係の決まった状況での言いかわしが会話と言えるのかどうか …) 敬語のようなオブソレートな機能を持った醜い言語であるように思える. しかも大半の日本人が敬語をあやつれるだけのセンシビリティーを持っていなくて, この敬語の機能が obsolete なうえに misused され放題なのも非常に腹が立つ. 口語と文語は対になっているので, そのどちらかだけをとる,ということは難しいのかもしれないが, もしそういう選択ができるのなら, 日本語文語だけを残して口語日本語を捨ててしまってもいいような気がしきりにしている --- もっとも, 日本語文語の方は既にもう本当に「亡びた」言語になってしまっているのかもしれないが ….
列車の移動では車窓から見る景色を楽しもうと思っていたのだが,Janos が, 「次の週のコンピュータサイエンスの講義で命題論理の完全性定理の証明をやることになっているから証明を聞かせてやる」と言い出して, それに付き合うことになってしまった.
揺れる列車の中で Janos の手元のノートを見ながら聞いていたので酔ってしまったし, 外の景色も全然見ることができなかったが,Haifa に着いたときには証明は完成していた.
述語論理の完全性定理についてはそれより数年前に証明を理解していた. これは早稲田大学の数学科の学生だったころで, 数理論理学の講義で,自分の選んだテーマでレポートを出すように, というなんともアバウトな課題が出されて (廣瀬健先生の講義だった), 述語論理の不完全性定理の自己流の証明を書き出して提出した. もちろん,命題論理の完全性は, 述語論理の完全性の一部とみなすこともできるわけだが,そう見ただけでは, 命題論理の完全性が有限的な証明で示せることが,直ちに分るわけではないので,述語論理の完全性の証明ですべて解決,というわけではない.
この完全性定理の自己流の証明の数年後, ベルリンに移住して Makowski 先生と Georgetta 先生について修士論文を書き始めたころ, (西)ベルリンのロジックグループのコロキウムで Henkin による完全性定理の証明の話をした TU の助手の人がいて, それを聴いて述語論理の完全性定理の "構成的な" (つまり ${\rm WKL}_0$ に乗せられる) 証明を理解したのだった. これは Haifa に行ったときより前だったのか後だったのか, ちょっと今ではもう分らなくなっている.
ちなみに,この背すじをのばして顔を遠ざける動作で驚きを表す, あるいは驚いたふりをする,というような意味の,いささか古くなった 「のけぞる」という日本語の表現は, 最近読んだ筒井康隆の「最後の長編」と称する『モナドの領域』で復習したものである.
今書いているこの文章は,もちろん上で言った実験の続きで,こういう「つぶやき」行動に出る人に限って, 自分のことを指摘されることに我慢ができないことが多いので,匿名での記述ではあるが, 本人が,この文章を見付けたときにどう反応するかを見てみたい, という興味で書いているのだ.もちろんそんな実験は悪趣味で,するべきではないことは分っているのだが, 僕の方もこういう実験でもしてみたくなるような心理状況に置かれているので ….
「数学セミナー」に, 先日ポーランドとチェコに出張したときのことを書くという約束をしている. 旅行記を書くと旅行先で会った人たちのことを書くことになるわけだが, 勝手に人のことを記事に書いた,ということにならないためにはどうすればいいのか, もし事前に了承をとるとすればどうしたらよいのか,という問題で頭を悩ましている. ブログやツイッターと同じで,話を面白くしようして, つい筆がすべって書くべきでないかもしれないことを書いてしまうかもしれない. この書くことを了承してもらう,というプロセスは,特に,文章を日本語で書く場合には, 日本語の理解できない人に書いた内容をどう説明したらよいのか,という問題も出てくる. 昔の日本だったら, 日本語は世界から隔離されているので (実際,「ガラケイ」という表現は旧式の携帯電話を指す言葉であるよりは, 「ガラ系」として日本語のことを指す言葉としての方がより適当かもしれない) 何でも書ける, というスタンスで本当に何でも書いてしまっていたかもしれない.しかし前に 江田勝哉先生の 2015年 4月26日の email への返信" で書いたような状況は,現代ではいつでも起り得るわけである.
上に書いたのは,書くべきことでないことを書いてしまう可能性の恐怖だったのだが, 書くべきことを書きそこなってしまうことの恐怖もある. 論文に,他の人の関連の仕事を引用し忘れてしまう (あるいは未必の殺意的な心理が働いて書かないでおいてしまう) というのは, 数学では,確執にいたる切っ掛けの典型的なものの一つである.日頃, そういうことがないように細心の注意を払っているつもりだが,論文を書いているとき, 言葉足らずで,あるいは単に知らなかったり理解できていなかったりしたために, 言及しそこなっている先行研究や独立研究があるかもしれない, という恐怖感はかなり大きい.
それとは逆に, 日本には,かつて文明開化の時代にイギリスからコピーして導入されたらしいものが沢山あり, そういうものを見付けて昔なつかしく不思議に親しい気持になることも少なくなかった.
たとえば車の左側通行や鉄道 (に関連する全般) がそうだったが, 郵便のシステムもそのようなものの一つだった.実際,Wikipedia で確認すると, 明治時代,日本での郵便のシステムの導入にあったって, このシステムの創始者が英国に視察に行っていることが確認できる. また,日本の (昔の) 郵便ポストの赤い色や形状は, 英国のそれの忠実なコピーであるようだ (ただし英国のものは日本の郵便ポストにくらべてずっとずんぐりむっくりとしている).
実は,郵便局の中身についても,日本の郵便局が英国のそれのコピーに近いものであることを, ひょんな巡り合わせから確認させられることになった.
ケンブリッジから引き上げるときに,街なかにある長距離バスのバス停までタクシーで行き, そこでヒースロー空港に行くバスに乗ろうとしたのだが, ネットで見ると乗車券はバスの運転手から現金で買える, とあったので,あらかじめネットで予約せずにバス停まで行ったのだった.ところが, 少しまえにあったパリのテロ事件の余波か, バスの運転手に乗車券を現金で売ることを拒否されてしまったのだ. 長距離バスを運営している National Express は郵便局と契約しているらしく, そこで買える,ということで,かなりの距離を重い荷物を持って歩いて, 郵便局まで乗車券を買いにゆかなくてはならなくなってしまった. 通りすがりの人に道を聞きながら, 郵便局に行ってみると,郵便局の窓口の構造は日本とそっくりで, その効率の悪さもそっくりだった. 番号札のとりかたを教えてくれた職員の説明を聞いて思わず 「ひでえシステムだな」と言うと, 「こんなすばらしいシステムはほかにありません」とたしなめられた.20分近く待って, やっと窓口にたどりつくと,窓口の係の人は大変に親切だったのだが, やたらと雑談をしたがるので,なかなか券を売ってもらえず, 次のバスの時間に遅れてしまわないかと気をもんだ.
大学の回りの庭つきの家は灌木の垣根や木塀でかこまれていて垣根や植え込みは手入れが行きとどいているものが多い. 赤や紫の小さな実を沢山つけている木がある. ナイチンゲールが鳴いて夜があけて霧が町を覆って, 霧がはれるころには昼になっている …
よく考えてみると僕のイギリスの大学町のイメージは, 西脇順三郎が書いたものから来ているものが多いようだ. 西脇順三郎が留学したのは,ケンブリッジではなくオックスフォードで, この留学は1920年代の初頭のことだったが,彼の詩に出てくる
ナイチンゲールがないて 夜があけてきた 僕の頭が大理石の上に薔薇の影となる。 (ambarvalia 栗の葉)
イギリスの大学の町でぶらついている頃 霧が北海からやつて来て 先生の生垣が半分見えなくなる (失われた時)などは,今僕が見ているケンブリッジの大学周辺とかわらないように思える. 到着した日はハロインで,数日後に Guy Fawkes Day の花火が上がった.
ナイチンゲールで思い出したのだが, もう10年も前に, ナイチンゲールの出てくるハイネの有名な詩を訳してみたことがあった. このときの文章を upload しておくことにする.
コーヒーはフレンチ・プレスで出てくるのだが,ミルクを頼んだら関西語で 「フレッシュ」と呼ばれる種類のコンデンスミルクがついてきたのにはちょっと幻滅した. ちなみに, コーヒーをこの方式 (またはトルコ・コーヒーの方式) で作ったときにポットやカップの下に残るコーヒーの粉のことを, ドイツ語では Kaffeesatz と言うのだが,この 「定理 = Satz = 残留物 (Bodensatz)」 という多義性が, レニー (Alfréd Rényi, 1921--1970) が言ったという 「数学者はコーヒーを定理に変換する機械だ」というジョークの落ちになっている.
まさにこのギリシャ時代の牧歌を原作とする 「ダフニスとクロエ」にラベルが付けた劇音楽は,この牧歌の人工性を 「スイスの時計じかけ」の精妙さで更に敷衍してみせたもの, ということができるだろう.しかし, この人工性にもかかわらず, ラベルのオーケストレーションのなかの夜明けに鳥がさえずりはじめて,太陽がのっとその姿をあらわすとき, 僕は思わず感動してしまっていることに気づき戸惑ってしまう.
三島由紀夫の『潮騒』はまさにこの「ダフニスとクロエ」の物語をモデルにして作られたものということだが, これはほとんど牧歌のパロディーと言ってもいいようなものになってしまっていて, その完成度の高さを鑑賞することはできても乗せられて感動することは難しいように思える.
さそうあきらの『さよなら群青』も,この牧歌ないし牧歌のパロディーの系列に属すものと言っていいだろう. しかしここでの牧歌はそれとは異質のレアリズムやシュールレアリズムに侵食されてもいる. アニミズムの生き残っている離島の土着人の文化の隣には本土の商品が売られている雑貨屋があったりする (これは日本の地方文化の的確な現実描写と言えるだろう!). 島民は油がもれはじめている座礁船の処理について全く 「本土」頼みである (これも日本の地方文化の類型を彷彿とさせる!). 一方, 隣の島には全く突然に1928ビルが建っていたりする (昔, 早稲田にサクラダファミリエが建っている夢を見たことがあったが, これは早稲田エルドラドの前を通ったときの記憶が変形したもののようだった). 主人公の少年は 「ワンピース」の主人公なみの奇跡的な能力を発揮する (「未来少年コナン」のようなと言った方がもっと正確かもしれない). しかし,まさにそういったありえない現実と非現実の混合物のせいで,僕は, いとも簡単に乗せられて感動してしまったようだ.そして, これを読んでいる僕の耳の中では,最初のシーンから最後のシーンまでラベルの 「ダフニスとクロエ」の夜明けの音楽が鳴り響いていたのだった.
「蟹に誘われて」の最後にはイルカの計算機がリーマン予想を解く話が出ている. 解の出力を見て「やっぱり何が書いてあるかわからないや」と言うと, 計算機のイルカが自著のリーマン予想の解説書 「イルカでもわかるリーマン予想」を渡してくれる.
Ron Graham が昔書いていた話に, 未来のスーパーコンピュータに「リーマン予想は正しいの?」と聞くと, しばらく考えてから 「正しい,しかしその証明はおまえは理解することはできない」と答える, というのがあったが,イルカの計算機はそれよりずっと親切というか人間思いである. 今,Graham がこれをどこで書いたのか調べようと思って苦労してしまった. サイエンスアメリカンのスタッフライターが出典を書かずに引用していて,他の引用は すべてこのサイエンスアメリカンの記事を孫引きしていたからだったのだが, たしか Notices of the AMS のどこかに書いてあったはずだ, といううろおぼえの記憶をたどって探したら,これが書いてあったのは, Notices of the AMS Vol 50 (4) (2003) に Steel Prize の受賞者の言葉 (このときの受賞者には他に R.Jensen や M.Morley もいる) として載っていた Graham の小文だった.
Richard Feynman の ``You are kidding Mr. Feynman'' に,日本語で ``I solve the Dirac Equation'' と言うのと ``Professor Yukawa solved the Dirac Equation'' というとでは違う ``solve'' を使わなくてはいけないことが判って (つまり ``解く'' と ``解かれる'' または ``お解きになる''?) 日本語を勉強することを放棄した, という話が載っていて, これを大昔最初に読んだときには (Feynman は平易でフランクな英語を使っているので, 英語の勉強に悪くないのではないかと思って読んだのではないかと思う),そういう見方もあるのか, という感想しか持たなかったのだが, 最近, 日本語 --- というより現代の日本での日本語の運用というべきかもしれないが --- は時代錯誤にすぎないのではないか, と強く思うようになってきていて,その結果,僕の日本語の評価がどんどん否定的なものになってきてしまっている.
パリでその漫画家集団の多くの人が狙撃事件で亡くなってしまった Charlie Hebdo (シャリー・エブド) は 日本語に訳すと「週間チャーリー」でこのチャーリーは Charles de Gaulle の first name をもじってつけられたようだが,(安全弁として?) Charlie Brown のチャーリーだという話にもなっているようである.Charlie Hebdo も スヌーピーも社会風刺なのだろうが, 前者はスヌーピーとはしかし風刺の振幅がかなり違うように見える. 日本では,「Charlie Hebdo はイスラムの風刺をしたためにテロリズムの標的になった」という理解のされかたをしているみたいだが, 実は Charlie Hebdo (の表紙) の風刺の対象は,あっぱれに politically correct に風刺すべきすべての社会現象や権威にわたっている. この雑誌の前身の 《Hara-Kiri》 (日本の歴史での風刺家の最後を記述する単語か? --- ただし, 死刑としての切腹は武士の特権だったが, 日本の風刺家の多くは武士階級の出ではなかったかもしれない) が廃刊に追いこまれたのは, 大統領 (de Gaulle) の喪にたてつく風刺をしたから (つまりこの風刺のために harakiri をさせられたということだろう),ということだし, 現在の大統領も前の大統領も (政治的立場の違いを越えて) 風刺の対象になっている. もちろん Strauss-Kahn は格好の風刺の餌食になったようである (ネットで調べると, コンドームの花吹雪の中をオープンカーで凱旋行進している Strauss-Kahn の漫画の画像が出てくる).
また Pope の痛烈な風刺なんかもあるが, 現代の日本は,たとえば天皇の風刺が堂々とできるような近代国家だろうか? と考えるとちょっと憂鬱な気分になってしまう. しかし,歴史的には,日本にも江戸時代から20世紀にかけて健全な風刺の文化があったはずだ. 健全というのは,しかし,命をはって権威を風刺する人たちがいたという意味にすぎない, とも言えるかもしれないが. しかし,今そういう命懸けの風刺の伝統も日本から殆ど消えてしまったように思える. あえて言えば xxx の 3D printer hyper-real な(?) 彫刻を作った Megumi Igarashi さんが数少ない現代での風刺家の1人と言うこともできるのだろうか? もっとも彼女が自分の作品を風刺の芸術と考えているかどうかは不明にも思えるが.
いずれにしても,これが (日本的?) 平和ということで,その内実は, 不満足なソクラテスはいなくなって満足な (ふりをしている/ふりをしなくてはいけない哀れな?) 豚だけになってしまったということなのか.
山口果林の文章は, 安部公房と共にいた人だけあって,フラグメンテーションのリズム感が非常に良い. しかし,自分のことも含めて一見客観的なナレーションに徹しているので, これを普通の「素人の作文」と勘違いする人が出てきても不思議はない. 実際,インターネットをサーチしてみると,
これは書き手のプロではない彼女の責任ではないと思いますが、文章や構成がけっこう杜撰なのです。 編集者が入れるべき手を入れていない、と感じます。 とくに彼女自身の半生を描いている章は、ぶつ切れでまるで文章としての体をなしていませんし、 安部公房との生活や闘病のときも時制がメチャクチャでわかりにくいのです。 しかも、主語が曖昧な部分もあり、あれ?と思うことも何度かあります。と書いている人があった.
安部公房の『砂の女』は勅使河原監督によって映画になったが,僕は,この映画は,つい, 武満徹の『地平線のドリア』の中間部の習作,という聴きかたになってしまう.
先日カトヴィッツに滞在したときの最初の週末は, カトヴィッツで開催されていたブルースフェスティバルの日程と重なっていたので, その会場の近くにあった僕の泊まっていたホテルは, このフェスティバルを聴きにきていた人たちや参加したミュージシャンやマネージャーなどで混んでいた. それで朝食のときに, 少し遠くの町からこのフェスティバルを聴きにきていた老人と若い同伴者 (若いパートナーか娘か) のカップルと同席になった. 老人は英語があまり得意でなくて,主に女性の方と話していたのだが, 僕が日本人だということが分ると,この老人がたどたどしい英語で, でもこれはぜひ言わなくてはならない,というような決意を持って 「私は日本映画のファンで…」といって自分が好きな日本映画の題名をならべた. その中には,黒澤の「蜘蛛の巣城」(題名を思いだせなくて 「マクベスの…」と言っていたが僕も英語での題名を知らなかった.ドイツ語では確か „Das Schloss im Spinnenwaldʺ とかなんとか言うのだったと思って今調べてみたら, 英語では "Throne of Blood", ドイツ語では „Das Schloss im Spinnwebwaldʺ だった) など一緒に,『砂の女』があげられていた.
ポーランドに限らず,これまでに,旧東ドイツや旧チェコスロバキヤなどでも 『砂の女』について語る人に何人も出逢ったことが思いだされる. まあ,『砂の女』がかつての東欧の知識人に共感を持って受入られた, というのはよく分る気がする. この砂の中の村に囚われた男の物語は,東欧時代の彼等自身の状況の寓話以外ではありえなかったわけだから. しかし,そういう現実のレベルの状況のアレゴリーとして読める立場でこの小説を読んだときには, 『砂の女』の持っている「自由と束縛」のテーマに対する高い抽象性が読み取れなくなってしまうのではないか, という気もする.
Wrocław では,Janusz Pawlikowski 氏が僕のセミナー講演をアレンジしてくれていた. Janusz は今では Wrocław の集合論研究グループのリーダーたが,僕が昔 Wrocław を何度か訪れた頃には, まだ Wrocław の集合論研究グループの若手の研究者の1人だった. 僕がベルリンを去る直前に Martin Goldstern, Tomek Bartoszynski と一緒にベルリンで開催した集合論の研究集会では, まだ,東欧との貨幣価値の格差が大きかった頃だったので, 研究集会の期間中,彼に僕の家に泊まってもらったりしたこともあった.
今回,Janusz と話をしてみてびっくりしたのは, 彼が 「巨大基数はあるかどうかわからないので研究してもしょうがない」 と今でも思っているらしいことだった. 思っているだけでなくそれを公言すらしているようである. この 「巨大基数はあるかどうかわからないので研究してもしょうがない」 というのは, logic を勉強しはじめた人が初期の段階で必ず一度はとらわれる疑惑かもしれない. しかし, 彼のように集合論の研究を続けている人が,このような考えをずっと持ちつづけている, というのはひどく奇異なことに思える.
もちろん, 1つの種類の巨大基数 $\kappa$ の存在を仮定すると, それより本質的に小さな巨大基数の存在 (多くの場合 class many な存在) のモデルになっているような集合論のモデルが作れてしまうので (多くの場合 $V_\kappa$ がそのようなものになる), 不完全性定理から, そのような巨大基数の存在は, それより本質的に小さな巨大基数の存在を仮定しても集合論で証明ができないことがわかる. これをもって 「あるかどうかわからない」と言うことはもちろんできなくもないのかもしれないが, 同じ議論は (集合論のその他の公理の上での) 無限公理についてだって適用できる. だからこのように結論するのだったら, 「集合としての自然数の全体はあるかどうかわからない ((デデキントの僞の証明は別としても?), 集合論の無限公理以外の公理からはその存在は証明できない) ので 研究してもしょうがない」 と言うことだって同じようにできてしまうことになる. しかし,これはほとんど 「現代的な数学はやってもしょうがない」 と同じ表明といえるだろう.
ちなみに,「あるかどうかわからない」は,「ないことの証明がある」こととは違う. 「ないことの証明がある」という事態になっていないということは, 「あってもおかしくない」という (永遠の?) 保留状態にある,ということである.
数学は誰にでもできる,というものではないようである. これは,言葉を話す, ということがどの動物にでもできるわけではないのと同じようなことなのだろうと思う. また,本当の数学の創造の先端に加担できる能力を持つというのは, その時々に生きている人間の中の, ほんのひとにぎり (全人類で10とか20とかいうような個体数ではないだろうか) の人達に許された特権だろう. そのような特別の能力を持つ数学者たちを頂点として, もうすこし凡庸な数学者たちの広い裾野が形づくられることになるが, ここにも属すことができず,しかも, ここに属すことができないことが何を意味するかについては薄々と認識のできるほどには数学がわかるという人達が, 数学の勉強や研究を志している,あるいはかつて志した人のほとんどすべてになるのだろう. 「あるかどうかわからないものを研究してもしょうがない」というのは, こういった人達が自分自身への言い訳として使うのにはもってこいの文句である.
だから 「あるかどうかわからないものを研究してもしょうがない」 という言い訳を方々で聞いたとしても,それを言う人が全く褒められたものではない, ということは別として,それ自身はそれほど驚くべきことではない.しかし, その台詞が Janusz のような一流の数学者 (少なくとも裾野の中には入っている人) の口から出た言葉だったことには, たいへん驚いてしまったのだ.
,,Reifezeugnis'' (卒業証書) はそのようなものの1つで,1977年作の Nastassja Kinski のデビュー作品である. 監督は,Das Boot の監督として日本でもよく知られている Wolfgang Peterson. ネットを見ていたら,これが upload されていることがわかって, つい最後まで見てしまった.これを最初に見たときには, まだドイツ語があまりうまくなくて,やっと筋が追えるだけだったのではないかと思う. 張り込みの刑事1人が車の中で時間つぶしにクロスワードパズルをやっていて,「Eierpflanze ってなんだ? 9文字なんだけど」と相棒に聞くと,「Fichte だ」「え, 枠にあわないよ」「ちがう Fichte が現れたんだ」というやりとりがあって (Fichte は木の種類だがこの話では高校教師の苗字),タイミングを逸して忘れかけたころに「Aubergine だよ」「あ,ほんとだ」という掛け合いになる,という 「相棒」とかの日本の刑事ものにもいかにもありそうな台詞回しだって,当時はよく分らなかったかもしれない. ついでに言えば,,,Reifezeugnis'' は,最初に犯人が誰かがあかされる, という「相棒」でもよくとられる話の展開になっている.
ストーリーは Nastassja Kinski の演じる裕福な家の高校生 Sina が森の中で同級生に強姦されそうになって (この同級生は彼女が担任の既婚の高校教師 Fichte と深い仲になっていることを知り Sina を脅迫している),この同級生を殺してしまうのだが, 別の男が彼女を強姦しそうになったところを同級生が彼女を助けようとして逆に殺されてしまった, という作り話で白をきり続け,最後には追いつめられて自殺をしようとする…, というものである.しかし,この Kinski の演じる高校生が刑事に詰問されて白をきりきるシーンを見て, 「あっ」と思ってしまった. 実は小保方晴子さんの会見をテレビで見たときに,強い既視感を感じていたのだが, これが何からきているのかを思いだせないでいたのだ. この既視感につながっていたのは,まさにこのシーンだった.
講義の都合で京都の研究集会のみに参加した Benedikt と,この学会の後の週末の一日を過して,考古博物館と明石大橋へ行き, (Benedikt は vegan に近い菜食主義者なので) 夕食は三宮に戻って, Dilipp と来たことのある,MODERNARK pharm cafe に行くことにした.
ところが,行ってみると,店の一部が喫煙コーナーになっていた. テラスのようなところに寒さよけのプラスティックのスクリーンをはったスペースのようなものかもしれない. ここから店につながるドアが開けはなしになっていることがあって, 用心してそこから一番遠いところに席をとったのに,食事をしていたら喉が痛くなって頭痛がしてきた.
それで, 店を出るときに,店の人に「こんな煙草の煙の出る店には二度と来ない」と言ったのだが, Benedikt に日本語でそう言ったと言ったら,「世界をより良くしようと思うのなら, 『喫煙コーナーをやめたらまた来てあげる』と言わなくてはいけない」とたしなめられてしまった.
これは,この内容のステートメントが条件文を自然に作れない日本語には乗りにくい, ということに目をつぶれば,実際にそのとうりだろう. この Benedikt のコメントを聞いて,日本文化の悪影響で 「世界をよりよくする」というアイデア自身から遠ざかってしまいそうになっている自分を発見して驚いたのだった.
僕は偽物のヴェジタリアンなので, 行けるヴェジタリアンの店が1つ減ってもそれほど痛くはないのだが, MODERNARK pharm cafe が喫煙コーナーを廃止したらまた来てあげてもいい,ことにする.
この博士号をとった少し後,日本を出る前に早稲田大学で僕の指導教官だった人に, 日本でもう一度博士号を取り直さないか,と言われたことがあった. 「ヨーロッパの学位といっても日本ではよく分らないから」というのがその滅茶苦茶な理由だったのだが, それはまあ無視して,それ以上何も言わず,でも, 心の中では,こんなよくわからない国には絶対に戻らない,と誓ったものだった.
実際,後でこの人が亡くなって,後任の打診があったときにも,きっぱりと断った. しかし,個人的な理由で, 結局その後日本に移住することを決めてしまった. 多分それは僕の一生の不覚の間違った決断だったのだが, それからずっと生活の拠点を日本に置いて今に至っている.
しかし,昨今のマスメディアをにぎわせている 例の話題 について聞いたり読んだりするにつけ, あのときもし早稲田でドクターをとっておいていれば,ずいぶんと面白い話の種になっていたのに, と悔まれることでもある.
"... The utterances first and most surely translated in such a case are ones keyed to present events that are conspicuous to the linguist and his informant. A rabbit scurries by, the native says 'Gavagai', and the linguist notes down the sentence 'Rabbit' (or 'Lo, a rabbit') as tentative translation, subject to testing in further cases. The linguist will at first refrain from putting words into his informant's mouth, if only for lack of words to put. When he can, though, the linguist has to supply native sentences for his informant's approval, despite the risk of slanting the data by suggestion. Otherwise he can do little with native terms that have references in common. For, suppose the native language includes sentences $S_1$, $S_2$, and $S_3$, really translatable respectively as 'Animal', 'White', and 'Rabbit'. Stimulus situations always differ, whether relevantly or not; and, just because volunteered responses come singly, the classes of situations under which the native happens to have volunteered $S_1$, $S_2$, and $S_3$ are of course mutually exclusive, despite the hidden actual meanings of the words. How then is the linguist to perceive that the native would have been willing to assent to $S_1$ in all the situations where he happened to volunteer $S_3$ and in some but perhaps not all of the situations where he happened to volunteer $S_2$? Only by taking the initiative and querying combinations of native sentences and stimulus situations so as to narrow down his guesses to his eventual satisfaction." --- W. van O. Quine, Word and Object (1960)
日本のテレビニュースを見ていて,このクワインの「ガヴァガイ」を思い出した. Robin Williams が亡くなった次の日の報道だったのだが, 彼の邸宅の前に花をたむけに来ていた女性のインタヴューで,オリジナルの音声では, "I miss him very much." と言っているのだがそれについていた字幕には 「御冥福をお祈りします」とあったのだ.
この場合, 実際に起っている可能性のあるガヴァガイ現象は2つの異る可能性があるだろう. 1つの可能性としては,字幕の翻訳者が,教科書か何かで,このシチュエーションで "I miss him" と言ったときには,「御冥福をお祈りします」と訳すのだ, と習っていて,その翻訳を機械的に実行した場合だろう. これは,"Gavagai" という発音を最初に聞いた言語学者がこれを "Lo, a rabbit" のこととして辞書かなにかに固定してしまった場合だが, この場合には, 翻訳者の文化的異差の無理解は翻訳を読まされる側とかわりがないことになる. ちなみに,日本での外国語の扱いでは,これに近いことが非常に頻繁に起っているように思える.
もう1つの可能性としては,字幕の翻訳者が, 訳につまって, 単に同じシチュエーションで日本人が言うだろう表現をあてはめた場合だろう. これは, 時間の勝負の字幕翻訳では,頻繁に実行されしまっていることのように思える. この場合には,更に,翻訳者は意味の違いが判っていて意図的な誤訳をしている場合と, 意味もわかっていなくて,"Gavagai" という発音を "Lo, a rabbit" と訳した言語学者と同じような「原住民理解」を実行した場合とがありえるだろう.
もしオリジナルの音声がなければ,「御冥福をお祈りします」という訳で, Robin Williams のファンには日本か中国の宗派の仏教信者が多いのだと思って感心してしまっていたかもしれない. しかしその場合には,そもそも英語では何と言っていたのか首をひねっていただろうが. そういえば,私の母が近所のお葬式に行くときには数珠を持っていっていたことなども思い出した. Williams 自身は Episcopalian だったということだが,同じ聖公会系の宗派に属す M 氏に聞いてみたところ,自分自身では言わないかもしれないが, あまり「御冥福をお祈りします」には頓着しないとのことだった.
上で言った2つの可能性のどちらが起こっていたにしても,このような 種類の『意訳』 (つまり翻訳者の側の 『意』による訳) がいたるところで簡単に行なわれてしまっている,という状況 (もちろんこれは逆方向でも同じように,というかむしろもっと頻繁に起っていると思う) が, この「翻訳の不確定性」の問題を,哲学の議論上にとどまらず,現実の 「相互理解の不可能性」の要因としている所以でもあろう.
このSPAP細胞研究には, マスメディアで報道された情報だけからもはっきりと見ることのできた構造的矛盾があったにもかかわらず, それに関する議論が少なくともネットで見える範囲では全くなされていなかったように思えることも不満である.
そもそも, 砂金が出そうな河を同定してその河で砂を篩にかけたら砂金が出てきました. めでたしめでたし,という形式の「物語」として事件の発端があったわけだったが, その後の流れも, 砂金が実は偽物だった (あるいはまた別の河から流入したものだった) (かもしれない) というようなことのみが問題となり, 科学的な考察につながる議論は, 少なくともマスメディア上では全く展開されることがなかったように思える.
細胞が何かの外的刺激況で初期化する, という現象はないとは言えないようにも思えるが,これをもって「STAP細胞はある」とするなら 「STAP細胞はある」という言い方もできるのだろう. ある程度高等な動物でも, プラナリアや,イモリの切られた四肢や尾の再生などの例がある. これらの再生現象は再生に備えて組織内にあらかじめ配置されているES細胞が活性化されているだけかもしれないが, それ以外にも分化した細胞の再初期化という現象も起っていないとは言えないかもしれない. しかし,そのような出発点から, 実際の再生の現象のメカニズムの基本研究や考察を飛び越えて,一気に 脊椎動物の細胞に様々な刺激を与えてどうしたら初期化するかを trial and error 方式で調べることを企てる, というのは,どう考えても科学研究はでなく,砂金さがしと呼ぶべきものでしかないだろう. もし,仮に運がよくてこれで何らかの結果が得られたとしても,それは, 砂金を掘り当てたことになっても科学的な研究成果を挙げたとは言いがたいように思える. しかも,次のような「思考実験」からも予想されるように,この 「砂金を掘り当てたことになる」ことの確率はきわめて低いものであるように思える.
電子機器には,リセットボタンというのがついていることが多い. たとえばエアコンのリモートコントローラーのような簡単な機器では, ヘヤピンかようじの先か何かで長押しするとリセットがかかるようなボタンが用意されていることが多い. しかし,リセットが簡単にかけられるような「ボタン」を作ることは 過ってリセットをかけてしまう可能性を作ってしまうことにもなり,危険である.
究極の (?) 電子機器の1つである PC ではいわゆる three finger salute というのがあって,これは control-alt-delete のキーコンビネーションである.windows 7 では,このキーコンビネーションで, タスクマネージャーのメニューに進んでリセット (シャットダウン) を選ぶことができる. 僕の使っているキーボート (Happy Hacking Keyboard) の設定では, このキーコードを発生させるために 4つのキーを同時に押す必要がある.
「脊椎動物の細胞に様々な刺激を与えてどうしたら初期化するかを調べる」というのは, この three finger salute のキーコンビネーションを知らない人が,キーボード上で 様々なキーコンビネーションを逐一調べてそれがリセットのシグナルを発生するかどうかを確かめる, ということに対応する行為と言うことができるだろう.しかし例えば,僕のキーボードには, 全部で65個のキーがあるので, 仮にこのキーコンビネーションが4つのキーの組合せからなる, ということを知っていたとしても,調べなくてはならない組合せの数は ${}_{65}C_{4}=635376$ になる. 1つのキーコンビネーションがリセットを発生させるかどうかを5秒で調べられるとすると (実際,僕のコンピュータはひどく動作が遅いので, 三つ指 (実は四つ指) の敬礼をしてからタスクマネージャーの画面が出るまで5秒くらいはかかる), 全部の組合せを調べ終るのに無休で調べても37日くらいかかることになり, 正しいキーの組合せに辿り着くには,平均でもこの半分の18日くらいかかることになる.
細胞はコンピュータとは比べものにならないくらい複雑な組織なのだし, コンピュータと同じように決して無闇には起こらないようになっているはずの, この初期化を誘発する細胞での three finger salute を理論的な深い考察なしに素手でさがし出せることの確率は, (もしそのようなものが実際にあるとしても) とてつもなく低いものになるしかないように思えるのである. [この項目は書きかけです.]
ここで言っているパラダイムシフトは, 「全数学を統一的に展開できる枠組としての集合論」 という1940年代くらいから1960年代初頭までの時代の集合論観から, 相対的独立性の証明の可能性によって成立するに至った, 「数学の極北をさぐる数学/超数学としての集合論」という, とらえ方へのシフトということである.これは,数学と論理学の symbiosis としての新しい数学の出現であった. このような理解の仕方は, forcing の基礎理論が確立されつつあった1960年代や1970年代には, 大多数の数学者にとってまだ難しかったかもしれないが, 21世紀の今から振り反って見ると,この forcing 前と後の数学の世界の隔絶は実に鮮明に感じられる.
「科学基礎論研究」で Cohen の結果に関連する論説としては,近藤基吉による1966年の解説記事「P.J.Cohenの方法とその数学的意義」がある. この記事は,Cohen の仕事の比較的すぐ後に書かれたものとしては注目に値すべきものだが, forcing が集合論の数学に対する役割にもたらした変革に関連する議論として見ると, 強制法の応用としてごく初期に研究されていた選択公理の否定の様々なモデルに関する話題の紹介に終始していて, そこでの議論の細部に迷い込んでしまっている感がある. 「科学基礎論研究」の第1巻にある伊藤清の 「数学の基礎としての集合論」が Cohen 以前の集合論観の典型的な例になっているだけに, この集合論観の修正がなされないままになってしまっているのはなんとも残念に思える.
数学のコミュニティーが Cohen の仕事やそれに続く Solovay らの仕事によって生じたパラダイムシフトをほとんど認識しないできた, あるいはそれを故意に無視してきた, ということは言えるだろうし,それに関連することにいては, 「数理科学」に掲載されることになっている Paul Cohen の Fields medal 受賞にまつわる話を書いた論説でも触れたのだが, 「科学基礎論」の立場からは何らかの議論があってもいいような気がしていたので, そのようなものが1960年代や1970年代に全く書かれていなかったことに驚いたのである (と同時にやっぱりそうだったのだな,と思ったことも事実ではあったのだが…).
いずれにしても,Chomsky の言語理論については, 計算機科学の教養として習うような事柄を除くと詳しく知っているわけではなく, 特に 1970年代以降の仕事についてはほとんど何も知らないと言っていいので, 以下で書くことは的外れな部分もあるかもしれないことはまず断っておかなければならない. 彼の政治的立場についても,アメリカのメディアで ''dissident'' という単語が彼の肩書きのようなものになっている (!), ということを除くとほとんど何も知らなかったと言っていい.
Chomsky の言語理論で不思議に思えるのは, syntax に対する鋭い考察があるのに,それに付随しなくてはいけないように思える semantics に対する考察が欠落しているように見えることである.実は semantics は syntax の処理の中に組み込まれている,という見方も可能なのかもしれないが, そのような主張をしているようにも思えない.また,言語の instances (話される個々の文章や書きしるされる個々の文章) の生成についての考察に対応する, 文章の受け手の側の処理 (単語への分節化や構造木へのパース, 文章の意味の理解など) についての考察も欠落しているように見える.
このことは昔からずっと気になっていたので, 一日目の Chomsky の講演の後の質問の時間に 「鳥の歌や音楽のような, 文法構造を持っているがセマンティックスが付随していないように見えるものも言語とみなすか?」 と聞いてみたのだが, 「昔バーンスタインと音楽を言語学的に分析するというプロジェクトをやったことがある」 というような答ではぐらかされてしまった.
Universal grammar については,Chomsky は堅い信念を持っているようである. 彼は講演の途中か質疑応答の中かで「文法は進化しない」と言いきったが, これは何等かの coding によって我々の gene に固く組み込まれている universal grammar が不変である,ということの表明なのだろう.
しかし, 人間の社会については, それが我々の gene に組み込まれた社会行動の実現としての universal で不変なもの,変えようのないもの, とは考えていないようである.Chomsky は「奴隷制度もなくなってきたし女性の地位も向上した, 社会は我々の政治的プロテストを積み重ねればどんどん良い方に変えられる」と言っていたが, ここに現れている考えが彼の政治に関する確信の核をなしているのではないかと思う.
でも,奴隷制度がなくなってきて,女性の地位が変化してきたのは, 単に奴隷仕事としての土木作業をさせられていた人たちが重機で置き換えられ, 洗濯や掃除などの重労働を割りふられていた人たちが洗濯機や掃除器で置き換えられた, ということにすぎないのではないだろうか? そうだとしたら,これは工学の人たちが胸をはって言うテクノロジーの進化であっても, 社会の進化ではないのではないだろうか?
Chomsky の政治的立場はこの点において言語学者としての彼の立場と大きく矛盾しているように思えるのだが, この, そのあまりにグローバルな性格のためにかえって見過されてしまているのかもしれない自己矛盾のありようは, 逆にそれ自身彼の魅力でもあるのだろう.
大きな自己矛盾を含むドクマが, それを体現する人の不思議な魅力となって,その人にある種のグルとしての資質を与える, という例として僕がまず思い出すのは,John Cage である.もちろん,Chomsky と John Cage では,片方は言語の構造化,議論の言語化とという方向を向いているのに対し, 他方は音楽の非言語化, 日常雑音の音楽としての亨受,というように全く正反対の方向を向いているのだが (そしてジョン・ケージの場合,彼の音楽思想は,音楽の非構造化, 非言語化を提唱する一方,西洋的な意味での作曲家や音楽家, 音楽作品などについての価値観は保持する, というところに大きな矛盾をかかえているように思える), 晩年はもっぱら「ジョン・ケージを演じていた」と言われることのある John Cage と同じように,Chomsky もある意味で,彼の確立した 「チョムスキー」を演じることを余儀なくされているのかもしれない.
実は, 現在の僕は Chomsky に負うところが大変に大きい: 僕は1979年に当時の西ベルリンに移住した. この年にベルリン自由大学の語学コースに編入して一学期間みっちりドイツ語の勉強をさせられたのだが, 当時のベルリン自由大学の外国人学生のための語学教育のプログラムは独自の教科書を作っていて, この教科書の文法の記述が Chomski の生成文法のノーテーションを用いていたのである. 現在の僕は,native speaker でないドイツ語の話者としては最上位グループに属していると思うが, このことは,Chomsky の文法理論なしにはありえなかったのではないか,と思うからである. [この項目はまだ書きかけです.]
想像していたように,上橋菜穂子の書く物語の世界がその先に見えるような本で, その意味では大変に充実した読後感を味わうことができたと言える. 彼女の物語は,純粋な語りの枠を出るときにも, 寓話でしかないような書き方になっていて,寓話の先にあるものを考えるのはあくまでも読者なのだが, この本では,一般向とは言っても anthropology の (についての) 本なので, (主に anthropological の field work の方法論に関する) もう少し踏み込んだ作者のステートメントも読みとれる.
しかし --- 間違った一般化をさける, 書いたことがどのような意味での差別にも繋がらないようにする, ということに細心の注意をはらっている結果なのかもしれないが --- この本で書かれていることが, 日本で起ってきた, また現在でも起っている (もっと言えば,世界中で起ってきた,また現在も起っている) 現象の様相を教えてくれる1つのケースになっていることの可能性についての, 議論,あるいは示唆くらいは書いてあってもよかったような気もする.
もちろん, そのようなコメントに関することは,確かに非常にデリケートな問題も含まれているだろう.
たとえば, 和人の北海道への入植でアイヌの人たちに起こったこと,今でも起っていることを, 和人のある集団に対して起ったこと, 今でも起っていることと比較してみたくなったとすると, もしその比較が状況の理解を整理するのに大きな助けになるとしても, その表明に対して, アイヌの人たちからは,自分達の状況を和人の中での状況と比較してほしくない, という大きな反発があるかもしれないし, この和人の集団からは, (彼等がアイヌの人たちを強く差別しているために --- 差別された人達が自分たちが強く差別できる対象を求める,というのはごく一般的な現象であるように思える) アイヌなんかと一緒にするな,と反発されるかもしれない.実際,僕自身, このような種類のコメントで, ここに書きたくてうずうずしているのだが今いった事情で書けないでいるものが幾つもある. ちなみに,そのような流れで考察してみたいと思っていることの1つは,ずいぶん前に 春日井日記 に書いたことに関連する事柄である.
この上橋菜穂子の 「隣のアボリジニ」 で変に印象に残っていることの1つは, 本筋とは全くはずれてしまうかもしれないが (しかし実は次のパラグラフで書くことになる, (僕にとっての)「本筋」とは関連することではあるのだが), 彼女がこの本の「序章」で,オーストラリアで field work をしたときの二十代の自分を 「日本人の未熟な娘」と表現していることだった. この musume という単語には非常にひっかかるものがあった. 日本語での文化人類学の用語からとってこられている単語なのかもしれないが….
本書で書かれているように, アボリジニと白人の混血は主に白人の男性によるアボリジニの女性のレイプによって進んだものだったようだ. もちろんこれは, アボリジニの置かれていた状況に関する僕の既に知っている知識と,混血が起っている, という事実から当然推論できるはずの想定された結論のはずなのだが, 僕自身はこのことをちゃんと意識していなかったので,言われてみてショックだった --- それで,僕が musume という単語にひっかかった理由なのだが, それは,この単語が (ヨーロッパ語での fujiyama, geisha などと同様の借用語として) 明治維新前後の日本に住んだ白人の男性が, クルーズの対象とする日本人の若い女性を指すときに使った単語だったからである.
実は,本書にあるようなアボリジニに関するレポートは,僕にとっては,もっとずっと time scale の大きな話題との関連で大変に興味がある. それは,白人のオーストラリアへの入植でアボリジニに対して起こったことが, かつて (十万年未満前の最近,あるいは大昔に), ホモサピエンスの入植の過程でネアンデルタール人やデニソヴァ人に対して起こったことを想像するときの足掛りになるのではないか, ということである.もしこのようなアナロジーが許されるなら,Svante Pääbo らの最近の研究結果に基くと,白人がアボリジニに対して行ったのと同じようなことを, アボリジニの祖先がデニソヴァ人に対して行った可能性がある,と考えることもできるだろう.
,,Träumerei“ を 「トロイ・メライ」として聞くときに感じるあの時代への郷愁は, シューマンが彼の初期の音楽で, ホルン五度や,声のフォルマントのように長く保持される音などによって, 言わば音楽的な 「なつかしさ」を発見したのだったので, そいういう音楽によって余計に美しい思い出として感じられるのだ. そういえば,あのころ同じようにラジオで繰り返し流れてきたものの中には,このシューマンの 「なつかしさ」の方程式の応用のような山田耕筰の白秋の詩につけた歌曲たちもあった.
このごろ意識して何セットかの小さなコンサートプログラムになるようなピアノ曲群を練習しているのだが, その中にシューマンの最初期のピアノ曲と最晩年の (つまり精神病院に入院する直前に書いた) ピアノ曲の組を含むものがあって,Kinderszenen もその中に入っている. このプログラムの練習で,「トロイメライ」と「炉端にて」をちょっと弾いてみた:
実は日本の歴史もそれと同じような種類の行動原理で動いていると言えるのかもしれない.
この前パリに行ったとき,Boban と雑談していて,日本の歴史の話になり, 「いったい日本は何で負けることが明らかなアメリカとの戦争をやったんだ」と聞かれて, 即座に気のきいた意見をまとめることができなかった. 「負けることが明らか」ということすら判っていなかった, というのが一番妥当な答なのかもしれないが, それだけでは何か釈然としないものもあった.戦争を希望した大衆は 「負けることが明らか」ということを知らされていなかったかもしれないが, いくらなんでも決定権を持っていた人達が全員 「負けることが明らか」ということが判っていなかったとは思えない (思いたくない?) からである.
しかし,後でよく考えてみたら, 荒唐無稽な話だが, 当時の日本人は (そしてそれがそうだったのなら多分今の日本人も) 外国と戦争をしたときには, 最後には神風が吹いて助けてもらえる, と本気で信じていたのではないか (あるいは今でも心の隅ではどこかで本気で信じているのではないか), ということに思いあたった. もしそうだったとすれば,これはまさに,上で言った競馬や競輪で大穴をあてた人の行動様式と言える. しかも,この "大穴" をあてた元寇の役は二十世紀の中半から数えて800年近くも昔のことだ. これは歴史を忘れることの上手な日本人としてはある意味たいへん画期的なことだと言わなくてはならないだろう.
日本の suicide attacks が「神風特攻」と名付けられて, 今 kamikaze というともっぱらこの suicide attacks のことを意味する, というのも, このことをあらためて頭に置いて考えてみるとなんとも皮肉な話に思えてくる.
ただし, weird な日本人の特性のように思われることの多い, suicide attacks 自体は別に日本民族特有の行動様式ではない. このことは例えばイスラム過激派の自爆テロを思い出してみれば明らかだし, そんなことはやりそうにないドイツだって, 規模は日本ほどではなかったにしても,第二次大戦では志願者をつのって自爆攻撃をしている. それにもかかわらず,今では kamikaze という単語は tsunami と同じくらい色々な言語の語彙にとりこまれていて,tsunami の方は日本語由来の言葉だということが多くの場合忘れられてしまっているのに, kamikaze という単語の方は, 「あの得体の知れないクレージーな日本人の…」というような conotation がついて回っていることが多いように思える.
一方,それではあまりにおそまつすぎてみじめなので,あまり考えたくはないのだが, 決定権を持っていた人達が全員 「負けることが明らか」ということすら判っていなかった, ということも実はありえたのかもしれない.たとえば,パールハーバーの奇襲で, もし軍艦や空母だけでなく, 港のおくまったところにあった石油貯蔵施設を爆撃していたとすると, 戦争の流れはかなり変っていたはずだ,という説があるのだが (これは昔 der Spiegel で読んだことがあった) そんなすぐに得られそうな情報すら,日本軍は持っていなくて, 全く盲打ちに近い攻撃しかできなかったわけなのだから.
今新しく購入した ipad の録音アプリをテストするために,この曲を弾いてみた. 決定版ではないけれど,とりあえずここに upload してみることにする:
(defun nanjamonja ()
"guess the size of the sample"
(let
((l 1) (m 0) (n 0))
(while (< l 5000)
(if
(and
(or (= (round (/(* (floor (* l 0.15)) 100) (float l))) 15)
(= (round (/(* (1+ (floor (* l 0.15))) 100) (float l))) 15)
)
(or (= (round (/(* (floor (* l 0.14)) 100) (float l))) 14)
(= (round (/(* (1+ (floor (* l 0.14))) 100) (float l))) 14)
))
(progn (insert-before-markers (format "%d " l))
(setq m (1+ m))
(if (= (% m 10) 0) (insert-before-markers "\n"))))
(setq l (1+ l)))))
これを,emacs で evaluate して, M-: (nanjamonja) [return]
として走らせると
59 65 66 71 72 73 74 78 79 80 81 84 85 86 87 88 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 ...という出力が得られた. つまり,15%と14% を実現する最小のデータのサイズは 59人であることがわった. 統計 (その1) では, 夜道を1人で歩いている女性の半数以上は音楽プレーヤーかスマートフォンを操作しながら歩いている, という仮定のもとで, この「ながら歩き」と性犯罪にまきこまれることの正の相関が否定されることを見たが, ここで手元にあるデータからは, 実は,そこでの議論よりさらに高い確率で正の相関が否定されるし, このデータが逆に負の相関を強く示唆していることさえもっと大きな確信を持って主張できることになる.
「統計」は日本では人を言いくるめる方法になりさがってしまっていることが多いような気がする. この教科書のようなものが大手をふって売られ続けている,というのも, そのことの裾野での現象の一つなのかもしれない.
僞統計のようなものはいたるところで目にする.そのような例の一つ: 以下は産経新聞 1月17日(金)20時0分配信のニユースの一部である:
府警が24年中の路上で起こった女性に対する性被害に関する通報内容を分析したところ、15%が音楽プレーヤーを、14%がスマートフォンを操作中だった。近づいてくる車や人の気配に気づけない「ながら歩き」が狙われるケースは、近年増えているという。この記事によると, 大坂府での路上で性被害にあった女性の29%が, 音楽プレーヤーかスマートフォンを操作中だったということになるのだが (この二つの事象の共通部分はとりあえず空としてよいだろう) , 数えたわけではないので,正確ではないかもしれないのだが, 夜にすれ違った人を思いうかべてみると,神戸で夜間にひとけのない道を1人で歩いている女性のうち 少なくとも半数以上が音楽プレーヤーかスマートフォンを操作しながら歩いているのではないかと思う. 大阪でも同じような傾向があるのなら,ここで言わなくてはいけないのは, このデータからは「ながら歩き」が性犯罪にまきこまれる確率を上げているということは結論できない, ということではないだろうか.ここでは (データのサイズ -- 性犯罪の被害にあった人の総数 -- と母集団での割合 -- 音楽プレーヤーかスマートフォンを操作しながら歩いている女性の割合 -- の数値を隠すという恣意的なデータ操作をして), 言いたい結論を無理に繋げているわけだが,これは僞統計の典型的なパターンの一つと言えよう.
もちろん,これは恣意的なデータ操作などではなく, 単に記事を書いた人の知性の欠落によるものだったという可能性もあるわけだが, 新聞の記事の事実報道の責任という観点からは, ここでは実際がどうであったにしても, 恣意にデータ操作をしたという解釈が採用されるべきであると思う.
ただし,この記事については, 嘘を言っていると言われないぎりぎりの線には留まっているとも言える. 「近づいてくる車や人の気配に気づけない「ながら歩き」が狙われるケースは、 近年増えている」ということ自身は実際にそうかもしれないからである. しかも,これが 「近年増えている」のは,単に「ながら歩き」をする人が増えたからではなく, 音楽プレーヤーかスマートフォンを操作しながら歩いている, ということが性犯罪に巻きこまれることと正の相関を持っているからだ, という主張が明示的に書いてあるわけではなくて,それは, この文章の自然な解釈として読み取れるだけ, なのである.この書き方のために,僕は今この記事を彈劾することはできないし, することもないわけだが,このような責任のがれの道筋を作っておく, ということも偽統計の大きな特徴である.
ついでに統計学の演習をしてみる. 仮に暗い夜道を1人で歩いている女性の50%が音楽プレーヤーかスマートフォンを操作しながら歩いているとしてみる (この値は -- 50%であるかどうかは別として -- やろうと思えばサイズの大きなサンプルをとることで十分に精度の高いものを得ることができる). 仮に夜に路上で性犯罪にあった女性が30人いて, そのうちの29%が音楽プレーヤーかスマートフォンを操作しながら歩いていたとしてみよう (もちんろん, こちらの方のデータのサイズは --- 自分自身で性犯罪者になるというのでもなければ --- 操作することはできない). もし,音楽プレーヤーかスマートフォンを操作しながら歩いている, ということが性犯罪に巻きこまれることと独立だとすると, 夜に路上で性犯罪にあった女性の30人のサンプルのうち音楽プレーヤーかスマートフォンを操作しながら歩いていた人の数を返す確率変数 $X$ は, 二項分布 $B(30, 0.5)$ に従うと考えてよい. ここで $E(X)=30\times 0.5=15$, $Var(X)=30\times0.5\times0.5=7.5$ である. $30\times 0.29=8.7$ だから, $Z=(X-15)/\sqrt{7.5}$ に対し, $P(0\leq X<8.7)\approx P(-\infty\leq Z< -2.3)$ となる. $Z$ が標準正規分布に従うと近似して,正規分布表で値を求めてみると, これは約 1.1%以下となることがわかる.もし, 音楽プレーヤーかスマートフォンを操作しながら歩いている, ということが性犯罪に巻きこまれることと正の相関を持っているとすると, $X$ はある $1\leq p>0.5$ に対して $B(30, p)$ に従うことになるので, $P(0\leq X<12)$ の値はさらに小さなものになる. このことから,音楽プレーヤーかスマートフォンを操作しながら歩いている, ということが性犯罪に巻きこまれることと正の相関を持っているという仮定は98.9%以上の確率で破棄されることがわかる.
上の議論は,
(*) 昨今では暗い夜道を1人で歩いている女性の50%が音楽プレーヤーかスマートフォンを操作しながら歩いているというそれほどきちんと検証したわけでない仮定が用いられているので, この議論が正しいと言っているのではなく,この仮定があるとすれば, 音楽プレーヤーかスマートフォンを操作しながら歩いている, ということが性犯罪に巻きこまれることと正の相関を持っている, という結論は正しくないことが結論できる,という implication を主張しているにすぎない. 上記の新聞記事への批判は,あくまで判断をするために必要なデータを隠匿している, あるいは提示することを怠っている,ということである.
妹尾は,この小説が出たときに 「書いたことはすべて記憶に基づいており、 真実である」と言ったということだが,Richard Feynman だって, 彼のお父さんのことを書いた文章について聞かれたとすれば 「書いたことはすべて記憶に基づいており、 真実である」 と答えたのではないだろうか. (無意識の?) 理想化がなされているとしたらなおさら, 自分の家族をこのように肯定的な物語として描ける脳天気というのは大変にうらやましいことである. あるいは, そのような理想化をせずにはいられない差し迫った内面というものを想定しなくてはいけないとしたら, それはどのようなものとして理解すべきなのだろうか?
それから,この映画に描かれていた時代は, これから日本で起ることになるだろう事柄の予告編のようにも思えて, あらためてこれからの身の処し方について考えさせられるものでもあった.
この本の後半が, 平均的な知性しか持たない人がそう簡単には読みこなせないだろうことは想像に難しくない. 数とは何かそして何であるべきか で書いたことを繰り返すことになってしまうが,しかし, それは,これが「数理論理学」の予備知識を想定して書かれているからではなく, 「数学の基礎付け」の関わる現代の数理論理学の視点からの知見を, 本格的に (つまり読者に 「わかった」という幻想を抱かせるためのまやかしのようなものにはいっさい手を出さずに) 解説しているからである.もちろん, 「数理論理学の予備知識がすでにあった方が読みやすい」ということは言えるだろうとは思うが, これは,「数理論理学の知識無しで読むのは難しい」ということではない. ここで書いたことは self-contained になるように注意深く書かれているので (そのために多くの脚注や脚注の脚注が書かれたあまりエレガントでないスタイルになってしまってはいるが), 「読むのが難しい」か難しくないかは,あくまで読者の知性の問題となるはずである. 少なくとも僕はそのようになる書き方を真剣に試みたつもりである.
むしろ,この 「数理論理学の知識無しで読むのは難しい」 は, 本書の後半を読みこなすだけの知性のレベルを持たない,しかし (あるいはそれゆえ) 自尊心の強い読者のために 「それは自分が数理論理学の知識がなかったからなのだ」 という言い訳を用意してくれている, ということなのだろう.その意味では, このコメントは購買部数が伸びることを願っている出版社に対してはやさしい書評と言えるかもしれない.しかし, この付録Cと解説の著者自身が問題にしているのは,購買部数を伸ばすことではなく, (それがたとえば日本語を読める人の中にたった1人しかいなかったとしても) ここに書いたことを本当に理解できる人が読んでくれることである. そのたった1人かもしれない本書が求めている読者が 「数理論理学の知識無しで読むのは難しい」という言葉に踊らされて読むのを断念してしまうかもしれない, という危険性を考えると,この書評のコメントは非常に迷惑なものであると言わざるを得ない.
これらのピアノ曲集の中で「版画」はドビュッシーの作風の転換点になっている, と言えるだろう. この曲集, 特にこの曲集の第1曲のパゴダ Pagodes でガムランの影響と思われるものが, ドビュッシーの全作品の中ではここではじめて明確に見られる. それと同時に, この曲の構造は,ゆるいソナタ形式で,コーダに相当するところで, 右手が上下にうねるアルペジョにのせて左手が主題を奏でる,という ラベルの「水の戯れ」(Jeux d'eau, 1901 --- ただし,フランス語の jeu d'eau (タイトルはこの複数形) は 「噴水」のことなので,これを「水の戯れ」と訳すのは, 「歓楽」を「楽を歓す」と訳すのと同じような変なことになっているのだが) のそれの模倣に近いものになっている. またラベルの「水の戯れ」でも「東洋的」な五音音階が用いられたりしているので, ガムランの影響と思われるものもラベルの影響を経由したものだった可能性もあるかもしれない. ちなみに,この曲集の第2曲が, やはり 「スペインもの」というラベルの開拓した (そしてラベルがバスクの血筋の人だったためオーセンティックなものと看倣された) ジャンルを真似ているものであることと合せると, この曲集でのラベルの影響 (と思われるもの) は際立っている (もちろんシャブリエやビゼーなどスペインもの, というジャンルはフランスにはもっと前からあったわけだが, ラベルの意味でのスペインものは,本物のスペイン音楽と,このもともとの 「スペインもの」のパロディーの混合物として, それまでにない新しいジャンルとなっていると言えるだろう).
ドビュッシーやラベルが初めてガムラン音楽を聴いたのは, 1889年のパリ万博だったので, 「忘れられた映像」作曲より前のことである. またおそらく彼等が2回目にガムランを聴く機会だった 1900年のパリ万博 (ヒルベルトが 23の問題の講演をパリでした年である) も, 「ピアノのために」の作曲より前である.
これらの三曲ものの全体についてのもっと踏み入った分析は, 別の機会に譲りたいと思うが, パリに滞在した折に,「版画」について考える機会があったので, ここでは,そのことについてもう少し書いてみたい:
「版画」の第1曲は “Pagodes”と名付けられていて,日本語では 「塔」と訳されることが多いのだが, そもそも,ドビュッシーの中で “Pagodes” はどんなものとしてイメージされていたのだろうか? 作品を聴いた印象としては,日本の五重塔というよりは, タイなどの仏教建築がイメージのもとになっていたのではないかという気もする. しかし,ドビュッシーの中で,日本と中国,または南アジアの文化, あるいは音楽文化の差のようなものがある程度ちゃんと正確に理解できていたのだろうか? ドビュッシーの友人にはポール・クロデールのような日本エキスパートもいたが, 一方ルイ・ラロワのように中国に夢中になっていた人もいて, それらの人々から聞いた話がごっちゃになっていた可能性だってあるような気もするし, そもそも録音技術がまだほとんどない時代のことだから, 万博の折に触れた演奏以外にはとほんど系統的に知りようがなかったのではないだろうか.
パリの当時の異国趣味や東洋趣味のありかたを示唆してくれるものの一つに, バビロン通りの La Pagode がある. これは,ステンドグラスに「お侍さん」の図柄が使われていたりして,東洋のようなそうでないような, かなりいかがわしい感じのものだ. もちろんこの 「お侍さん」は当時パリの上流階級で蒐集の対象になっていた日本の版画に由来する図柄だろう. 今はここは映画館になっていて, この映画館はベルリンでいったら,Arsenal に対応するような, Szenenkino として有名な場所で, neuvelle wague の全盛期には主要な舞台の一つだったらしい. そういえばベルリンには Babylon という映画館もあったが,これは,この La Pagode のあるバビロン通りと関係がある名前だったのだろうか.Pagode は 1896年 (明治29年) 建造ということで, Debussy が Pagodes を作曲したときにはすでにパリにあり, 有名な場所だったと思われることから,Debussy も知っていた可能性が高い.
Jean Barraqué は Debussy (Paris, 1962) の中でドビュッシーの東洋音楽の影響を 「安物の異国趣味」と言いきって切り捨てているが,実際, 「版画」での東洋やスペインやパリからの3葉の音の絵葉書は,その後, バビロン通りのバゴダのような,グロテスクな異国趣味に発展する可能性を十分に示しているように思える. Barraqué の発言は,「システムを作ることで抽象的な音楽を完成することができ, 異文化の音楽への参照などする必要は全くない」 というような含みを持つ,60年代の sérialisme intégral の旗手の自信の表明であったのだろう.しかし,これは, ドビュッシーの音楽全体に対するステートメントとしては,ちょっと言いすぎではないかと思う.
映像 I, II でも聴きとることができるように,ドビュッシーはその後,皮相的な東洋趣味の音楽には進まず, 極東の音楽から受けた衝撃を深化させて, 後の時代に本物の極東の作曲家である武満徹が共鳴することにさえなるような, もっと本質的な (極東の音楽ではない) 「極東の音楽」を作りあげることになるわけであるから.
Saint German en Laye の駅からドビュッシーが洗礼を受けたという Saint German en Laye 教会の前を通って博物館をさがして歩いていると,後から歩いてきたおばあさんに ``Est-ce-que vous cherchez quelque chose?'' と声をかけられる.このおばあさんに道を聞いて博物館にたどりついた. 博物館は, ドビュッシーの生家 (当時はまだ病院で子供が生れるということは稀だったのだろうと思が, 実際,本当にこの家で生れたらしい) を博物館にしたもので,つつましい Zweizimmerwohnung (フランス語では deux-pièces とか F2 とか言うようだ) である. ここにはドビュッシーの晩年の書斎にあったものがいくつか展示されていたが, そのなかにドビュッシーが Arkel と呼んで旅行にも持っていったといわれているお気に入りの木彫りの蛙の像があった.
Arkel はドビュッシーのメーテルリンクの劇のテキストによる歌劇 「ペリアスとメリサンド」でのアルモンド王国の年老いた王の名前である. メーテルリンクのこの象徴主義的な劇では,Arkel は 「賢者」を体現するような役割を負っている.展示されているひきがえるの賢者は,時代を越えて, 僕にも静かに何かを語りかけようとしているように見えるのだが, バックグラウンドにかかっている牧神のトリスタン和音の午後の繁く琥珀のかけらがそそいで, その声は僕の耳には届いてこない.
展示の後の壁には,「金色の魚」のタイトルの元になったと言われている,漆塗りの 「柳と鯉」もかかっていた.
原題は Poissons d'or と複数になっているのだが, 確かにこの漆塗りでも2匹の鯉が泳いでいる.奇しくも,この曲は6月の Sy Friedman の誕生日学会での コンサート で弾いた曲のうちの一つだった.
これらのドビュッシーの遺品については伝記や評伝などで読んだりして昔から知っていたものが多かったのだが, 現物を見るのは初めてだった. ドビュッシーという神話がこれらの遺品を通じて実際に生きていた人間として僕の前に証されること, しかも僕はこれらの遺品について前から知っていてデジャヴのような感覚すら味わっているというのは, Woody Allen の Midnight in Paris をちょっと思い起こさせたりもする不思議な体験だった.
こう書くと,この本に変な悪意を持っているように読まれてしまうかもしれないが, 僕が問題にしているのは, この本の内容がヨーロッパの 1920年代以前に書かれた数学の啓蒙書のように見えることである.
1950年代には, この『数学序説』が,1920年代以前のヨーロッパでの数学の啓蒙書のように見えるといっても, 時差は高々30年程度で,当時の数学後進国日本の啓蒙書としてはちょうど良い程度のものだったのだろう, と言うこともできるだろうとは思う.
ただし,1920年代以前といっても 「証明論」と称して Gentzen の証明論の体系のようなものの話があったり, 公理的確率論を有限の確率空間で展開したものなどもあって, 1920年代以前の数学できっちりと閉じているわけでもないとも言える. しかし,そうだとしても,これを 2013年に数学の序説として多くの人が読む, というのはどう考えても,単なる時代錯誤以上におかしなこととしか思えない.
極限概念の話では,ε-δ 論法による精密化の可能性を示唆すらしていないし, 関数概念は,19世紀的なもので押しきっている.確率論については, 上で書いたように有限の測度代数の場合についての具体例による話が書いてあるのだが, ここでも,この話を無限の測度代数に拡張する必要性や,そのことをしたときに 何がトリビアルでなくなるのか,といったことには全く触れられていないので, 公理的測度論と言っても, アブストラクトナンセンスというより単にナンセンスでしかなくなってしまっている.
既に書いたように, 形式的証明の話はあるのだが,完全性定理についても不完全性定理についても, これらの定理を示唆すると思える記述すら何も書かれていない. 完全性については,「すなわち, 経験から,正しい推論の形というのは次にあげる十九個に尽きることが知られているのである.」 (P.404) なる,謎のコメントがあるだけである. また, この「証明論」の章の前の有理数体からの実数体の構成を述べた 「9.数学の基礎づけ」という章では, 「無限の学の破綻と証明論の発生」という副題があって, 「無限の学が破綻したので証明論が発生した」と言っているように見える. しかも,この著者のうちの御存命の方の方は wikipedia によると,「数学基礎論の権威として知られる」ということなのである.
最近, logic 以外の数学を専門としている日本の 「数学者」 (もちろん 「…を専門としている」という形容は,数学者に対してはすでに蔑視的表現であるが) から, logic が非常に軽く見られている, ということが日本全体で起っていたらしいことが判明して (前からそのような評価が存在していることは知っていたが, これはもっとローカルな思考能力に障害のある人たちの現象にすぎないと思っていたので …) 大変に驚いているのだが, そういう評価が独り歩きをしはじめて, 何も分っていない「数学者」がその尻馬に乗る状況ができてしまったこたとの遠因は, このような「数学基礎論の権威」たちにあったのではないかと思えてくる.
しかし,圧巻は,この本の文庫版の出版に際して 2013年に書きくわえられた 「文庫版付記」である. これを読むためだけのためにも本書をぜひ買ってみることをお薦めするものだが, まるで,ヒルベルトと同時代の, しかも全体が全然見えていない凡庸な「数学者」の亡霊が墓から這い出してきて呪詛をとなえている, というような内容の文章である. これは他人事としては大変面白い付記であるとも言えるかもしれないが,logic の研究をしている当事者としては,このような「権威」が今まで放置されたままになっていた, ということに非常に激しい怒りを憶える.
仕事の行き帰りに道を歩いていると, 散歩につれていってもらっている犬たちとすれ違うことが多い. 彼等を見ていると, 現代日本で文化的な 「実生活」を亨受するのに,人間の知性は全く必要ないことがよく分る. 必要なのは正しい飼い主に養ってもらうだけの運と美貌と才覚だろう.
書いてあることがあまりにも偏っていて, ごく少数の特殊例の敷衍で全体を見ようとしている, よく外国旅行に出掛けた人が陥るのと同じ種類の認識の誤りを犯しているように見えるし, 人名や地名のアルファベット表記にも間違いが非常に多いのである. びっくりしてこの本の文献表を見てみると, 日本に関しては,ほんの数冊の英語で書かれた二次資料や三次資料だけをもとにして書いていることが分り, しかもそれらの資料も歴史の本格的な研究書や論文は少なく, むしろ文学史や文化史に関する一般向けの本である (Donald Keen の「百代の過客」の英語版がそのような資料の一つだった). 他の文化圏の歴史ついての記述もこの程度の精度の 「資料」を読んだだけで書かれていたものだったのかもしれないことが判って, ガックリきてしまった.これに比べたら最近僕が書いた フォン・ノイマンに関する作文 の方がずっとプロフェッショナルな歴史 (数学史) の論文だと胸をはって言えるのではないか. この作文では多少踏み込んだ (踏み込みすぎた?) 大胆な議論も行なってはいるのだが, 用いた文献に関しては, ロシア語とイタリア語の重要なもので目を通せなかったものがあるかもしれないことを除くと, この論文で引用されている文献のリストからもわかるように, ほとんどすべて入手できるかぎりの,関連する (テーマがら,主にドイツ語や英語など日本語以外の言語で書かれた) 一次資料について直接あたって, それらを十分に吟味した上で書いているからである.
同じような失望は, 先日トイトブルクの森の戦いのことを書いたときに触れたドイツのテレビの歴史のシリーズでも味わった. このシリーズでの日本の近代化を扱っている回 (岩崎彌太郎に関する話だったと思う) があり, そこで,幕末の ``samurai'' の出てくるシーンがあったのだが, そこで描かれていた ``samurai'' は服装など 日本の武士の格好ではなく,むしろ (日本人がステレオタイプとして思いえがくような?) 中国人の髪型や服装だし, 背景の町も日本には見えないものだった. しかも,この番組でのナレーションの説明は, この ``samurai'' と浪人の区別ができていないようなものだった (あるいは, アメリカで ``hibachi'' が日本語の鉄板焼のことなのと同じように,アメリカでは ``samurai'' は浪人のことなのか? --- しかし英語の wikipedia などで見るかぎりそういうような混乱や誤解はないようである). もちろん日本人の方が時代劇のテレビの映像などで洗脳されてしまっていて, 当時の実際の姿は, 実は我々の思い描くものとは全く違っていた, ということもありえる (幕末に写された写真から想像できるように, 多分当時の日本は時代劇の中でそうであるようにはクリーン ではなく,人の体格だって現代よりもっとずっと貧相で, 街ももっとずっと鄙びていただろうし, samurais がサラブレッドにまたがって登場することは絶対になかったろう. また, 西部劇風の劇伴が背景に鳴っていたということだって間違ってもなかっただろう). しかし,そうである可能性を差し引いても, このテレビ番組で 「再現」されていた映像は,とても当時の日本に対する真摯な時代考証の結果とは思えなかった. こういうのを見せられると興醒めしてしまって, 他の回のものもあまり信用する気がしなくなってしまう.
これを見て, シャクシャインの戦いも, ひょっとしたらこれと同じような結末になっていた可能性があったのかもしれない, という思いが頭をよぎった.そして,もしそうだったら, 今の日本はどうなっていたろう,と思わずにはいられなかった. しかし,これはどう考えても無理な仮定のようでもある.
シャクシャインは和平交渉の折に和人に騙されて毒殺されてしまうが, Arminius は後のローマの報復に倒れることもなく, トイトブルクの森の戦いではローマ仕込みの当時のモダンな戦術を駆使し, 地の利を生かしてローマ軍を壊滅させた. 彼が後に毒殺されたという説もあるようだが, その説では,それは同族での争いに起因するものだったということのようだ.
Arminius はゲルマンの部族の首長の子供としてローマに人質にとられてローマで教育を受けたバイカルチャルな "近代人" だったが, シャクシャインはアイヌの土俗の首長だったにすぎず, 多分,和人の内面を全く理解していなかっただろう.
集合論が専門でない数学者の書いた数学書の中で, 1940年代のゲーデル以降の集合論の結果について触れられることは極めて少ない. もし何かが述べられている場合には,それはコーエンの連続体仮説の独立性の結果か, このソロベイの "公理" に関連する話であることが圧倒的に多いように思える.
最近では, この ソロベイ (Robert Solovay) の仕事だけでなく, シェラハ (Saharon Shelah) による,このソロベイ "公理" と到達不可能基数の存在との equiconsistency を示す結果についても触れている一般書もたまに見掛ける (僕の記憶に間違いがなけれは Amir Aczel の書いたもののどれかには出ていたと思う). しかし,そのような一般向けの本は,すべて英語で書かれたものか, その日本語への翻訳であり (全部ではないとしても, そのよう翻訳の中には科学ジャーナリストのような人が内容を間違って訳してしまっているものも少なくないのだが), 集合論の研究者ではない日本人の数学者が書いたオリジナルの書物や 数学の教科書のようなものの中では,このソロベイの結果に続くシェラハ 以降の展開が説明されているものは今のところ皆無であるようだ.
初めに述べた数学者との会話で,"ソロベイの公理" という話が出てきたのは, 確率論に関連する話の流れの中でだったのだが, 確率測度に関してなら,実は, 同じソロベイの結果でも,この結果ではなく,むしろ 1971年の real-valued measurability に関するもの の方がもっと重要な関連を持つものと言えるだろう. ところが,こちらの論文の結果については, どうも, 私を含めた集合論を専門とする研究者による議論 (たとえば,私が昔翻訳した Kanamori 先生の本 の §2, §16 を参照されたい) を除いた, 一般の目の触れるような場所での集合論の研究者ではない数学者やサイエンスライターによる議論ということでは, 全くどこでも言及されたことがないように思える.
もちろん, ソロベイのこれらの結果を論じるには,集合論だけでなく, 単にルベーグ可測性というキーワードを知っている, というよりもう少し高度な測度論の素養も必要なので, そのことが, たまたま入口が若干難しいこちらの方の結果にサイエンスライターを近づけない原因になっている可能性はあるが, 一般の数学者も誰もこの仕事に言及していないのは,非常に不思議である. ちなみに,上の数学者も,この結果の方は全く御存知なかった.
ソロベイの 1971 年の結果は,ウラムによる確率測度の研究の延長線上にあるもので, "『ルベーグ測度を拡張するすべての実数の集合に対して定義されたσ-加法測度が存在する』+ ZFC (選択公理をフルに仮定している)" という理論が可測基数の存在と equi-consistent である,というのがその主要定理の1つである.特に Radon-Nikodym の定理を思い出すと,このことは 確率論で考察する確率測度はすべて $P(\Omega)$ 上で定義されている, と仮定して議論を進めてもそのことからは矛盾は起きない,ということを示唆している, と考えられるとも言える (これは, たとえば簡単のためにすべての確率測度が $P(\Omega)$ 上に定義されている, とする確率論の教科書を書いた人がいても, 直に断罪することはできない,かな,という程度のメッセージにすぎない. それ以上のとんでも発言ではないので. 念のため.日本の統計の人が書いた確率論や統計学の教科書の中には, たいへん愉快な (つまり不愉快に間違っている) ものが少なくないが,ここで言っていることは, それを擁護するための議論ということではない).
もちろんこの結果の評価は可測基数の存在という命題をどうとらえるか, ということにも依存していることになるが, その判断には当然のことながら集合論的な洞察力が必要になるので, むしろ,そのことが, このソロベイの1971年の結果が一般の数学者のコミュニティーでポピュラリティーを獲得しないでいることの, 主な理由なのかもしれない.
また,これは,これらの結果の主張だけを追っているだけでは分らないことではあるのだが, ソロベイの1971年の結果での無矛盾性証明で用いられている集合論のモデルは, 1970年のそれに比べてずっと人工的に見えるものである. 僕の Shelah と Greenberg との共著の 2006年の論文では, ソロベイの1971年の論文と同じ命題が成り立つモデルで, ソロベイのモデルとは本質的に異る性質を持つものの構成が与えられている. ソロベイの1971年の論文や, Fuchino-Greenberg-Shelah の論文での結果を得るためのモデルがある意味できわめて人工的なものだ, という事実が,ソロベイの1971年の結果での命題を "公理" として捉えにくくしている, ということは,この "公理" がポピュラーでないことのもう1つの原因になっているかもしれないが, それは集合論の専門家に対する原因ではあり得るとしても, 強制法を理解していない大多数の他の数学者に対する原因でなさそうに思える.
一般の数学者にとっての,このソロベイの1971年の結果での命題のもう1つの問題点は, ウラムの結果 (ウラムマトリックスを用いる議論である) から 「ルベーグ測度を $P(\reals)$ 上の σ-加法的測度に拡張できる」という仮定からは, 連続体の濃度がとてつもなく大きなもになることが導き出されてしまうことであろう. 一般の数学者の多くは,連続体仮説を,正しいが証明のできない数学的事実, と捉えているのではないだろうか.ウディンは集合論の最先端の知見を応用して, 連続体仮説の真偽を決定しようとしているようであるが, 彼の連続体仮説についての見解もまだ確定していないようである. その意味で,連続体仮説は正しい, という何らかの論拠が一般に認められることになる, という未来の数学のシナリオもあえり得ないとは限らないかもしれない. しかし,多くの集合論の研究者にとっては,連続体仮説は,「それほど面白くない仮説」, でしかないように思える.逆に何かの意味で連続体が非常に大きい, というのはそれ自身興味のある状況に思えるし, 多分それほど不自然でもないことでもあるようにも思える.
ソロベイの1971年の結果が一般の数学者に全く受容されていないように思えると書いたが, 実は,僕自身,大昔まだ学生だったころ, この 1971年のソロベイの結果と1970年のソロベイの結果とがうまくかみあっていないように思えて, 非常に悩んだことがある.
このとき僕がちゃんと理解しきれなかったのは, 次のようなことだった: ヴィタリの定理により, 選択公理を仮定したときには,実数体の冪集合代数の上には translation invariant な測度 (つまり図形を平行移動しても図形の 「かさ」の変らないような測度) は存在しない. 特にルベーグ測度はすべての実数の集合に対して定義されていないし, ルベーグ測度を translation invariant であるようなやり方で実数全体の集合に拡張することはできない. ソロベイの1970年の論文の結果で,フルの選択公理でなく ZF に DC を加えたものが考察されているのは,このような制限があるため,不可避なことだった. しかし,ソロベイが1971年の論文で扱っているのは,必ずしも translation invariant でない (というより ZFC を仮定したときにはヴィタリの定理により translation invariant ではありえない) 測度である.そして確率測度は必ずしも translation invariance が必要ではない (たとえばコルモゴロフの定式化した確率の公理には translation invariance は含まれていないし,そもそも一般には確率空間自身に translation invariance を議論するために必要になる幾何学的あるいは代数的な構造すら仮定されていない). そのような測度がすべての実数の集合に対して定義されていることは, (ZFC + 可測基数の存在の無矛盾性を仮定から出発して議論してよいなら) 選択公理をフルに仮定した ZFC とも抵触しない,というのがこの 1971年の論文からの結論である.
一方,最初に「ソロベイの公理」と言った方の 1970年の結果も, 現代から見たときには,上で書いたような言い方ではなく, 「すべての $L(\reals)$ の元になっている実数の集合は可測である」や, 「すべての射影集合は可測である」という形の命題が ZFC と無矛盾である, あるいは,可測基数の存在と equiconsistent である, と表現して, 選択公理を認める数学で扱える命題として見た方がその意義が議論しやすいように思える. そしてこのように formulate したときには,その主張は, たとえば supercompact cardinal のように非常に大きな巨大基数が存在すれば, そのことから導ける, という意味で「正しい」ものとなることも 1980年代後半以降の研究から判ってきている.
ちなみに射影集合とは,$\reals^n$ 部分集合としてのボレル集合から出発して, 射影をとる操作と補集合をとる操作を0回以上有限回繰り返し適用することで得られるような集合のことである. 通常の解析学に現れる (具体的な) 集合はほとんどすべて射影集合になっていると考えてよい. たとえば, ヴィタリの定理の証明で構成される非可測集合は射影集合でない可能性を持つ集合の例であるが, 例えば,ゲーデルの公理 $V=L$ を仮定したときには, ヴィタリの定理の証明での構成で射影集合になっているような非可測集合を作ることができる (これに関連する話は, 最近, 公理的集合論, --- これから学ぶ人のために ---, 数学,Vol.65, No.4 (2013), 411--421 にも書いた).
ソロベイの 1970年の論文ではルベーグ可測性だけでなくその双対概念と言えるベールの性質 (Baire property) についても考察されている. ある集合 $X$ がルベーグ可測とは $X$ との差集合が零集合になるようなボレル集合が存在することだが, この「差集合が零集合」という条件を 「差集合が痩集合 (meager set)」 という条件で置き換えたものを満たす集合として規定されるのが,ベールの性質を持つ集合である.
上で 「双対概念」と言ったが, 実際,ルベーグ可測な集合の全体とベールの性質を持つ集合の全体の間には, 強い類似性が成り立っていて, 連続体仮説,あるいはもっと一般的にはマルティンの公理のもとでは, $\reals$ 上の bijection で,零集合の全てと痩集合の全てを一対一に対応させるようなものが存在する. ルベーグ可測な集合の全体とベールの性質を持つ集合の全体の間の強い双対性についての古典的な結果については, J.C. Oxtoby: Measure and Category に詳しい.
ソロベイの1970年の論文の結果は,実は,"ZF + DC + すべての実数の集合はルベーグ可測 + すべての実数の集合はベールの性質を持つ" の無矛盾性を示すものとなっていた.あるいは上での注意と同様に,これは "ZFC + すべての $L(\reals)$ に含まれる実数の集合はルベーグ可測でベールの性質を持つ" という形の命題の無矛盾性として理解することもできる. また,このことから, "ZFC + すべての射影集合はルベーグ可測でベールの性質を持つ" ことの無矛盾性が導かれる.
もう少し正確に言うと,上の結果は,ソロベイの論文では, 到達不可能基数とよばれる, 巨大基数のうち一番小さな種類のものの存在の仮定を満たす集合論から出発して得られていた. しかし,ここで到達不可能基数が本当に必要なのかどうは, 10年近く未解決問題として残っていた. このため,ソロベイの結果を引用している少し古い日本語の本の中には, このことが未だに未解決あるような記述がされているものも少なくない.
この未解決問題に驚くべき答を与えたのが,この項の最初の方でも触れたシェラハ (Shelah) の 1984年の論文 (プレプリントの初出は1980年) だった. ここでシェラハは,"ZF + DC + すべての実数の集合はルベーグ可測" が "ZFC + 到達不可能基数の存在" と equiconsistent (片方が無矛盾ならもう片方も無矛盾) であることと, "ZF + DC + すべての実数の集合はベールの性質を持つ" の無矛盾性は到達不可能基数の存在を仮定しなくても (ZFC の無矛盾性だけを仮定して) 証明できることを示している. この結果は, (ZFC 上で) 可測性とベールの性質の間に大きな非対称が横たわっていることを示している.
集合論を専門に研究していない数学者でも, ここで書いたようなとを,少なくとも教養としては多少は把握していてくれてもいいのではないかとも思うのだが….
エクスカジョンに参加されていた早稲田大学の江田先生の奥さんは, これはサフランだと言ったが, バルセロナ大学の Joan Bagaria さんはオーストリアはサフランが繁殖するには寒すぎるはずなので, 似ているが何かの亜種だろう,と主張した.
日本に帰ってから気になって調べてみたところ, こんな ページを発見した. このページによると, 20世紀初頭にはオーストリアは中部ヨーロッパのサフラン栽培の中心地だった, ということである.
これは, 北見のハッカを思いださせる. 北見は,20世紀の初頭に世界のハッカ生産の中心だったことがあった. 合成ミントが作られるようになって,ハッカ景気は夢のように消えてしまったのだが, 現在でも北見の薮をのぞいてみると,当時のミントが野性化して繁殖している.
Joan にメールを書いたついでにこのことを話したところ, 「寒くて湿度も高いオーストリアでサフランが繁殖できるとは思わなかったのでとても驚いた. スペインですら, サフランの繁殖が可能なのは日照の多い乾燥した中央カステル地方のラマンチャくらいのものなので」 とのことだった.
この話をしたときに, semantics と syntactics の区別がよくできない人が完全性定理が難しいと思うのだ, というのが,名古屋大学の松原さんの説だったのだけれど, どうもそれだけではないような気もする.
確かに, 完全性定理の証明自身は,terms structure を作ってこれを自然な同値関係で割る, という多少数学の素養のある人だったら, 絶対にどこかで (例えば自由群の構成などで) 既に習ったことのある手法でモデルを構成する, ということにつきるので,難しいとしたら, それはこの定理の意味の吟味というような部分でしかないだろう. 実際,完全性定理の意味をつきつめてゆこうとすると, そのステートメントの置かれた位置の微妙さに疑問を抱かずにはいられない. そもそも厳密な有限の立場で扱かうことができる証明の体系の完全性を,無限構造を作る, という超越的な方法で示すことに何の意味があるのだろうか?
この問題については 一階述語論理と集合論は循環していませんか? でも触れたし, 僕が最近書いたちくま学芸文庫の 数とは何かそして何であるべきか の付録C として書いた解説でも, この定理の意味のあやうさを吟味し,踏み込んだ説明をした.一方, この本では,ルーティンワークで細部を埋めることのできる部分については, (要点はきっちりと書いて) 証明の細部は思いきって省略した (ただし,web 上には,この細部を埋めたものを含む僕の 講義録 が upload されている). しかし,これについて, たとえば,アマゾンに投稿された,全体としては大変に好意的な書評では:
この本を読んだくらいで、完全性定理がわかったら苦労はしない。 完全性定理を学ぶための本は訳者も参考文献に挙げているように、 (江田)数理論理学―使い方と考え方、(坪井)数理論理学の基礎・基本などがあるだろう。と書かれている.もちろん,完全性定理が難しいと言う人の中には, 数学力の不足から完全性定理の証明を難しいと感じる人と,定理の意味を熟考して, よく分らないと感じる人が混在しているのかもしれないが,そうだとしても, この 「この本を読んだくらいで、 完全性定理がわかったら苦労はしない」という反応はやはり腑に落ちない. ちなみに,ここで引用されている, 江田氏の本も坪井氏の本も,完全性定理については数学的証明の細部は書いてあるが, 上で言ったような「疑問」に対する答えないしは考察が述べられているわけではない.
不思議なことに,昔,全く同じ反応を,これとは別の文脈で頂いたことがある.
7年くらい前に書いた ゲーデルと20世紀の論理学 第4巻に収録された 「構成的集合と公理的集合論入門」 と題した集合論の入門のテキストで, 強制法について,その手法による証明が何で相対的無矛盾性の証明となっているのか, この相対的無矛盾性の証明はどこで行なわれている証明なのか, などについての議論を十分にした上で,ここでも紙数の制限から,Forcing Theorem など, そこで使う概念の定義をきちんとしておけば後はルーティンワークで再現できると思われる証明の細部を省略したところ, 早稲田大学の江田先生 (上に出てきた 『数理論理学 -- 使い方と考え方』の著者と同一人物である) に, 正確な言葉はちょっと手元に文献がなくて再現できないのだけれど, 「こんなもので強制法が理解できれば世話はない」というような意味のコメントを, (まさにここで引用した彼の本の中でだったのではないかと思う) いただいてしまったのだ.
江田先生は強制法が非常に難しいと思われていた時代の世代に属す人なので, その感覚のバイアスがかかっているのかもしれないが, 強制法は,少なくとも現代的に整理された記述 (たとえば Kunen の教科書に載っているような記述) では,その技術的な基礎に関しては何も難しいことはなくて, 超限帰納法の基礎をちゃんと理解した人なら,誰でも難無く勉強できるはずのものだと思う. 強制法が難しいのは,むしろ,その手法の数理論理学とのつながりに関することや, その手法を使うと,集合論上の相対的無矛盾性という, 証明ができるように思えないことが証明できてしまうこのとの心理的な壁の克服にあると言えるだろう. 少なくともこの点に関しては,僕の書いたものの中には十分に詳しい, しかも他の本にはないような踏み込んだ説明が見出せるはずである.
奇しくも,強制法の数学的議論で中心になっているのは,やはり terms structure を同値関係で割ってできる構造として generic 拡大を実現する, という完全性定理の証明と同じタイプの構成法である.これが偶然なのか, それとも,人が「難しい」と感じることの原因として, もっと深いところで繋がっていると言えるのかは,興味深い問題ではある.
この問題の考察の糸口として,上で引用した書評を書いてくれた人が, 自由群や自由アーベル群の構成を難しいと思っているのかどうかは, とりあえずぜひ聞いてみたい気がすることのひとつである.
これはドーバー社にもちくま学芸文庫にも言えることだが, 科学関連の古い本のリプリントの場合,一番問題になりえる点は, それらの古い本は,当然ながら,それらが書かれた時点での知見を越えることはできないので, 最近に大きな進展のあった分野では, その進展より前に書かれたものが, 「歴史的な興味からは目を通してみてもよい文献」でしかなくなってしまっている可能性のあることだろう.
しかも,そのような時代に越えられてしまった本が新しい装丁で再出版されたときには,すべての読者が, その本が,そのような歴史的な,過去の科学を証言するものでしかなくなっている, ということに気がつくとは限らない.本を売る側の出版社も, 売ろうとしている本が最新の知識を反映していないということを強調するとは限らない (あるいは販売の作戦上,むしろ意図的に隠していることだってあり得る) ので, 読者がそれらの過去の科学的知見を最新のものと取りちがえてしまう可能性は非常に大きい.
もちろん新しい本がすべて良いとは限らないし,過去に書かれたものの中にも, ある点においては過去の知見の制限にとらわれていたとしても現在多く書かれている本を越えていて, 読む価値の大きなものもになっている,ということだってあり得る.
前の記事 数とは何かそして何であるべきか でも書いたように,私が最近上梓したデデキントの本の翻訳と解説を引き受けて, ある意味でアンバランストな分量の解説や補足を書き足したのは, 読者に,デデキントの数の理論そのものだけでなく, その後の展開もちゃんと理解した視点から,デデキントの業績を見てもらいたい, と思ったからだし,僕が書かないと,誰か別の人が, 数の基礎付けに関して,デデキントの後に何の進展もなかった, というような勘違いをする読者を沢山作ってしまうような翻訳をしてしまうかもしれない, という恐怖からでもあった.
阿部謹也著の 『ハメルンの笛吹き男』 (ちくま文庫) は, もともと 1974年刊の本で,今日まで, 文庫本としてリプリントされたのは刊行からそれほどたっていない時だったが,その後, 当時に書かれたままのものとしてずっと売られているようである. この本は, ハメルンの笛吹き男の伝説の裏にあった史実を解きあかす, というのを入口にして, 中世のゲルマン系の都市の社会学のような話に発散している. 学術的な本というより, 読者の中世の社会への興味を呼びおこすことを主眼に書かれた本なのだろう.
しかし,この本は, 古い本がその後得られている知見をブロックしてしまう, という可能性の例の1つとしても考察できそうである.
というのも, 『ハメルンの笛吹き男』 の謎解き自身は最近大きな進展があったらしいのだ. この本にも1つの説としてあげられている,笛吹き男が Ostkolonisation (東方への植民) の手配師で 『ハメルンの子供達』 --- 「…の子供達」という言い方で都市の市民を指す意味もある --- は集団入植でハメルンを去ったのだ, という説に固有名詞学からの説得力のある立証がなされたのである. しかも,移住先は, ちょうど日本の古の京都で 「筑波」と言ったときと同じような感覚を古のハメルンの人々に呼びおこさせたであろうような Siebenbürgen などというはるかに遠いおとぎ話の先にかすんでいるような場所ではなくて, ブランデンブルク (ベルリンの周辺) のいくつかの場所に特定できるのだというのである.
この研究は, 地名 (移住者はもといた場所の地名を新しい土地にもつける傾向がある) や苗字の分布を論拠とするものだが, この研究を行ったのは Jürgen Udolph という人である. この人は,ライプツィッヒ大学の名誉教授で, ラジオで人名の由来について聴取者の質問に答える番組を持っていたりする有名人で, ネットラジオでときどき話を聞くことがある. 日本でいったら金田一秀穂氏のような知名度と言えるかもしれない.
ハメルンからの集団入植の学説とその検証については,この Udolph 先生の Zogen die Hamelner Aussiedler nach Mähren? に詳しい.
先程,『ハメルンの笛吹き男』 について,この本が, 古い本がその後得られている知見をブロックしてしまう, という可能性の例の1つとしても考察できそうである,と言ったのは, この本についてのキーワードでネットを検索すると,
「謎はまだ当分は解けないだろう、と阿部氏はいう。 しかし本書には、その想像をめぐらせるだけの圧倒的な情報量がある。」 (amazon の書評),など,その後の研究については全く言及せず,しかもこの本を過去の文献として relativise して読む,というスタンスが全く欠けているように思える作文が多く見られるからである.
この 『ハメルンの笛吹き男』 については, 単に古い本が批判的な訂正を補足説明されずにそのまま売られている弊害, ということ以外の問題点もいくつも挙げられると思うのだが, ここではそれについては触れないことにする.
数とは何かそして何であるべきか, デデキント 著,渕野昌 訳・解説,ちくま学芸文庫 (2013/07).を上梓した.この本の後半の全体の約半分を占める部分は僕の書いた解説で, デデキントの著作から読みはじめて後半の解説に読み進むと, デデキントから現代に至る, 数学の基礎付けに関連する研究成果の要点が読み取れるようになっている. いくつかの重要なテーマは紙数の関係で盛りこめていない (たとえば, 直観論理に関する話題や, 直観論理が数学の基礎付けには直接的には寄与しないことを示すゲーデル=ゲンツェンの結果など, 今になってみると少し無理をしても書いておくべきだったと後悔している話題がいくつかある) が,そのことに目をつぶると,self-contained で, しかもかなり本格的な入門書になっていると言えるだろう.解説の部分の記述の仕方も, ここ数年かけて吟味を重ねた結果が盛り込まれていて, 場所によっては, 紙数の制約から読者が紙と鉛筆を持って自分でチェックする必要のある記述になっている, ということを除けば (しかし,そのような部分に対しては,ネット上に細部の説明を含めた参考資料が置いてある), これを読んで分らなければ他の何を読んでも分らないだろう, と言えるものになっているという自信がある. 書けなかった部分については,もし第二版が出せるような状況ができれば, 増補の形で補足してもいいという気もしている.
ではなんで堂々と数学の基礎付けの入門書を書かなかったのか, と聞かれるかもしれないが, この本のプロジェクトはもともとちくま学芸文庫からの依頼で始まったものだった. デデキントの2つの著作の翻訳がもともとの依頼の内容だったのだが, 僕以外の誰かがこの2つの著作を翻訳してそれで終りにしてしまい, デテキントの後には何もないかのような印象を与えるような本ができあがってしまうことを恐れて (あるいは,もっと悪いシナリオとして, 間違った解説が書かれてしまうということだってありえる), あえてこの依頼を引きうけたのだった. 実は,これを引き受けたのは,僕の時間配分にとって,かなりリスキーなことでもあった. この翻訳の話を持ちかけられたのは, 2009年の春で,神戸に移住することが非公式には決まっていたタイミングだったので, 神戸に移ってからやらなくてはいけなくなる色々な仕事のことを考えると, 本当は辞退するべきだったのだが,上に言ったような, 僕がやらなかったときに, これを引き受けた他の誰がどんなことをするか分らないという恐怖のために, 引き受けざるを得なかったのだ.
最初は,最終的には放棄してしまった,いくつか別の歴史的文献の翻訳も加えて, 解説についてはもっと概論的な軽いものを書いて終りにする予定だったのだが,翻訳を試みるうち, さらに加えようと思っていたいくつかの歴史的文献が, それらをオリジナルの形で翻訳すると, 今日の読者を間違った理解に導いてしまう危険の大きいものになってしまうことが明かになってきたし, 解説については,ちゃんとした本格的なものを書くのでなければ, 結局は何もやったことにならないことに気付いたため, 最終的に今の形に落ちついたのである.
一般論としては,文庫として見ると本書の内容は「むずかしすぎる」ということは言えるだろうと思う. しかし,ちくま学芸文庫の Math & Science のシリーズのスタンダートでは, 本書の「むずかしさ」は平均程度になっているのではないだろうか. また,この 「むずかしさ」は,扱っている話題自身の難しさによるもの,ではあっても, 予備知識のない読者を拒絶したり,読者の視点を無視したりしていることからくる難しさではない.
デデキントは,,,Was sind und was sollen die Zahlen“ の初めのところで,
本書は,健全な理性とよばれるところのものを有する,すべての人が理解可能である. 哲学的あるいは数学的な教科書的知識は,本書の理解のためには全く必要とならない.と書いているが,このことは本書全体に対しても言えると思う. というよりそう言えるようにがんばって書いたつもりである. だから「むずかしすぎる」 (つまり売れなくて出版社をがっかりさせる) かどうかは, そもそも読者がある程度以上の労力を投資して本書を読もうと思うかどうか, ということと, 「健全な理性とよばれるところのものを有する」人々の全人口に対する割合にかかっていると言えるだろう.
後半,特に現代の数理論理学から見たときの数学の基礎付けについて述べた付録C では,読者のルーティンワークで埋められる細部を省略しているところもあるが, 逆に,現代的な数学の基礎付けに関する理解の要になる不完全性定理の証明に関しては, 多くの本で説明されていないような細部まで細かく解説しているし, その数学の基礎付けに対する意味に関する議論も 日本語で書く で列挙したような, 最近に書いたいくつもの論説での議論を下敷にして, さらなる考察や説明の表現の改良をほどこしたものになっている. そういう意味でも,難しい内容を無責任に読者に丸投げする, という姿勢をとっているわけでは全くないつもりである.
今 「売れなくて出版社をがっかりさせる」と書いたけれど, 僕自身は,売上部数のことを気にしいるわけではなく, たまたま本書を手にとった1人の高校生 (あるいは中学生) が, 本書にあるアイデアに魅せられて最後まで夢中になって読んでくれたとしたら, そのことだけで,この本を書いた労力は報われたことになるだろう,と思っている. あるいは, もしタイムマシーンがあって,この本を高校生の僕に届けられるのなら,それが一番の理想である.
本書が上梓されてから,ネット上で色々な批判や感想を書いてくれた人があったが, そのことでは, ひとつがっかりすることがあった.それは,そのような批判や感想のうちの複数のもので, 「学部の学生には読めない」とか 「読むには相当の基礎知識が必要」とか書かれていたことだった. 「読むのが簡単でない」というのはそう言われればそうかとも思うが,この「学部の学生には読めない」とか 「読むには基礎知識が必要」は明らかに事実に反する. もちろんこれは,「自分の基礎知識をもってしても読めなかった」とか 「学部の学生だったころの自分にはとても読めなかったろう」 という意味で書いているのかもしれないが,そうだとしたら, 読もうとしている人の意欲をくじくような,一般論のように見える書き方はしないでほしい.前の記事 放射能が伝染る の最後で述べた, 「頭に障害があることが伝染る」 という苦言は,1つにはこのことが頭にあって書いたものだった.
知的エリートの知性が十分に保てていれば十分なので,大衆は何も分らなくてもいい, という考え方もあるかもしれないが,大学で理系の基礎教育を担当していると, 理学的な理解の基礎として不可欠であり, かつ誰でも分るはずの微分や積分の意味がちゃんとわかってくれる学生が, クラスの 10% いるかいないかにしかならない, というような現状を目の当たりにしないわけにはいかなくて,そういう現実を見ていると, これだってかなり怪しいのではないか,という気がしてくる.
また,たとえば,今回の原発事故の初期の段階では, 汚染された地域の農家の人が何も分らなくて, 被曝した牧草を他県の酪農家に売ってしまい,つまり買う方も何も分らず買ってしまって, そこで生産された牛乳が高い放射性を示した, というようなことがあったが,このような事例を思い出すと, 一部の層の人々が十分に高い知性の水準を保てている, というのだけでは (原発事故に限らず, 現代の工業化社会で起こりえる多様な) 事故に対する備えとしては, 全く十分でないのではないかと思えてくる.
しかし,「放射能が伝染る」 という差別に関しては, もう少し別の理解の仕方が必要かもしれないという気がしている. 人類,あるいはもっと広く類人猿の多くは, 長い時間にわたって集団生活の生態を保ってきたので, 感染症の拡大を防ぐためのいくつかの行動様式が本能に深く組み込まれているはずだと考えていいだろう. そして広義の「いじめ」がそのような本能に組み込まれた行動様式の1つだということは, 十分にありえるように思える.平均と違うように見える個体をすべて集団からいじめだして除外する, という行動様式は,未知の感染症に罹っているかもしれない個体によるリスクを軽減するための作戦としては, 悪くないだろう. すべてのタイプのいじめが, この種類の生きのこりのための戦略の名残りとは言えないかもしれないが, たとえば, 「エンガチョ」 (関西にはないのかもしれない.また, 現在ではこの名称はアニメ由来の言葉で置き換えられていることも多いようだ) はそのようなものの名残りであるように思える. これはむしろ感染した個体を集団から除外することの様式化された子供の 「遊び」のようなものなのだろうが,そのような遊びがあること自体, それに対応する本能のようなものが実際に存在していることの間接証明になると言えるのではないかと思う. もちろん僕がここで言っているようなことは, むしろ文化に族すもので,「集団的な本能」ととらえるべきでない, ということもありえるが,それが文化なのか「本能」なのかは, 社会学や,動物行動学のフィールドワークで (ある程度の確定性をもって) 白黒をつけることができるはずである.
いずれにしても, 人類の歴史,あるいは出アフリカで人類が人類になる前からの歴史の長さに比べて, 衛生管理や医療の進歩した後の時代はごく短いので, 「感染症の拡大を防ぐためのいくつかの行動様式」の多くが, 現代の石器時代人の間で本能として修正されることなく大手をふるっていて, それらが現代社会で空回りしているということは十分に有り得ることのように思える.
「放射能が伝染る」という種類の発言は, そのような本能のごく自然な発露と考えられるし,そう考えると, そんな知性の欠落を示す発言をする人が沢山いるはずはない, という予想を裏切って,この種類のナンセンスな誹謗がごく普通に被曝者に投げ掛けられることになる, という現象の説明もうまくつけられる.
これとは全く逆に, 病原菌やその他の物質が全く介在ないのに「伝染」と考えられる厄介な現象もある. もちろんコンピュータ・ヴィールスの感染はそのようなものの一例であろうが, 私がここで思っているのは,人対人の感染で,具体的には 「頭に障害があることが伝染る」 ということである. こう書くとちょっと挑発的に聞こえるかもしれないが, 言いたいのは,「頭に障害があることを放置するだらしのない態度が伝染る」, ということである.頭に障害があることは原罪だが, 頭の障害はいくら訓練しても改善の余地は限られている.しかし, 頭に障害があることは原罪であるという立場からは, 限られている改善の余地の中でできるだけのことをするしかないし, 頭の障害を努力でカバーする,という,これもほぼ不可能に近いことだが, 空しい努力を懸命に重ねるしかない.
しかし頭の障害というのは,実は心理的なものもかなり大きいかもしれない. アンデル・フォルデシュという 1990年代に亡くなったハンガリーのピアニストの書いた Keys to the Keyboard という本の中で,フォルデシュが若いころリストのソナタを勉強しようと決心したとき, 「この曲は簡単な曲だ」と思うことにしたら,難無くマスターできた,という逸話が披露されていた.
「…は難しい」と思ってしまったら, … を一生理解することができないかもしれない. ところが,頭に障害のある人は, 「…は難しい」式のメッセージを他人に伝えたがる傾向があるようで, これが結果として頭に障害があることが伝染る, という現象になって現れることが多いように思う. 「…は明快でよくわかる」というメッセージが送れるには,頭がよくて,本当に 「…」 を「明快でよくわかる」 と認識できなくてはいけないだろうが, 少なくとも 「…は自分には難しかった」というのを変に一般化して 「…は難しい」という形で伝えるのはやめてほしいものである.しかし,頭に障害のある人は, 得てして量化子もちゃんと使えないことが多いので, これも無理な注文になってしまうのかもしれない.
この JAL のエンターテインメントプログラムに用意されていたいくつかのクラシック音楽プログラムうちの1つに, バッハと ''現代'' 音楽というような趣旨のものがあって, この中で,武満徹の Twill by Twilight とマタイ受難曲の ,,Erbarme Dich“ が続けて置かれていた. このプログラムの選曲をした人は満徹のマタイ受難曲の逸話を知っていたのだろうか.
,,Erbarme Dich“ はタルコフスキーの Das Opfer の最後の長いシーンで鳴っている音楽でもあった.これは全く忘れていたのだが, 後で 「,,Erbarme Dich“ が頭の中で回っていて困っている」, という話をしたときに菊池さんから指摘されて思い出した. この枯れ木のシーンは,僕の中では黒澤のドデスカデンの中の枯れ木のシーンに繋がっているのだが, このイメージは今日の一本松の木乃伊にも繋がっているのかもしれない.そういえば Das Opfer では海童道祖の法竹の音楽も使われていて, 日本文化の文脈との隠された関係 (?) も暗示されていたのだった.
,,Erbarme Dich“ があまりにも頭の中を回って止らないので, 逆手にとって,この曲のピアノ編曲を弾いてみることにした.数年前,Liszt year だったとき, やはり JAL の機内プログラムで聞かされたペトラルカのソネットが頭をはなれなくなってしまい, リストのピアノ曲を色々弾いて夏を過したことがあったが, 今回もなんだかこれと似たような流れのような気がする.
武満徹は,新しい作曲 (のプロジェクト) を初める前に,マタイ受難曲を聴くのだ (あるいはピアノで弾く, だったかもしれない) ということを,生前に何度も色々な機会に書いたり,話したりしている. このことは,今まで, 彼の音楽の内容には直接には繋がらないとのように理解していたのだったが, ,,Erbarme Dich“ のピアノ編曲を練習しながら考えているうちに, 前半と後半の対比を内部に含む, 少し長めの単一のモチーフをいくつものカデンツをはさんで様々な変奏や装飾の変化を施して繰り返し, モチーフは時には解体されたり逆転したり重ねあわされたり,他の調 (大抵は属調) で奏されたりするが, それ以上の劇的な変化はないままに,すでに何度もあったカデンツの1つとほとんど同じ終り方で全体を終える, という,この ,,Erbarme Dich“ もそうだし, たとえば Doppelkonzert でも, その他の多くのバッハの大規模な声楽曲や器楽曲でも頻繁に現れるこの構成原理は, 武満徹の後期の多くの作品を支配していたものでもあった,ということに思い至った.
マタイ受難曲は,上のような意味で,武満徹にとって生涯に渡って音楽的な参照点になっていたので, 彼がこの構成原理をマタイ受難曲から学んだ, と考えることは,突拍子もないアイデアとも言いきれないのではないかと思う.
たとえば,タルコフスキーの追悼のために書かれた 「ノルタルジア」 (1987) は,ソロバイオリンの奏でる, ノスタルジックな悲しいメロディーによって大変魅力的な曲となっているのであるが, 同じモチーフの断片を再現なく繰り返すだけの構成の欠落した作品, というような否定的なとらえ方のしやすいものでもあった. 僕自身も, この作品や他の武満徹の後期の作品の,構成に関しては大きな不満を感じていたのだったが, バッハから継承した繰り返しの原理による作品, ととらえ直して積極的に評価する聴きかたも可能なのかもしれない,という気もしてきた.
コンサートの会場の Klaviergalerie は, 前回ウィーンに滞在したときに練習室を借りていたので,知っている場所だった.ここで扱っている Feurig など大変に弾きにくいグランドピアノを弾かされるのではないか, という心配があって,これに対応するために, 東京の代々木にあるスタジオで, ベーゼンドルファー (僕には同じ系列のタッチのように感じられる) の置いてある練習室で何度か練習したのだが, 幸にも本番のピアノは Steinway の C Flügel で,とても弾きやすい楽器だった.
このコンサートでは,Yurii Khomskii 君の演奏で譜めくりもやった. ピアノ演奏に関しては,このコンサートがほとんどヨーロッパ・デビューに近かったのだが, 譜めくりでは, 昔ベルリンに住んでいたときには, ヘルベルト・ヘンクなどの現代音楽のピアニストの譜めくりをけっこうやらされた (アルディッティ.カルテットが Akademie der Künste で演奏したときに一緒に弾いたピアニストのために石井眞木の手書きの楽譜の譜めくりをしたこともあったが, 今この人の名前をどうしても思いだせないでいる).
今回のコンサートでは Yurii の弾いたものにはグバイドゥリーナの曲なども入っていて, 譜めくりをしていて,昔のベルリン時代の僕にタイムスリップしたような気分になった.
もとものとの質問には,
一階述語論理と集合論は循環していませんか?とある.
一階述語論理の意味論には集合概念が使われていて集合論の公理は述語論理で記述されているように感じるのですが、 これは卵が先か鶏が先かの構造になっていないのでしょうか。
述語論理に使われている集合は公理集合論ではなくもっと緩い意味での一般的概念で、 その後改めて数学的に厳密な集合論を立てるということなのか。 …
もし,質問が本当に「一階述語論理と集合論は循環していませんか?」というものなら, 答は No であろう.メタ論理としての一階述語論理自身には意味論は必要ないからである.
しかし,もし質問が実は 「一階述語論理の証明の体系の完全性と集合論は循環していませんか?」 というものなのだったとしたら,その答は Yes に近いものになる.
一階の述語論理の証明の体系の完全性 (ゲーデルの完全性定理) を議論するためには, 論理式の (無限である可能性のある) 構造での解釈を考えることが避けられないが, このような構造を考えるためには, (有限の立場から見たときにはフィクションでしかないところの) 「無限」の扱かいを含めた「集合」の概念が必要になる.
既に述べたように,一階の述語論理の上に集合論を展開する,というだけのためには, 一階の述語論理の証明の体系の完全性の知見は全く必要ではない. しかし, このような形式的な集合論の体系を, その上に数学を展開するための体系として採用することの正当性を論ずるためには, 一階の述語論理の証明の体系の完全性の知識の前提が不可欠となる. たとえば, 連続体仮説がこのような集合論の体系から独立だということが証明できたときに, その結果を「通常の数学的な議論を用るだけでは, 連続体仮説の真偽を決定することができない」という主張として解釈できるためには, 我々の日常行なっている (必ずしも形式化されていない) 数学的な証明のすべてが, 一階の述語論理の証明の体系の形式的証明に翻訳できる, ということの保証としての完全性定理が必要になるからである.
この問題については,デデキントの著作の翻訳と解説をした 数とは何かそして何であるべきか の pp. 189--191 でも論じた.しかし,こう書くと,この議論をフォローするにはこの本を買え, と言っているように見えて気分が悪いので,講義の参考資料としてネットに置いてある, この本の解説の部分の 2013年1月の時点での原稿 の pp.20--21 (pdf のフィジカルなページで) も参考資料として挙げておく. ここで述べたように, 完全性定理の議論は, 一旦無限集合の存在を認める世界での思考実験のようなものとして証明の体系の完全性を保証しているのだと考えれば, これを見た後で,その保証を頭におきつつ, 最初に言った 「メタ論理としての一階述語論理自身には意味論は必要ない」という立場に戻って, その上に,純粋に有限の立場からの公理的集合論の形式的体系を構築することができる.
しかし,メタ数学としての一階述語論理の証明の体系の完全性の議論には, 集合論がフルに使われているわけではない. 完全性定理の証明 (特にヘンキンが整理した証明) をよく見てみると, そこでの構造の構成での, 構成のプロセスは ad infinitum に続くが,一つ一つ構成のステップは一様な構成原理に支配されたものになっていることがわかる. したがって,完全性定理での,「モデルが存在する」は, 「モデルを構成してゆくためのアルゴリズムが存在する」(この「構成してゆく」 というところに無限に続くプロセスが潜んでいることに注意) で言い換えることができ, このアイデアを精密化すると, 逆数学での,完全性定理と $WKL_0$ の同値性定理が得られることになる.
しかし, こんなおたくなテーマをそれなりのエンターテーメント映画の枠に載せることに成功したのだから, ちょっとがんばれば言語学的にももっと面白い話をうまく盛り込めていたのではないかという気もして, これについては大変残念に思えた.
現代用いられているスラングも積極的に採集して項目に加えるというのが, この話での架空の辞書編集のストーリーの味噌になっているのだが, ただ沢山集めるという話に終始しているのは,いかにも残念だし, 日本の文化の平均値はけっこう高いが頂点は低すぎるという状況を見事に表現しているようにも見えて, これは本当にそうなので仕方がないかもしれないが, はったりでも,もう少しがんばってほしかった,という気もする.
ネット上の 映画批評の1つ にも同じような指摘があった. しかし, 日本語の映画の読みごたえのある批評が (少なくともネット上で見つけられるものとしては) いつも英語で書かれたものであるというのは一体どういうことなのだろう.
o Is "naive set theory" really that naïve?,
京都大学数理解析研究所講究録 (RIMS Kôkyûroku), No.1787 (2012, 4月),
183--189.
o [[[不完全性定理に挑む]に挑む]に挑む], to appear in
科学基礎論研究 (カッコはミスプリや html ファイルのスクリプトのエラーではなく本当にタイトルに含まれている).
o 公理的集合論, --- これから学ぶ人のために ---, to appear in 数学.
o 数とは何かそして何であるべきか,デテキント著,渕野昌 訳・解説 (R.Dedekind: Was sind und was
sollen die Zahlen?, Stetigkeit und irrationale Zahlen の翻訳・解説,付録として,
E. Zermelo, Untersuchungen über die Grundlagen der Mengenlehre I
の日本語訳と,
渕野による『現代の視点からの数学の基礎付け』を収録) ちくま学芸文庫 (2013/07).
o フォン・ノイマンと公理的集合論,現代思想,2013年8月増刊号.
o 書評: Akihiro Kanamori, The Higher Infinite, 2nd Edition, to appear in 数学.
こうやってリストアップしてみると,かなり沢山の作文をしたと思っていたのに, 実はそう大した量でもなかったことがわかる. 多分,印刷したページで言うと全部合せても400ページちょっとくらいにしかならないだろう. あんなに苦労して書いたのは一体何だったのか,とも思ってしまう. ただし,数学に関して, 一般の聴衆 (つまり物理学者や哲学者などの非数学者や,専門分野の違う数学者など) に向けて言っておきたかったことの多くは, これらの作文で, とりあえず述べることができた,と言えるのではないかとは思っている.
まだ書き途中のもの,あるいはこれから書くものとしては:
o 数学の基礎付けからの公理的集合論入門 (仮題),in preparation.
o 数学と情報科学のための数理論理学入門 (仮題),in preparation.
この二冊は,部分的には, 私の神戸大学で持っている講義科目の lecture notes のうちのいくつかが部分的に再利用される予定である.ついでながら,『数とは何か…』 の付録でも 同じ場所 にリンクしてある数理論理学の講義録をベースに書いている部分がある.
上に挙げた作文のうち, 『公理的集合論, --- これから学ぶ人のために ---』 と 『書評: Akihiro Kanamori, The Higher Infinite』 は, 予期しなかった執筆依頼がきっかけになって, 執筆依頼でもともと想定されていたと思われる範囲を大きく越えて書くことになってしまった作文だった. この顛末については, ここ に書いた.
この論考のパンチ・ラインは,set-theoretic multiverse (集合論的多重宇宙) と呼ばれる, 近年注目されるようになった数学の捉え方を, 数学的プラトニストの視点の現代的ヴァージョンとして採用できるのではないか, 少なくともこの視点から集合論の研究者のプラトニズムとの和解が可能なのではないか, という主張である.
現代の集合論では, 通常の集合論の公理系 (ZFC) から証明できないし否定の証明もできないような命題 (ZFC 上独立な命題) を見付けだしたり, それらについて考察したりする,ということが研究の1つの重要な課題になっている. ある命題が ZFC から独立であることを示すための標準的な (というよりほぼ唯一の) 方法は, forcing と呼ばれる手法である.ある命題 (たとえば連続体仮説) の独立性の証明は, 多くの場合,この手法を用いて, 体の代数拡大をとるように, 集合論のモデルの (仮想的な要素を付け加ることによる) 拡張をとることで, この命題の成り立っているような ZFC のモデルが作れることを示し, 拡張のパラメタをかえて別の拡張をとることで, この命題の否定が成り立っているような ZFC のモデルも存在することを示すことで得られる.
ただし体の拡張とは異なり, 議論をしている集合論の世界の中で集合論のモデルを作り (これは厳密には不完全性定理により不可能!), 仮想的な新しい集合を加える (すべての集合を含んでいるはずの集合論のモデルには存在しない仮想的な新しい集合とは何なのか?) ということなので,ここで言った説明は言わば言葉の綾にすぎず, 本当の議論の実体はここで書いたことより更に一捻り二捻りしたものになるのだが, いずれにしても,少なくとも直観的なアイデアとしては上のように説明できるような 「集合論のモデルの構成」を繰り返してゆくことで, 議論は,多数の集合論のモデルの総体からなる世界に移ってゆき, 気がついてみると,現代の集合論の研究者は, 本当の集合論のモデル (集合論的ユニヴァース) の性質をきわめる, という, もともとの集合論の研究のモティヴェーションから想定される集合論的宇宙像からは許容しにくい, 微妙な立脚点で仕事をしていることになる.
一方,数学者が, 数学の考察を進めるときには,その考察の対象からなる世界の中に没頭する必要がある. そのためには, 純粹なプラトニストの視点ではないとしても, 僞プラトニスト (つまり数学的議論の効率のためにプラトニストのふりをする人) のそれをとることが必須である. ここで,現代的な集合論の研究者の場合,このときのプラトニスティックな世界は, 集合論の可能なモデルすべてからなる超宇宙, つまり集合論的多重宇宙でしかありえないのではないだろうか. もちろん,集合論のモデルのすべて, というのはやはりそのまま定式化しようとすると, 集合論の中でうまく扱えない対象になってしまうので, ここでもそれを回避するためのトリックが必要になるのだが.
「集合論的多重宇宙」は単に哲学的な立脚点であるだけではなくて, この多重宇宙の見方を積極的に採用することで, 今までの集合論ではとりあげられなかったような, 様々な新しいタイプの研究の課題がそこから見えてくる, という種類のプラグマティックな意味での数学的な立脚点でもありえる.
そのような新しいタイプの研究の片鱗に僕が初めて触れたのは,まだ,この set-theoretic multiverse という用語があまり聞かれることのなかった2006年に,バルセロナの郊外の Universitat Autonòma のキャンパスにある CRM 数学研究所に数週間滞在したときだった. このとき,同じ時期に CRM に長期滞在していたウィーン大学クルト・ゲーデル研究センター所長の Sy Friedman 氏に,そのとき彼が考えていた問題についての話を色々と聞いたのたが, 彼の問題は, 僕のそれまで知っていた集合論の問題意識とは直交するように思われて, とてもいぶかしく思えたのだった. 後になって, 集合論的多重宇宙ということが言われるようになってから振り反ってみると, このとき彼の考えていた問題は, まさにこの多重宇宙から見たときに自然な設問となるような種類のものであった.
去年から今年にかけて,その Sy Friedman 氏と共著で,set-theoretic multiverse に関する小さな 論文 を書き上げた. もう少し正確には, 神戸の集合論研究グループのメンバーの1人である酒井拓史氏にも共同研究に加わってもらっての, 3人の共著論文である.この論文は, この項目の初めに書いた,「英語の native speakers と共著で書いた論文で執筆者が僕」というタイプの論文の1つでもあるのだが, set-theoretic multiverse に関する僕の最初の論文が,set-theoretic multiverse の見方に対するカルチャーショックを感じるきっかけを作ってくれた Sy Friedman 本人との共著というのも何か運命的なものを感じる.
そこに載っていた日本人の死者 (軍人,民間人の両方) の数が, 僕が想像していたよりずっと少なくて驚いてしまったのだ.ソ連での死者の10分の1にも満たない数である. この表の数値は少し誇張があるかもしれないが, インターネットで見られる他の複数のデータを比べてみても, やはりこの戦争での日本人の死者は,僕が思っていたよりずっと少なかったようだ.
逆に,これらの資料によると,日本以外のアジアの国での死者の数は, かなりのものだったようだ.これが主に 日本軍の軍事行動の結果だったとすると (この ``軍事行動'' がすべて組織化されていたものだったかそうでなかったか, という点についての議論はここでは避けたい(*)), 殺傷の人数をもって軍隊の強さをはかるのなら, 日本軍は,(少なくとも, アメリカ製の当時の最新兵器やアメリカの軍事組織が関わっていなかったシーンでは) 大変強かった, と言えることになるのだろうか.
(*) 第二次世界大戦のヨーロッパでの末期,ベルリンにロシア軍がなだれこんできたとき何が起こったかは, 色々なドキュメントや体験談を書いた本などを通じて知っているし, 昔まだその頃の体験をした人たちが沢山生きていたころに, そういう人たちから直接に聞いたりもしたので, かなりはっきりとしたイメージをえがくことができるのだが, 日本軍の "軍事行動" も, ロシア軍のベルリンでのそれと似たようなものだったのではないだろうか.
「近頃の数学は抽象的になりすぎて …」というのは, 「この頃の若いもんは …」というのと同類の老人の口癖にすぎないような気もする. しかし,昨今, 若いふりをする老人が増えたためか,この種の発言は影をひそめている感もあるので, そういう風潮の中での発言としては, 高瀬さんの仰ることをちゃんと検討してみる必要があるかもしれない. ただし,こう書いたのはべつに高瀬さんを老人あつかいにしている, ということではない.念の為言っておく.
高瀬さんの,数学の抽象性の議論は, 彼が心酔している岡潔の研究結果がヨーロッパの数学者たちによって当時の流行のスタイルで 「抽象化」されたときに,岡潔はこれを良しと思わなかった, という事実がその背景の1つとしてあるのではないかと思われる.
しかし, これは,数学の抽象性に関する逸話であるというより,むしろ, 重要な大理論を樹立した人が, その理論の樹立の際に建築の足組みのようなものとして必要とした過度の思い入れのために, その先には進めなくなってしまう, というよくあるパターンに属すことだったのではないだろうか. 意地の悪い言い方かもしれないが, そのような状況に陥ったときの言い訳としては 「最近の数学は抽象化が過ぎて…」というのは大変に具合がいいように思える.
私の良く知っている数学でのそのような例としては,forcing (より正確には現在 forcing として知られている抽象的な理論の元となった,もっと具象的な構成法) を発明した Paul Cohen が彼のこの仕事の後の発展やもっと抽象的な彼の理論の一般化とその応用に全くついて行けず, Solovay か誰かの講演を聴いたときに 「これはもう私の forcing ではない」と言ったとか, 言わなかったかというような逸話が思いだされる.Cohen 自身の書いたものを読んでみると,彼の理論には,modal logic とのアナロジーや,直観論理から影響を受けたと思われる命題の否定の扱いなど, 現在の forcing の理論からは除去された, したがって,今では余計なものであることが判明した, 彼の思い入れの所存をうかがわせる思考の痕跡が多く見られる.
ただし,そのような, 余計な思索が後から読みなおしてみたときに新しいアイデアの源にならないとは限らないし, 整理された蒸留水のような抽象理論のみを勉強していればいい, ということでも,勿論,ないだろう.
もう1つ,似たような逸話で, 近藤基吉先生 (近藤先生はずいぶん前に亡くなられたが, 私はまだ学生で日本にいたころに何回かお目にかかったことがある) の, その証明は誰にも理解できないとまで言われた uniformization theorem に,J.W. Addison が,抽象的なセッティングでの書きかえによって, 誰でも容易に理解できる証明を与えたため,この定理が, 現在では Kondo-Addison の定理として知られている,というものもある. ただし,田中尚夫先生の書いたものによると,近藤先生は Addison の仕事を見て,自分の結果の証明がひどく簡単になったことを感心されたようなので, 抽象化は,この場合には,必ずしも否定的な批判の対象にはならなかったようであるが.
高瀬さんの論考には,日本で, 具象的な指向を持つ和算があったところに, 抽象指向の強い洋算が入ってきたことによる混乱についての日本数学史的な考察があるが, これは興味深い視点だと思う.しかも,この混乱は,和算と洋算が, 小学校での算数教育と中学校以降での数学教育という形で棲み分けをしたことで, 現在にまで継承されているわけである.
私自身は小学校のときに和算をベースとする算数をとばして (とばしたわけではなかったが興味がなかったので無視した結果成績も悪かった) 洋風の抽象的な数学を早い時期に習う機会にめぐまれたのだが,そのような背景からか, 今でも和算には敬意をはらうことができず,逆に強い敵意をいだいてすらいる. しかし,この「敵意」の方は,むしろ,後になって, 和算的な興味の持ちかたの学生 (かつて私の近傍を通過した何人かのドイツ人や日本人の学生) に振り回されて不愉快な思いをしたことがある, ということと関連しているのかもしれないが ….
話をもう一度議論の初めに戻すと, そもそも,抽象と具象は絶対的な二項対立を樹立する対立概念であるわけではなくて, 相対的な概念であろう. 数学の素養のない人にとっては,すべての数学の議論が抽象的すぎる, と感じられるのではないだろうか.これは,大学で教えている場合, 教養の数学の講義を受け持ったりするときに, 常につきつけられることになる,きわめて具象的かつ切実な問題でもある.
たとえば一般の関数の概念 (自然数全体から自然数全体への関数の概念, あるいは実数の全体から実数の全体への連続関数など … これらは logic の視点からは, 個々の (任意の) 実数,という対象と同程度の複雑さのものと言うことができる) に限っても, これを具象的な概念だと思えることは,かなり高度な能力のようだ. 少なくとも,毎年工学部の教養で教えている学生は,ほとんど全員, この高度な能力を持っていないように思える.
プロフェッショナルな数学者の間でも,何が抽象的で何が具象的かは,人によって, 大きく分れるところだろう. また,同一の数学者でも,若くて思考能力や思考のリソースが十分にあったときと, 歳をとってきて Erdös の言い方で言うと,Dead-Archeological Discovery-Legally Dead … 状態になってしまったときとでは, 何を抽象的と感じるかはかなり違うのではないだろうか.
また,それほど時間のへだたりがなくても,ある問題を考えているときには, その問題が Platonistic に具象的なものとして "そこに" 見えているのに. 問題を解決してしばらくして自分の論文を読みなおしてみると, 全く分らなくなっていたり, この問題を考えていたときの具象性の感覚をその問題に再び見出すのに時間がかかったりすることもある.
最近 mathematical Platonism に関する 論文 を執筆した.私の最初の本格的な哲学の論文と言えるのだが, そこでも論考したように,一般の数学でとりうる Platonistic な立場と, 集合論でとりうる Platonistic な立場の間には大きな齟齬があって, このことが, 他の分野の数学者に集合論を薄気味の悪いものに感じさせる原因となっているかもしれない. ある種の Platonism が "具象的" な数学の境界線を押し広げる効果を持っているとすると, 集合論で扱かう "具象的" な (あるいは他の数学分野から見たときに抽象的と感じるような) 数学は, 普通の数学者のつきあいきれないような, 広がりを持つものになってしまっているかもしれないし,これも上の論文で見たことだが, 集合論の場合には,数学と超数学との間の往復, 複数の集合論モデルで同時に生きること (set theoretic multiverse), といった,他の数学理論では起ることのない状況にも対応しなければいけなくなる. もっともこのことは,むしろ抽象的か具象的か, というベクトルとは直交する困難さのベクトルとなっているかもしれないが, それにもかかわらず,十把一絡げに,これも抽象性として分類されてしまうかもしれない.
高瀬さんの書いているものをよく読んでみると,実は, 彼の問題にしているのは抽象化ではなく,一般化であるようにも思える. 一般化された理論が, モデルの一意性を持たなくなるために, 具体的なイメージで考えることができなくなって「抽象的」であると感じる, ということではないだろうか.しかし, これが問題になっているのだとすると, 初等幾何の「任意の三角形」や,解析学での 「任意の連続関数」に関する考察もすべて同様に抽象的すぎることになってしまうのではないだろうか?
高瀬さんの過度に抽象化された数学に対する批判は, 抽象化による意味の喪失というようなことに対するもののようであるが,正しい抽象化は, むしろ事柄の本質を明らかにするものでもあるだろう. したがって,ここで批判されている意味の喪失は,上にも書いたように, 一般化による抽象のために, モデルが一意に決まらなくなった「抽象的」な対象を主語とする議論をしなくてはいけない, という一点に集中しているものと思われる.たとえば高瀬さんは, ネータによる抽象代数を抽象化の始まりとして捉えているようだが, そのことは, 「モデルが一意に決まらいこと」による抽象という私の解釈を裏づけるものになっているように思える. ただし,たとえば,群についての議論をするときには, 「任意の群」という抽象的な対象を問題にしなくてはいけなくなるわけだが, これを,群の全体からなるクラスの要素に関する議論と読み直せば, 「群の全体からなるクラス」という具象的な対象に関する議論ととらえ直すことができ, 抽象性は回避されているのではないかと思うのだが.
このような意味での抽象性が問題になっているのだとすると, 彼の議論の行きつくところは, ブラウアーのような数学観になってしまうのではないかという危惧も頭をかすめる. たとえば, 背理法による証明では, 存在しない対象を主語とする議論を延々と展開して矛盾を導き出さなくてはならないわけだが, この場合には,モデルが一意に決まらないどころがモデルが存在しないわけだから (ただしこの議論をしている段階ではモデルが存在しないことはまだ判っていないわけだが), 彼の意味では,さらに悪い種類の抽象化が行なわれていることになってしまうからである.
一方,応用できる数学は, 必然的に抽象的なものでなくてはいけないのではないだろうか. 具体的な意味に固定された形の数学を習うのでは, 数学を思いもよらなかったようなやり方で応用することができるようにはなりがたいからである. 工学系の学生の教育にも携っている者にとって,このことに留意して, 上に述べたような工学系の学生の抽象的な概念の処理の能力の欠如の現実を思い出すと, 実に絶望的な気分にさせられることになる.
もうすこし建築的な議論をすることにすると,数学における具象性, 抽象性は背反するものであるより, 相補的なものであるだろう.その意味で,数学の抽象性に制限を果すことは, 数学の研究の進歩に歯止めをかけることにしかならないのではないか.もちろん, 数学の研究は進歩するべきでない,というスタンスをとる人もいるかもしれないので, その視点から数学はあまり抽象的であるのはよくない, という議論が出てくることは可能なのだろうが.
数学の原動力としての,数学の具象性と抽象性の相補は,最終的には 各個人が個人の思考の体系の中で実現するべきことなのだろうが, 旧来の方法で線形に文章を書いていったときに, この相補性を見える形にするのは非常に難しいように思える. ひところハイパーブックというアイデアがさかんに論じられていたことがあったが, 相補性を文書としてとらえたものにするには, それと類似のアイデアを推し進めることが必要になるのではないだろうか.
たとえば,抽象的な議論がされているところのテキストをクリックすると, その議論の祖形となっている具体的な例のテキストが並置され, 具体的な例をクリックすると,その裏に隠れている抽象理論の解説に飛ぶことができる, というような.
上では,いくつかの異るレベルでの数学の抽象性について, ごっちゃに議論をしはじめてしまっているかもしれない: 数学の研究における数学の抽象性, 抽象性の高い数学理論を理解するプロセスの困難さ. 初等教育における数学の抽象性, 高等数学教育における数学の抽象性の役割など,それぞれ個別の議論が必要だろう. 数学を学ぶときの抽象性の壁や具象性の煩雑さと, 数学を創造してゆくときの, 必要悪としての抽象性と思考の壁としての具象性なども区別する必要があるだろう. それからもちろん,これらとは少し違った種類の抽象性として, 使われる論理が,人間の自然言語での記述を拒むような高い quantifier rank を持つものになっていることからくる,理解の困難さ, というのもある.これは,Saharon Shelah と "共同研究" をしたことのある人は,何を言おうとしているか明白であろう.
しかし,ここでは, とりあえず上でのように,問題提起となりそうな事柄を未整理のままいくつか述べるにとどめたい. もっと整理された形の議論はそのうちどこかに書く機会があるだろう.
もちろん, 難しければいい,あるいは抽象的ならいい, と主張しているわけでは全くないが,そうかと言って, 具象的な数学であること (あるいは,同じことを 別の立場から表現したときは,抽象的な数学を推し進めること) の最前線が, 数学の進歩の結果, 人間の脳の想像力の限界近くに達してしまっているとしても,単に昔帰りをすればいい, ということでもないだろう.
しかし進歩ということを信じるなら, 数学の更なる進歩がやがてすべてを救ってくれるかもしれないと期待することもできる. 中世にはごく少数の人々しか理解のできない "抽象的な" 密儀のようなものだった, しかし,3次方程式や4次方程式の理論は,今では抽象的でもなんでもなくて, 平均的な高校生でも楽々と理解できるだろう. 現在我々が理解するのに苦しんでいる最先端の抽象的な数学もやがて, 記法や思考法がさらに整理されて,多くの人が容易に理解できるようになるかもしれない.
だだし,これとは別の視点からのシナリオとして, 未来の数学では数学を考えるのは人間ではなくてコンピュータになっていて, 人間の知性は退化の一途をたどる,ということも考えられる.
あるいは, もう少しオプティミスティックには,コンピュータの進歩により, 人間の知性がコンピュータによって augment される形で新しい進歩をとげる, ということも考えられる.最近 augmented reality ということがさかんに言われているが,その言い方に習えば, augumented (human) intelligence とでも言うことになろうか.
いずれの場合にも,そのような未来の数学では, 抽象と具象の境界は今日のそれとはかなり違ったものになっているのではないだろうか. もし未来の数学が, コンピュータとの共存の結果さらに進化をとげて, 特に2番目に書いたシナリオに近いものになるのなら, なんとか生きのこって (つまり Erdös の言っていたような意味で (アクティヴな数学者として) 生きのこって) その様子を自分自身で見てみたいものだと思う.
このセミナーが終ってから,日本語がなんとなく話しづらいような気分が数日ぬけなかった. 我々の研究科の中国出身の羅先生が, 里帰りすると中国語の発音がすらすらできるようになるのに数日かかる, と仰っていたが,これはよく分る気がする.
ところで,日本語の話者特有の英語の誤りがあるように, ドイツ語の話者にもドイツ語由来の特有の英語の誤りがある. 「ハンバーガーがほしい」 と言いたいときに,,,Ich bekomme einen Hamburger“. というドイツ語につられて,"I become a Hamburger" と言ってしまう, などというのは,有名な間違いの1つだろう.もちろんこの例がジョークになっている所以は, この間違い英語が, 「私は (挽肉にされて?) ハンバーガーになる」 の意味にも,あるいは, もう少し semantical に真面な 「私はハンブルク市民になる」 の意味にもとれる点であろう.
僕は日本語の話者だが,ドイツ語の話者でもあるので, 英語を話すときに両方の言葉由来の間違えをしてしまいがちである. ゲーデル研究所所長の Sy Friedman 先生 (もともとアメリカ人だがドイツ語も堪能) と移動中の電車の中で話をしていて, 「次の次の駅」と言うのに,ドイツ語の ,,die übernächste Station“ というのにつられて,''the overnext station''と言ってしまったら, 多分,オーストリア人の間違え英語で,この表現に悩まされ続けてきていた Friedman 先生に,"Sakaé その表現は英語にはないよ" と言われてしまった. 正しい英語の表現では,僕もうっすらと憶えていた "the next station but one". 試しに,overnext という存在しない単語 (少なくとも,Webster や OED など手持ちの英語の辞書のどれにものっていない) でネット検索をかけてみると, ,,übernächst“ の意味でこれを使っているドイツ語圏のページが山のように検索にかかる.
しかし実は 「次の次」 は日本語英語でもっと大変なことになっていることを発見してしまった. 「次の次 英語」 で検索をかけると, 「次の次の駅は英語で何と言いますか? ベストアンサー: next next station で通じました」 などというのが大量にひっかかる.しかし,next but one を含む由緒正しいと思われる英語表現を説明しているページは1つも見つからなかったのだ.
そこで "next next" で検索をかけてみると, かかるのは主に日本人かインド系と思われる人たちの書いた英語だった. もちろんインド系の人たちは英語の native speakers なので, 彼等の使う英語に文句をつける権利はないし, 山形(?) の方言を話すアメリカ人のテレビタレントがいるように, もしピュアな印度英語をはなす日本人がいたとしたら, これはこれで大変に貴重な存在と言えるのだろうが.
そういえば,ピアニストの内田光子さんのテレビインタヴューを昔ドイツで見たことがあった. 演奏のスタイルから,Hochdeutsch を話すものと思っていたのに, 彼女のドイツ語が純然とした Wienerisch だったのに大変びっくりした記憶がある. Blumenberg 監督の "Sommer des Samurai" (1986) の一シーンで, 有能秘書が, バーフェクトな英語やフランス語やイタリア語などで電話の受けこたえをしているところに, お母さんから電話がかかってきて急にハンブルクなまりの丸出しのドイツ語で話しだす, というギャクがあったのも連想してしまうが, ちょっと話が横にそれすぎた.
セミナーの日本人の参加者の英語で, 非常に耳について気になって仕方のなかった日本人英語の表現があった. 多分 「何と言ったらいいのか…」という挿入句の意味で "How to say" というのを濫用する,というものなのだが,これは,"I don't know how to say" の省略のつもりなのか, あるいは "How should I say,…" というのが,日本語の話者の耳に "How to say" と聞こえるからなのか. しかし,これも大変に広く日本語の話者の間に蔓延しているようで, 日本人だけがこの表現を頻繁に連呼しているのはとても奇異な感じがする.
この中の講演録 「過渡期の数学」(1935年 --- 77年前である) では, 「数学基礎論と集合論」という演題の記録に対して, 黒田成勝が主に集合論に関連する註釈を加えている. 年表で見ると,これは黒田が30歳くらいのときのことということになる. しかし,この註釈も, 1910年代の結果以降を知らない人の補足のようにしか見えない. これは現代に平行移動すると,2012年に 1987年くらいまでの集合論の知識で集合論を論じるようなものである. ここでは本文にも註釈にも Gödel の名前が何度か出てきているが, 黒田の註釈でも完全性定理 (1929) も不完全性定理 (1931) も全く触れられていない. これは本当に知らなかったのか,あるいは大先生をたてたからなのか?